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小便小僧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

座標: 北緯50度50分42秒 東経4度21分00秒 / 北緯50.84500度 東経4.35000度 / 50.84500; 4.35000

『小便小僧
Manneken Pis』
作者ジェローム・デュケノワフランス語版オランダ語版
製作年1619年(原像)
1965年(現地設置の現行像)
種類青銅
主題プエル・ミンゲンス
寸法55.5 cm (21.9 in)
所蔵ブリュッセル市ブリュッセル首都圏ベルギー
座標北緯50度50分42秒 東経4度21分00秒 / 北緯50.8449861度 東経4.3499932度 / 50.8449861; 4.3499932
ウェブサイトブリュッセル市

小便小僧(しょうべんこぞう、: Manneken Pis、マネケン・ピス、マヌカンピス)は、ベルギーブリュッセル中心部にある、放尿する少年を表した青銅製の噴水彫刻である[1][2]プエル・ミンゲンス、すなわち小便をする男児の図像に属し、裸の少年が噴水の水盤に向かって放尿する姿を表している[3]

同様の像や噴水は世界各地に存在し、「小便小僧」はブリュッセルの像そのものだけでなく、それを模して噴水などに取り付けられる像を指す語としても用いられる[1]。その中で、一般に小便小僧として最もよく知られているのは、ブリュッセル市内の世界遺産であるグラン=プラスから徒歩数分の位置に設置されている像である[4][5][6]

現在の小便小僧の原型となる青銅像は、1619年ブラバント公国の彫刻家ジェローム・デュケノワフランス語版オランダ語版によって制作された[2]。現地に設置されている像は1965年以後の複製であり、原像は盗難防止と保存のため、グラン=プラスに面するブリュッセル市立博物館英語版に収蔵・展示されている[5][7][8]

小便小僧はブリュッセルおよびベルギーを代表する象徴の一つであり、多くの伝説や複製、模造像を生んできた。像には定期的に衣装が着せられ、その衣装コレクションは約1000点に及ぶ。2017年以降、衣装の一部は専用博物館「ガルドローブ・マネケンピス」(GardeRobe MannekenPis)で展示されている[9]

名称

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像の名称は、もとはMenneke(n) PisまたはMenneke(n) Pistと記された[6][10][11]。ブリュッセルのブラバント方言英語版、すなわちブリュッセル方言英語版では、mannekeが「小さな男」を、mennekeが「小さな少年」を意味した[12]。現在の名称であるManneken Pisは、オランダ語で「小便する少年」または「小便する小さな男」を意味し、オランダ語フランス語の双方で公式名称として用いられている[13][14]

オランダ語ではJulianske、フランス語ではPetit Julien(いずれも「小さなジュリアン」の意)という愛称で呼ばれることがある[4][5]。ただしこの愛称はもともとは、近くに存在した別の噴水「小さなジュリアンの泉」(Juliaenkensborre)に由来し、小便小僧そのものの伝承と後世に混同されたものである[5][6][15]。また、長い歴史をもつことから、オランダ語でde oudste burger van Brussel、フランス語でle plus vieux bourgeois de Bruxelles、すなわち「ブリュッセル最古の市民」とも呼ばれる[4][5][6]

歴史

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起源と初期の噴水

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1616年、デニス・ファン・アルスロート英語版『1615年5月31日のブリュッセルのオメガング英語版』細部。中央右に、行事のため衣装を着せられた小便小僧が描かれている。

小便小僧の存在に関する最古の言及は15世紀半ばにさかのぼる[4][16]。1451年から1452年にかけての行政文書には、ブリュッセルの噴水に水を供給する水道管に関する記録があり、そこに「小さな少年が小便をする場所」を意味する中期オランダ語の表現が見える[16]

当初、この噴水は飲料水の供給施設として機能していた。像は柱の上に置かれ、石製の二重長方形水盤に水を注いでいた。最初期の姿は、ゲオルク・ブラウンフランス・ホーヘンベルフによる地図にきわめて簡略に描かれているほか、1615年のブリュッセルのオメガング英語版を描いたデニス・ファン・アルスロート英語版およびアントーン・サラールト英語版の絵画、ならびにその素描に確認できる[17][18]

