小山貢山

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小山 貢山(おやま こうざん、1979年 - )は、津軽三味線沖縄三線奏者・作家・翻訳家・武道家・イベントオーガナイザー・実業家。本名宍戸俊信。

声楽家作曲家・音楽教師の藤原武愛媛県西条市)を祖父に、法学者茎田加寿子を大叔母に持ち、津軽三味線小山流師範・小山貢山 初代・早稲田大学津軽三味線愛好会三津巴講師。合気道合気会二段。

千野出版より「あなたも弾けるやさしい津軽三味線入門」DVD・津軽三味線教本オールインワンを出版。

津軽三味線愛好会三津巴など、超流派の津軽三味線グループにも関わる。

音楽遍歴[編集]

小学校より母親の影響でYMOにはまり、中学校では、JPOPを聞きあさる。

津軽三味線は何か一つ文化部に入ろうと友達と一緒に入ったのがきっかけで、

初め竹山流・島村舟山に師事し高橋竹山流(弾き三味線)を習得、

その後 村上三絃堂で内弟子であった堀尾由謡・康磨親子に 叩き三味線を師事。

津軽三味線奏者岡田修のオリジナル曲「火の鳥」に深い感銘を受け、津軽三味線の道に入る。

「黒石よされ節」を弾くために、大学の図書館で取り寄せた小山貢民謡集3集のカセットテープの「秋田荷方節」を聞いて小山流入門を志すようになる。

広島市立大学在学中に、ストリートでの演奏を開始、プロを志すようになる。 途中、沖縄好きだった友人が三線を弾いているのを見て三線を初め、

広島三線クラブに通う。この頃から弾き歌いを始める。 その後声楽家だった祖父の勧めもあり、三味線を音楽大学で学ぶ為、


作陽音楽大学短期大学部箏曲コース(箏奏者は三味線が必須であることから)か、 大阪芸術大学長唄三味線科か迷うが、広島から近いという地の利もあり


、箏を学び始める。入学前 作陽音楽大学では、学校の課題をやらず現代曲「斜影」に開眼し、卒業演奏では「斜影」を演奏。

作陽音楽大学短期大学部卒業後は、東京の実家に戻り、 東京芸術大学長唄三味線専攻を志し東音・小島直文に師事するも挫折、一旦は不遇の時期を迎える。

2005年7月を皮切りに東京での演奏活動を再開、その後の遍歴は「歴史」を参照されたし。

現在・finaleを鮎澤和彦に師事。

歴史[編集]

  • 1979年 - 愛媛県生まれ。
  • 1999年 - 広島市立大学在学中にサークルにて津軽三味線を始める。
  • 2003年 - 合気道合気会本部道場に入門。
  • 2005年 - 東京都新宿区の自宅にて津軽三味線教室を開催。
  • 2006年 - 津軽三味線小山流に本部に入門。
  • 2006年 - NPO法人日本文化体験交流塾理事就任。
  • 2008年 - 津軽三味線小山会師範免状取得。
  • 2009年 - 早稲田大学津軽三味線サークル「三津巴」講師となる。
  • 2010年 - FEIレコード千野出版より「あなたも弾けるやさしい津軽三味線入門」DVDを出版。
  • 2010年 - 合気道合気会二段允可。
  • 2012年 - 千野出版より津軽三味線教本オールインワンを出版。「他人の曲を弾く」ということがタブーだった津軽三味線界に衝撃を与える。
  • 2013年 - NPO法人日本文化体験交流塾にて合気道体験講座開始。
  • 2013年 - ニューヨークシティにて津軽三味線教室を開催。
  • 2013年 - 株式会社「獅子道」を設立、代表取締役に就任。
  • 2013年 - 千野出版より「津軽三味線現代曲集第1集」を出版。
  • 2013年 - 津軽三味線世界大会(弘前大会)にてBachidoメンバーとして金賞を受賞。
  • 2014年 - オーガナイズイベント日本文化国際交流イベントJapanese Lounge Nightが53回でグランドフィナーレ
  • 2015年 - 盗作疑惑によりtwitterが炎上。その後必死の消火作業により、鎮火。
  • 2015年 - 二ューヨーク ヴァッサー大学にて全編英語での講義を行う。amazon,楽天へ楽譜集・CD・DVDを出品。
  • 2016年 - Tsugaru Jamisen Institute of New York を設立。

