小坂慶助

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小坂 慶助
こさか けいすけ
生誕 1900年
東京
死没 不詳
所属組織 War flag of the Imperial Japanese Army.svg 大日本帝国陸軍
軍歴 1920年 - 1945年
最終階級 陸軍憲兵大尉
除隊後 小説家
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小坂 慶助(こさか けいすけ、1900年 - 没年不詳)は、日本陸軍軍人小説家。最終階級陸軍憲兵大尉

二・二六事件岡田啓介首相の救出に主導的な役割を果たした人物として知られ、戦後は自身の憲兵時代のことを活かした小説を発表し、一部の作品は後に映像化された[1]

経歴[編集]

前史[編集]

1900年東京出身。1920年に騎兵15連隊に入営する[2]。1922年に憲兵となり、翌1923年より特別高等警察に勤務する。そこでは甘粕事件虎ノ門事件濱口首相遭難事件相沢事件などに関わった[3]

二・二六事件[編集]

1936年の二・二六事件発生時に、部下が岡田首相が生存していることを発見した。当時麹町憲兵分隊の特高主任であった小坂は、岡田首相秘書官であった福田耕と協力し、部下である青柳利之憲兵軍曹及び小倉倉一憲兵伍長らと策を練り、翌27日に岡田と同年輩の弔問客を官邸に多数入れ、反乱部隊将兵の監視の下、弔問客に変装させた岡田を退出者に交えてみごと官邸から脱出させた[4]

3月11日に岩佐禄郎憲兵司令官より、岡田首相を救出した功績により青柳軍曹、小倉伍長とともに表彰を受ける[5]。しかし、小坂の著書によれば当時の憲兵将校の中には皇道派に同調する者も多く、小坂が首相を救出したと知ると梶川与惣兵衛[注釈 1]になぞらえて正面切って非難されることや、褒賞面で冷遇された[注釈 2]と回顧している[6]

事件後[編集]

1942年に中支当陽憲兵分隊長となる。終戦は中国大陸で迎え、漢口で米軍航空士が死刑にされた事件に関与して1946年に戦犯指令を受ける。上海米軍軍事法廷で絞首刑を求刑されるが、判決は禁錮3年となり、上海と巣鴨プリズンで服役した[3]。その後は小説家として数々の作品を発表した[1]

著作[編集]

  • 『特高』 啓友社、1953年
  • 『特高 二・二六事件秘史[新装版]』 文春学藝ライブラリー、2015年ISBN 978-4-16-813039-7
  • 『のたうつ憲兵 : 首なし胴体捜査68日』 東京ライフ社、1957年
  • 『反逆はいつの夜にも』 日本週報社、1960年
  • 『特高憲兵とその子』 日本週報社、1960年
  • 『革命の前夜』 日本週報社、1964年

登場する作品[編集]

映像[編集]

映画
ドキュメンタリー

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 梶川与惣兵衛は江戸時代の旗本で、浅野内匠頭の殿中刀傷事件の際に浅野を取り押さえた人物である。
  2. ^ 当時、逃亡兵の逮捕や川に落ちた子供を救助するなど憲兵に功績があった場合、憲兵隊の機関紙である「憲友」への掲載と金一封の授与が行われていたが、小坂らに対しては「憲友」の掲載も行われず派閥に属さなかった中立の岩佐司令官の賞状のみだった[6]

出典[編集]

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  1. ^ a b 高倉健の知られざる傑作の原作 佐藤優が発見した「2・26」ドキュメント - 文藝春秋BOOKS2017年11月24日 閲覧
  2. ^ 『革命の前夜』199頁(日本週報社、1964年)
  3. ^ a b 『特高 二・二六事件秘史』著者紹介
  4. ^ 「岡田前首相の奇跡的脱出 女中部屋の押入へ ほか」讀賣新聞(1936年3月22日・号外)
  5. ^ 「前首相救出の3憲兵表彰さる きょう御楯神社鎮座式に」朝日新聞(1936年3月11日・東京版夕刊)
  6. ^ a b 『特高』66‐68頁(啓友社、1953年)
  7. ^ 二・二六事件 脱出 - 一般社団法人日本映画製作者連盟
  8. ^ 二・二六事件 奇跡の脱出劇 - 歴史秘話ヒストリア

関連項目[編集]

  • 二・二六事件
  • 宮崎清隆 ‐小坂と同じく憲兵で、戦後に小説家となった人物。
  • 岩佐禄郎 ‐二・二六事件発生時の小坂の上官。首相救出に貢献した小坂ら3名を表彰している。
  • 相沢事件 ‐相沢事件での取り調べに立ち会っており、「革命の前夜」に供述調書が詳細に示されている。