1619年、ブリュッセル市参事会は、従来の像を新しい青銅像に置き換えることを委嘱した[4][5]。この像はジェローム・デュケノワによって構想され、1620年頃に鋳造・設置されたと考えられている[19][5][6][20]。像を支える柱と水を受ける水盤も、この時期に石工によって改修された[4][20]

17世紀から19世紀

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ヤコブス・ハルレウェイン英語版によるエッチング「小便小僧の噴水の眺め」。『ネーデルラントの歓楽』、1697年。
1770年に設置されたロカイユ英語版様式の龕の中の小便小僧。

小便小僧は、1695年のフランス軍によるブリュッセル砲撃英語版では損傷を免れた。しかし、配管が被害を受けたため、一時的に水を流すことができなくなった。同年に刊行されたパンフレットはこの出来事を伝えており、小便小僧がすでにブリュッセルの名物として広く知られていたことを示す初期の証言とされる[21]。砲撃後、像の頭上にはラテン語でIn petra exaltavit me, et nunc exaltavi caput meum super inimicos meos(「主は私を石の台座に置き、いま私は敵を前にして頭を上げる」)という一節が刻まれたと伝えられる[22][23]

1697年のヤコブス・ハルレウェイン英語版による版画では、噴水は街路上ではなく角のくぼみに置かれ、柵で保護されている[24]。1770年には従来の柱と二重水盤がなくなり、像は別の噴水から転用されたロカイユ英語版様式のプチ・グラニット英語版製の龕に組み込まれた[25][4][26]。この配置により、像は当初よりも小さく見えるようになった[22]

現在の構造物は錬鉄製の柵で保護されている。柵の最後の形は1851年にさかのぼる[4][27]。こうした柵は水への接近を妨げ、噴水を飲料水供給施設から装飾的・象徴的な存在へと変化させた。この変化は、1855年以降、ブリュッセル市が家庭への飲料水供給を進めたこととも関係している[28]

像は盗難または盗難未遂にも繰り返し遭った。古くは1745年、イギリス兵によって像が持ち去られ、フランドルの町ヘラールツベルヘン英語版で発見されたという[22][26][29]。発見並びに返還の感謝のしるしとして、ブリュッセル市民はヘラールツベルヘンに像の複製を贈ったとされる[26]。1747年には、ブリュッセルに駐屯していたフランス人擲弾兵の一団による盗難未遂があったと伝えられる[30][29]ルイ15世はフランス人兵隊の卑劣さに怒る市民の反発を鎮めるため、金糸で刺繍を施したブロケード紳士服を小便小僧に贈り、剣を佩くことを認め、聖ルイ勲章英語版を授けた[4][31][6]

1817年には、釈放された元受刑者アントワーヌ・リカスよって像が盗まれた。逮捕されたリカスは終身の強制労働を宣告され、まずグラン=プラスで1時間、さらし台に繋がれた[26][6]。この盗難の際、原像は11片に砕けたが、ジル=ランベール・ゴドシャルル英語版の監督下で修復された[32]。破片は照合され、青銅像を鋳造するための型の作成にも用いられた[4][26][32]

20世紀以降

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1619年制作の小便小僧原像。ブリュッセル市立博物館英語版に収蔵されている。
小便小僧の周囲。像の大きさを知ることができる。

20世紀にも小便小僧は盗難や盗難未遂に遭った。1955年と1957年には盗難未遂があり[33][34]、1963年1月には、アントウェルペンの学生団体「デ・ウィキングス」に属する学生たちが集団窃盗を働いた。この事件は報道を通じて知られ、学生たちが孤児院への寄付を目的として行った贖罪の募金活動にも結びついた[35]

より深刻だったのは1965年の盗難である。このとき像は持ち去られ、足と足首だけが現地に残された[33][36][37]。1966年6月、アントウェルペンの雑誌『デ・ポスト』に匿名の電話があり、像の胴体がブリュッセル=シャルルロワ運河英語版にあると告げられた。像は潜水夫によって発見され、同年6月27日にブリュッセルへ戻された。その後、原像は保護のためブリュッセル市立博物館に収蔵され、現地には新たに鋳造された複製が設置された[5][7][38]

