小林恒一

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小林 恒一
生誕 1888年8月21日
日本の旗 日本 茨城県
死没 (1950-05-09) 1950年5月9日(61歳没)
所属組織 日本陸軍
軍歴 1910 - 1943
最終階級 陸軍中将
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小林 恒一(こばやし こういち、1888年(明治21年)8月21日[1][2] - 1950年(昭和25年)5月9日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

茨城県出身[1][2][3]1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第10連隊付となる[1][4]1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した[1][2][3]

1922年12月、歩兵第10連隊中隊長に就任[1]1923年(大正12年)12月、第10師団司令部付となり、同師団参謀に異動し、1926年(大正15年)3月、歩兵少佐に昇進[1]1927年(昭和2年)4月、第14師団参謀に転じ、歩兵第36連隊大隊長、第9師団司令部付を歴任[1]1930年(昭和5年)8月、歩兵中佐に進級[1]1932年(昭和7年)2月、留守第9師団司令部付となり、第9師団参謀を経て、1935年(昭和10年)8月、歩兵大佐に昇進し広島連隊区司令官となった[1][3]

1937年(昭和12年)8月、歩兵第78連隊長となり、1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級し第23師団歩兵団司令官に就任[1][2][3]1939年(昭和14年)5月、第23歩兵団長となりノモンハン事件に参戦[1][2][3]。重傷を受け、1939年8月、第6軍司令部付となった[1][2][3]1940年(昭和15年)8月、東部軍司令部付に転じ、同年12月、東京湾要塞司令官に着任[1][2][3]1941年(昭和16年)3月、陸軍中将に進み太平洋戦争を迎えた[1][2][3]1943年(昭和18年)6月、待命、翌月予備役に編入され、満州国高等軍事学校長に就任[1][2][3]。戦後、シベリア抑留となり、1950年5月、シベリアで戦病死した[1][3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『日本陸海軍総合事典』第2版、64頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸軍将官辞典』310-311頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』278頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』271、278頁。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。