小松清穆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

小松 清穆(こまつ きよあつ、寛政5年1月22日1793年3月4日) - 安政3年9月10日1856年10月8日))は、江戸時代後期の薩摩藩士。島津久儔の次男。母は町田監物久甫の長女。小松清宗養嗣子は初め清苗、清透、清穆。幼名は松之助。通称は帯刀、掃部、式部。隠居後に薫山とした。家格一所持。

出自は島津久明を祖とする一所持格の島津準次男家。寛政11年(1799年)10月に、一所持小松家の当主で親族の小松清宗の養子となる。清宗は、血統上は祖父の従兄弟であるが、実家においては養玄祖父[1]であり、小松家においては養父という、複雑な関係であった。なお、小松家にはいる前は準次男家島津氏の規定により三崎氏を称する。

文化3年に養父の死により、家督相続。藩では3番目の席次の職である大目付まで昇進し、文政13年から天保3年まで伊集院郷地頭を兼務。天保11年(1840年)に隠居。聡明であった次男の清猷が跡を継いだ。しかし清猷は安政2年(1855年)に急死しており、その養嗣子に家老として著名な小松帯刀清廉が出ている。清廉の家督相続後に死去。法名は天桂院殿薫山清穆大居士。菩提寺は小松家代々の菩提寺である吉利郷の清浄山園林寺。

家族[編集]

登場作品[編集]

テレビドラマ

脚注[編集]

  1. ^ 「近世禰寝家文書」によると、準次男家4代目当主島津大蔵久通が、準次男家を出て小松清香の養子となったのが清宗であり、久通が出た後に準次男家の家督を継いだのが清穆の祖父で清宗の叔父であった。
  2. ^ a b c d e 「近世禰寝家文書」収録の『新編禰寝氏正統系図』では清猷の上の兄弟の実母は省略されている。

参考文献[編集]

  • 村山知一『近世・禰寝文書』文昌堂、2001年5月