2018年末、市の技術者によって、像の水盤に漏水があることが確認された。報道によれば、1日に1000リットルから1500リットル程度の水が漏れ出している状態であった[39]。漏水は長期間見過ごされていたが、2019年3月に応急措置が施された。ブリュッセル市は、恒久的な循環式システムの導入を進めるとともに、この事例を他の噴水の点検にもつなげた[40]

伝説と由来

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最もよく知られている伝説の一つは、ルーヴェン伯ゴドフロワ3世に関するものである。1142年、当時2歳のゴドフロワ3世をいただく軍勢は、グリムベルゲン英語版の領主ベルタウト家の軍勢とランスベークで戦っていた。兵士たちは幼い君主を籠に入れて大きなオークの木に吊るし、味方を鼓舞した。戦況が苦しくなると、幼い公は籠の中から敵軍に向かって放尿し、味方を勝利に導いたと伝えられる[41][42][5]。像が置かれているRue du ChêneEikstraat(「オークの木通り」)の名称は、この伝説の木を想起させるものとされる[42][5]

別の伝説では、ブリュッセルを包囲した敵軍が市壁に爆薬を仕掛けた際、ジュリアンという名の少年が燃える導火線に小便をかけて火を消し、町を救ったとされる[43][5][2][44]。この少年の名がジュリアンであったという伝承は、小便小僧の愛称「ジュリアン坊や」とも結びつけられているが、名称史上は別の噴水との混同も指摘されている[5][6][15]

このほか、裕福な商人の行方不明になった息子が市内の小さな庭で放尿しているところを発見され、商人が捜索に協力した人々への感謝として噴水を建てたという話や、買い物中に母親とはぐれた少年が小路の角で放尿しているところを発見され、その逸話を記念して像が建てられたという話もある[41]。また、火事で目を覚ました少年が尿で火を消し、城が焼け落ちるのを防いだという伝説も伝えられている[41]

衣装と行事

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衣装を着せられる小便小僧。

小便小僧には、さまざまな機会に衣装が贈られ、定期的に着せ替えられる。衣装替えは噴水周囲の柵に掲示される予定表に従って行われ、週に数回実施されることもある。1954年以降、衣装は非営利団体「小便小僧友の会」(The Order of the Friends of Manneken Pis)によって管理されている。同会は毎年提出される多数のデザインから、実際に制作・使用される衣装を選定している[45]

衣装を着せる慣習は、像の鋳造時期に近い時代までさかのぼる。1615年、スペイン領ネーデルラントの君主イサベル・クララ・エウヘニアを称えて行われたブリュッセルのオメガング英語版では、小便小僧が羊飼いの衣装を着せられていた[17][18]。1698年5月1日には、オーストリア領ネーデルラントの総督であったバイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルが衣装を贈った[46][5]。先述のルイ15世が贈った18世紀の服は、現存する最古級の衣装として知られる[4][31]

衣装の数が大きく増えたのは20世紀以降である[47]。1756年の目録では衣装は5組であったが、1918年から1940年までに約30点が贈られ、第二次世界大戦後に急増した。1994年には400点、2005年には750点、2016年には950点を超えた[48]。2018年には、ファッションデザイナーのジャン=ポール・レスパニャールが制作した1000着目の衣装が贈られた[49]

衣装の多くは、かつてブリュッセル市立博物館で展示されていたが[4][26]、2017年2月には、同じ通りのrue du ChêneEikstraat(「オークの木通り」)19番地に専用博物館「ガルドローブ・マネケンピス」が開館した[9][50]

衣装替えは、しばしばブラスバンドの演奏を伴う儀式として行われる。衣装には各国の民族衣装、職業や団体の制服、軍服、歴史的衣装のほか、ドラキュラミッキーマウスサンタクロースなどの現代的なものも含まれる[51]

通常時、小便小僧からは水が流れているが、民俗行事や特定のイベントでは、別の液体が流されることがある。サン=ヴェルハーゲン英語版メイブーム英語版の植樹などの行事では、像がビールの樽につながれ、像から流れるビールが通行人に配られることがある[6][52][53]

