小林宏 (カーリング選手)

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No image.svg 小林 宏 Curling pictogram.svg
基本情報
出生国 日本の旗 日本
出身地 長野県
生年月日 (1947-05-09) 1947年5月9日
没年月日 (2016-02-18) 2016年2月18日(68歳没)
日本選手権
4人制
優勝回数 2回
優勝大会
  • 1986
  • 1987
2016年4月13日現在
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小林 宏(こばやし ひろし、1947年5月9日 - 2016年2月18日)は、長野県出身の日本カーリング選手および富士急行の女子カーリングチーム「チームフジヤマ」の元ゼネラルマネージャー兼ヘッドコーチ。株式会社スポーティングカナダの元代表取締役社長。

人物・来歴・エピソード等[編集]

長野県野沢北高等学校時代はスピードスケートで活躍していた。中央大学商学部を卒業。

1979年にカーリングに出会い、1986年1987年にチーム「東京MAX」のメンバーとして日本カーリング選手権で優勝する。

1992年のアルベールビルオリンピックでは公開競技として行われたカーリングの日本代表監督を務め、1998年当時はオリンピック正式種目として初めての実施とされた長野オリンピックではカーリングの競技委員長を務めた。1998年から2005年までは神奈川県カーリング協会のチーム「Maple leafs」の選手としても活躍。その後も、カーリングの普及活動と選手としての活動を並行して行っていた。

2005年12月2日には、自費で1億3000万円をかけ山梨県山中湖村に通年利用可能な国内初の民間運営でのカーリング場「Curlplex Fuji」を建設し、山中湖メイプルカーリングクラブを設立する。2013年9月1日時点における会員数は約300名に上る。

冬季オリンピックにおいては、2006年トリノオリンピック 及び 2010年バンクーバーオリンピックで、テレビの実況放送の解説者を務めた。その的確かつ分かりやすく、また日本の対戦チームのプレーに対しても敬意を払い賛辞を贈る解説スタイルは視聴者にも好意的に受け止められていた。その例として、「よし!よし!よーし!!」「すごい!!パーフェクトだ!!」「イェース!!」など[1]。またバンクーバーオリンピック女子カーリング準決勝・カナダ-スイス戦でスイスのスキップ、ミリアム・オットのスーパーショットに対して「これがカーリングだ!This is Curling!」と絶叫した。なお、実況を務めた日本テレビ藤井貴彦アナウンサーが「小林さんが英語を使い始めました」と自らコメントしている[2]。(その後、「ここはカナダだ!」と返した。) この世間の注目の集まるオリンピックのテレビ中継での解説ぶりや、それにまつわる新聞報道等により小林の名が知られるようになり、また日本のカーリング競技における第一人者の1人であることが広く認知されることとなった。

2010年8月9日富士急行の女子カーリングチーム「チームフジヤマ」のゼネラルマネージャー兼ヘッドコーチに就任した[3]

2012年、トリノオリンピックの金メダリストのカナダのラス・ハワードと一緒にH&K Dream Projectを始動した。

2013年4月1日軽井沢アイスパークのオープニングイベントの中で日本のカーリングが将来どのように発展したら文化に近づけるかをテーマとし、生涯スポーツとしてのカーリング、競技スポーツとしてのカーリングの両面からカーリング界への提言を目的とした軽井沢カーリング会議を設立し代表に就任した。

晩年は膵臓に癌が見つかり治療を続けていたが、2016年2月18日に没した。[4]

脚注[編集]

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注釈・出典[編集]

  1. ^ 日刊スポーツ2010年2月21日
  2. ^ 日刊スポーツ『今日のひと言』 2010年2月26日付
  3. ^ 富士急版「カー娘」ソチめざす 名解説・小林さんが指導 asahi.com 2010年8月10日閲覧
  4. ^ 訃報

関連項目[編集]

外部リンク[編集]