小松崎善久

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小松崎 善久
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県新治郡千代田村(現:かすみがうら市
生年月日 (1961-06-23) 1961年6月23日(56歳)
身長
体重
181 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1979年 ドラフト2位
初出場 1985年6月18日
最終出場 1991年10月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小松崎 善久(こまつざき よしひさ、1961年6月23日 - )は、茨城県新治郡千代田村(現在のかすみがうら市)出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物[編集]

土浦三高から1980年ドラフト2位で中日入団。入団当時は捕手だった。1990年藤王康晴と共に田中幸雄早川和夫との2対2の交換トレードで日本ハムに移籍。1991年斎藤浩行との交換トレードで中日に復帰し、同年限りで戦力外通告を受けて現役引退。

エピソード[編集]

  • 球界屈指の熱血漢で中日時代は同僚の岩本好広仁村薫とともに乱闘要員として名を馳せた。乱闘の際には岩本と共に真っ先にベンチを飛び出すシーンが『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』でよく放映されていた。小松崎は代走や守備固めといった役割があるように、「乱闘は僕の役割。星野仙一監督もそれを理解しており、僕をベンチにおいた部分はある」と後に語っている。
  • 乱闘以外でも感情を表に出すことが多く、バットをたたきつける、ヘルメットを投げるなどはよくあったが、1989年の巨人戦で内野ゴロを打って一塁に駆け抜けたとき、微妙な判定だったがアウトと判定され、ヘルメットをグランドにたたきつけ、それが跳ね返って顔に直撃し、病院に直行したこともあったと言う。
  • 現役晩年の1991年の対ヤクルト戦では投手のティム・バートサスに死球を受け激怒し、岩本と共にバートサスへ殴りかかり乱闘騒ぎになりバートサスとともに退場になった。乱闘で外国人投手に立ち向かった数少ない日本人選手の打者の一人でもある。
  • ニックネームは「ザイ」。タレントの財津一郎に顔が似ていることから付けられた。
  • 乱闘の時は加害者だが、その報復で死球を受けることも多く、打数に対しての死球の割合は高い[要出典]
  • 1991年の成績は前年よりも向上していたものの、当時外野手だった大豊泰昭の成長、シーズン途中に移籍してきた南牟礼豊蔵の活躍などに押される形で自由契約に。同じく乱闘要員の岩本は2軍コーチに配置転換(但しその後1軍コーチに復帰)と物静かなイメージの強い高木守道への監督交代に伴う星野色一掃を感じさせる去り際となった。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1985 中日 7 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1986 5 5 4 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 3 0 .000 .200 .000 .200
1987 71 143 135 18 28 6 1 3 45 11 4 0 1 0 4 0 3 19 5 .207 .246 .333 .580
1988 54 87 83 9 24 3 0 4 39 6 2 1 1 0 3 0 0 32 3 .289 .314 .470 .784
1989 55 79 67 4 14 4 0 2 24 10 1 0 2 1 8 0 1 34 2 .209 .299 .358 .657
1990 日本ハム 32 53 49 3 9 0 0 0 9 2 0 0 1 0 1 0 2 19 1 .184 .231 .184 .414
1991 中日 43 51 46 5 10 2 0 2 18 8 0 0 1 0 4 0 0 17 3 .217 .280 .391 .671
通算:7年 267 421 387 39 85 15 1 11 135 37 8 2 6 1 21 0 6 127 14 .220 .270 .349 .619

記録[編集]

背番号[編集]

  • 54 (1980年 - 1989年)
  • 34 (1990年)
  • 30 (1991年)

関連項目[編集]