複製と模造

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ベルギー国内

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ヘラールツベルヘン英語版の小便小僧。

ブリュッセルの小便小僧が最もよく知られているが、ベルギー国内にも複数の小便小僧像がある。17世紀にはすでに、ブリュッセルの像は装飾的な複製の対象となっていた。ブリュッセル市立博物館には、1630年にジャック・ファン・デン・ブルックによって制作された複製が展示されている。これは、デュケノワの像から型を取ったものと考えられている[54]。類似像は、コクスアイデ英語版ハッセルトヘントブルッヘなどのフランドルの都市や、ワロン地域のブレーヌ=ラルー英語版にも見られる[55]

ヘラールツベルヘンの小便小僧は、ブリュッセルの小便小僧と「最古」をめぐってしばしば比較される[6][56]。伝承によれば、ヘラールツベルヘンでは1459年に小便小僧像が作られた[57]。一方、ブリュッセルでは1451–52年の文書に小便小僧とみられる噴水が記録されているため、現在の青銅像そのものは後世の作であっても、伝統としてはブリュッセルの方が古い可能性がある[16]

国外

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東京都浜松町駅ホームにある小便小僧。

20世紀以降、小便小僧の複製や模造は国外にも数多く作られた。ブリュッセル市から贈られた公式複製と、私的に制作された複製・模造とは区別される。公式複製は、フランスのコルマール、日本の大阪市モナコ、イギリスのロンドン、フランスのブロクセール英語版、スペインのベナルマデナ、日本の名古屋市などに贈られた[58]

フランスのポワチエの警察署ロビーには、第二次世界大戦中に同市が一時的にベルギー政府の所在地となったことを記念する複製が置かれている[59]。また、ブルガリアのスタラ・ザゴラ、デンマークのボーエンセ英語版、台湾の嘉義公園などにも類似像がある[60][61]

ブラジルリオデジャネイロには、Manequinhoとして知られる高さ約1メートルの類似像がある。この像は1908年に作られ、もとはブラジル国立図書館英語版前に置かれていたが、不道徳であるとの苦情を受けてボタフォゴFRの本部へ移され、同クラブのマスコットとして受け入れられた。重要な勝利の後には、ファンがこの像にクラブのユニフォームを着せることがある[62]

日本にも、ブリュッセルの小便小僧に由来するものや、同様の主題をもつ像が複数存在する。

  • 兵庫県伊丹市荒牧バラ公園にある像は、ベルギーハッセルトから贈呈されたレプリカ像である。
  • 徳島県三好市祖谷渓にある像は、ブリュッセルの小便小僧とは異なる由来をもつ。約200メートルの深い谷を見下ろす岩の上に立っており、かつて旅人が度胸試しにそこから放尿したという話にちなむ。像自体には放尿の設備はない。1968年、河崎良行によって制作された[63]
  • 東京都中央区大丸東京店には、かつて純金製の小便小僧が飾られていたが、1972年(昭和47年)1月22日に盗難の被害に遭ったため、現存しない[64]
  • 東京都港区浜松町駅構内のホームにも小便小僧が設置されている。この像は、港区のボランティア団体などにより、季節や行事に応じて衣装が替えられている[65]

類似像

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ブリュッセル中心部にある小便少女
ブリュッセルのヘット・ジネケ英語版

ブリュッセルには、小便小僧に関連する類似像も設置されている。1987年には、女性版とされる小便少女Jeanneke Pis、ジャネケ・ピス)が設置された。これは、ブリュッセル中心部に設置されている高さ約50センチメートルの青銅像で、しゃがんで放尿する少女を表している[66]

また、ヘット・ジネケ英語版は、片脚を上げて放尿する犬を表した青銅彫刻である。これは噴水ではないが、小便小僧への言及とみなされることがある。Zinnekeはブリュッセル方言で雑種犬などを意味し、「ブリュッセル出身ではないブリュッセル人」を指す語としても用いられる[67]

象徴性と大衆文化

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土産物として陳列されている小便小僧。

小便小僧は、ブリュッセルおよびベルギーの象徴として、広告、観光、土産物、文化的表象に広く用いられている[47][68]。その自嘲的な性格は、ベルジチュード英語版、すなわちベルギー的な自己認識や、ブリュッセルの民衆的ユーモアであるズワンズ英語版の例とみなされることがある[69][70]