特徴[編集]

情報科学部出身・箏曲専攻の利をいかし、ネットを駆使した津軽三味線奏者として、特に楽譜サイト楽譜ページが名高い。暗譜が苦手。譜起こしは得意だが譜読みが苦手で、CD「津軽三味線なだば」の「游」に至っては共演の鮎澤和彦に弾いてもらっている始末であり、本人が弾けるようになったのは楽譜を出版して2年後であったという。沢井比河流の大ファンとしても知られている。

逸話[編集]

  • 小学校の時の図画工作の時間にお日さまに顔を描いたこを注意され泣いたことがある。
  • 高校時代の三者面談で、戦いが始まっているんだよという意味で「サイは投げられてますから」というべきところを

「もうサジは投げられてますから」と言い間違えられたことがある。

  • 若い頃はせっかちで、喫茶店で案内してくれたスタッフを追い抜いたことがある。
  • 富士そばで、入店から店を出るまで5分だったことがある。
  • 既婚者である。本人は公表していないが、前妻との間に息子がおり、前妻と今の妻、息子と自分の四人でディズニーランドに行き、「津軽三味線界の石田純一」と呼ばれている
  • 産科の先生が前妻の時の子供と同じで、「初産なのに旦那さん、見たことありますねぇ、不思議ですね」と言われ冷や汗をかいたことがある。
  • 英語が得意であり、高校の時のセンター試験で英語が200点満点中198点だったのを隣の友人に自慢しようとしたところ、進学校だった為隣の二人共200点満点で逆に恥をかいたことがある。
  • 雑誌「蛍雪時代」に受験ユーモアを投稿、何度か掲載されたことがある。
  • 高校3年生、浪人時代は、雑学の本を1000冊くらい読みまくり一切勉強しなかった。受験前3か月に一日16時間の猛勉強で、国公立大学に合格した。

勉強法は和田秀樹の「過去問の徹底研究」・「暗記数学」だった。

  • 音大時代は窓を開けて通学路に向けて津軽三味線を弾いていたが、音大生用のマンションだった為、苦情は来なかったのだが、1年半目にして向かいのマンションに音が反響して返ってくるような音が出せるようになり、上の階から苦情が来た。
  • 英語で「あなたを撮影していいですか?」と聞こうとして、'Can I shoot you?'(撃っていいですか?)と聞き間違えたことがある。
  • 大学入学3か月前に箏を始めたが、音大時代は学校の課題である古典は一切やらず、現代曲「斜影」ばかり弾いていた。卒業演奏も「斜影」だった。ソルフェージュは単位を落として卒業したのでいまだに五線譜に弱い。
  • 良く勘違いされるが、広島市立大学を中退したのは、音楽に目覚めたからではなく、プログラミング言語の「ポインタ」の概念で挫折したことである。今ではポインタが分からなくてもプログラミング出来る言語が多いことを知り、もう10年遅ければ、、と悔やんでいる。
  • 「(津軽三味線に)いつ目覚めたんですか?」と聞かれ「今日私は朝8時に目覚めました。」と答えたことがある。

ディスコグラフィ[編集]

関連文献[編集]

  • 『この1冊で津軽三味線が弾ける! 津軽三味線入門 ALL IN ONE』千野出版事業部,2012年,ISBN978-4-86178-152-0
  • 『津軽三味線 楽譜集 現代曲集 第一集 』千野出版事業部,2014年,ISBN978-4-86178-164-3

外部リンク[編集]