小林一喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

小林 一喜(こばやし かずよし、1934年4月10日 - 1991年2月19日)は日本ジャーナリスト朝日新聞にて編集委員を務めた。

栃木県出身。

人物[編集]

都立九段高校を経て、東京外国語大学卒業後の1957年、朝日新聞社に入社。1978年に論説委員、1985年10月に編集委員に就任すると同時にスタートしたテレビ朝日のニュース番組『ニュースステーション』のコメンテーターに就任。久米宏小宮悦子と名トリオとして親しまれた。

1988年に入ってからは度々体調不良で番組を休み、復帰の度に後述のように痩せていくことから、久米は「すこししゅっとされました?」とフォローをしていたが、1990年が最後の出演となり、1991年2月19日、心不全のため56歳で死去。亡くなった2日後、『ニュースステーション』は冒頭約20分間に追悼特集を組み、小林の妻が記した手紙を涙を流しながら小宮が読みあげた。

エピソード[編集]

  • 生家のあった場所は、その後テレビ朝日のスタジオが造られたまさにその場所であったという。
  • 愛称は「ピンキーさん」。久米宏はしばしば「こばやしいっきさん」と呼んでいた。
  • 「圧勝」が口癖だった。番組の視聴率が低迷していた初期の頃、この言葉で若いスタッフを励ましていた。
  • 大の中日ドラゴンズファンでもあった。スポーツコーナーではよくコメントしており、1988年のリーグ優勝決定当日は番組内で優勝記念のくす玉を割る大役を務めた。
  • 病気が進むにつれ、ふっくらした丸い顔が明らかに面長になっていき、視聴者からは心配する声が寄せられた。
  • 病気療養中の1991年1月17日湾岸戦争開戦を受けて、番組スタッフに送ったFAXに「NO MORE WAR 一日も早い平和を」と書いたものが、番組コメンテーターとしての最後のメッセージとなった。
  • その訃報はライバル番組である「FNN NEWSCOM」(フジテレビ)でも伝えられ、キャスターの木村太郎は「本当に惜しい人を亡くしました」と語った。

著書[編集]

関連項目[編集]