周辺には土産物店が多く、小便小僧をかたどった真鍮ガラス繊維チョコレートなどの小型複製が販売されている。また、灰皿やコルク抜きなど、やや際どい意匠の土産物にも用いられている[71]

2001年には、アイルランドの格安航空会社ライアンエアーが、小便小僧の画像を「サベナ・ベルギー航空の高額運賃に腹が立っていますか?」と書かれたメッセージとともに広告に使用した。サベナはこの広告を問題視して訴訟を起こし、ライアンエアーは謝罪を命じられたが、ラインエアーは謝罪文に両社の価格比較表を添付していた[72][73]。サベナはその後、2001年に破産した[74]

漫画『ベルギーのアステリックス英語版』では、小便小僧へのユーモラスな言及が見られる。また、ブリュッセルで開催された『アステリックス』関連行事では、像にアステリックス風の衣装が着せられたことがある[75]

映画では、アルフレッド・マシャン英語版監督による1913年の短編映画『Saïda a enlevé Manneken-Pisフランス語版』に、小便小僧の小像が誘拐される場面が描かれる[76]。また、1995年のベルギー映画『Manneken Pis英語版』は、フランク・ファン・パッセル英語版監督によるコメディ・ドラマで、カンヌ国際映画祭で上映された[77]

脚注

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  1. 1 2 小学館『日本国語大辞典』.
  2. 1 2 3 小学館『デジタル大辞泉』.
  3. Ordre des Amis de Manneken-Pis 2025.
  4. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 Mardaga 1989, p. 263.
  5. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 De Roose 1999, p. 20.
  6. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 De Vries 2003, pp. 51–54.
  7. 1 2 Couvreur, Deknop & Symons 2005, p. 26.
  8. Patigny 2019, p. 101.
  9. 1 2 Reuters 2017.
  10. D'Osta 1986, p. 87.
  11. Patigny 2019, pp. 91, 125–126.
  12. Treffers-Daller 1994, p. 25.
  13. The Brussels Times 2019.
  14. The Brussels Times 2022.
  15. 1 2 Deligne 2003.
  16. 1 2 3 Deligne 2008, pp. 77–96.
  17. 1 2 Vautier, Houbrechts & Van Sprang 2012, pp. 129–142.
  18. 1 2 Patigny 2019, p. 96.
  19. Miller 1998.
  20. 1 2 Patigny 2019, pp. 96, 126.
  21. Culot et al. 1992, pp. 77–79.
  22. 1 2 3 Des Marez 1918, p. 143.
  23. De Roose 1999, p. 23.
  24. Patigny 2019, pp. 96–97.
  25. Des Marez 1918, p. 144.
  26. 1 2 3 4 5 6 De Roose 1999, p. 22.
  27. Heymans 2003.
  28. Deligne 2005.
  29. 1 2 Patigny 2019, p. 98.
  30. Heymans 2003, p. 12.
  31. 1 2 De Roose 1999, pp. 20–22.
  32. 1 2 Patigny 2019, pp. 98–99.
  33. 1 2 Heymans 2003, p. 13.
  34. Patigny 2019, p. 99.
  35. Patigny 2019, pp. 99–100.
  36. Couvreur, Deknop & Symons 2005, p. 40.
  37. Patigny 2019, p. 100.
  38. Patigny 2019, pp. 100–101.
  39. DH.be 2019.
  40. Hope 2019.
  41. 1 2 3 Willsher 2015.
  42. 1 2 Le Roy 1947, p. 14.
  43. Le Roy 1947, p. 15.
  44. 昭文社 2016, p. 30.
  45. Telegraph 2011.
  46. Henne & Wauters 1845.
  47. 1 2 Couvreur, Deknop & Symons 2005.
  48. Manneken-Pis.be 2017.
  49. McNally 2018.
  50. Brussels Museums 2017.
  51. Sileghem 2016.
  52. HLN 2010.
  53. 古屋 2005.
  54. Patigny 2019, pp. 93–94.
  55. Musée de l'Eau et de la Fontaine 2021.
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  58. Wonders of the World 2021.
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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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