尊属殺重罰規定違憲判決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
最高裁判所判例
事件名 尊属殺人被告事件
事件番号 昭和45(あ)1310
1973年(昭和48年)4月4日
判例集 刑集27巻3号265頁
裁判要旨
尊属殺人を定めた刑法200条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみに限っている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え、普通殺に関する刑法199条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法14条1項に違反して無効である。
大法廷
裁判長 石田和外
陪席裁判官 田中二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 村上朝一 関根小郷 藤林益三 岡原昌男 小川信雄 下田武三 岸盛一 天野武一 坂本吉勝
意見
多数意見 石田和外 岩田誠 村上朝一 関根小郷 藤林益三 岡原昌男 岸盛一 天野武一
意見 田中二郎 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 小川信雄 坂本吉勝
反対意見 下田武三
参照法条
日本国憲法第14条1項 刑法第199条 刑法第200条
テンプレートを表示
この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
  • 尊属殺重罰規定違憲判決[1]
  • 尊属殺違憲判決[2]
  • 尊属殺重罰規定判決[3]

尊属殺重罰規定違憲判決(そんぞくさつじゅうばつきていいけんはんけつ)とは、1973年(昭和48年)4月4日日本の最高裁判所刑法第200条(尊属殺)を憲法14条法の下の平等)に反し無効とした判決である。最高裁判所が法律を「違憲」と判断した最初の判例(法令違憲)である。尊属殺を重く罰すること自体は違憲としていない。

この裁判の対象となった事件は、1968年に栃木県矢板市で当時29歳の女性が、自身に対して近親姦を強いた当時53歳の実父を殺害した事件で、「栃木実父殺し事件[4]」「栃木実父殺害事件」などと呼ばれる。

事件の概要[編集]

1968年(昭和43年)10月5日、栃木県矢板市で、被告人の女性A(当時29歳)は実父B(当時53歳)を絞殺した。殺害の日まで、被告人Aは実父Bによって、10日間に渡り自宅に監禁状態にあり、最終的に口論の末に殺害したものである。

宇都宮地方検察庁が、被告人Aの家庭環境を捜査した所、[要検証]被告人Aが14歳の時から実父Bによって性的虐待を継続的に受けており、近親姦を強いられた結果、親娘の間で子を出産し、夫婦同様の生活を強いられていた事が判明した。

被告人Aが、その境遇から逃げ出さなかったのは、自分が逃げると、同居していた妹が同じ目に遭う恐れがあったからであった。そうした中、Aにも職場で7歳年下の相思相愛の相手が現れ、正常な結婚をする機会が巡ってきた。その男性と結婚したい旨をBに打ち明けたところ、Bは激怒しAを監禁した。その間BはAに性行為を強要した上、罵倒するなどしたため、Aは思い余って腰紐でBを絞殺するに至った。

なお、下野新聞などの報道機関は、この様な事情を把握していたが、内容が常軌を逸していたためか、事件当時には殆ど報道されなかった。[要検証]

裁判[編集]

被告人の弁護人を務めた大貫大八は、国選ではなく、無報酬(金銭の代わりにジャガイモを差し出した)の私選弁護人であった[5]これは、国選では各審の度に弁護人が選任しなおされるため、弁護方針が一貫できないことを危惧したためであった。後に控訴審で大八が健康を害したため、[要検証]息子の大貫正一に交代した[5]

なお1950年(昭和25年)10月11日の最高裁判決において熾烈な議論の末、大法廷にて13対2で尊属殺人を含む尊属加重刑罰は「人倫の大本、人類普遍の原理」という理由で、日本国憲法により禁止された規定ではないと判決が下され[6]、同年10月25日の最高裁判決で改めて尊属殺人が合憲と下された[7][8]。その後も年平均34件の尊属殺合憲判断が積み上がっていた[5]

選択できる刑の範囲[編集]

刑法第200条は[9]、被害者が被疑者の父母、祖母祖父などの直系尊属である場合における、普通殺人罪の加重罪であった。普通殺人罪(刑法第199条[10])が定める法定刑に比べ、尊属殺人罪が定める法定刑は「死刑又ハ無期懲役」しか選択できず、極めて重かった[11]

本件を論ずる前提として、法定刑から処断刑に至る経緯を説明する。裁判所は、刑法典に規定された法定刑の範囲の刑を元にして、二回加重減軽を加えることにより、処断刑を言い渡す。これを本件について述べれば、尊属殺人罪の法定刑のうち軽い無期懲役を基礎として、まず被告人の心神耗弱による減刑(法律上の必要的減軽、刑法第39条第2項[12])を加えると、刑法第68条により[13]、無期懲役は懲役七年となり、次いで二度目の減軽(酌量減軽、刑法第66条[14])を加えても、懲役3年6月となり、これが処断刑の下限である。

執行猶予を付すには、処断刑が懲役三年以下でなければならない(刑法第25条[15])から、このままでは、本件被告人に執行猶予を付すことは出来無いことになる[11]

裁判所における判断[編集]

上記の観点を元にして、各審級の裁判所は以下のように異なる判断を下した。

  • 一審の宇都宮地方裁判所は、刑法200条を違憲とし、刑法199条(殺人罪)を適用した上で、情状を考慮し過剰防衛であったとして刑罰を免除した。
  • 二審の東京高等裁判所は、同条は合憲とし、その上で最大限の減刑を行い、かつ未決勾留期間の全てを算入して、懲役3年6月の実刑を言い渡した。
  • 終審の最高裁判所大法廷は、従来の判例を変更し同条を違憲と判断した上で、刑法199条を適用し懲役2年6月、執行猶予3年を言い渡した。

最高裁判決の多数意見は、尊属殺人罪を普通殺人罪と別途に設けること自体は違憲とせず、執行猶予が付けられないほどの重罰しか規定しないことを違憲とするものであった[16]

本判決は大法廷で審理され、15名の裁判官による判決であるが、下田武三のみは、尊属殺に関する法定刑の加重の程度は立法府の判断に委ねるべきこととして、同規定を違憲とする結論に反対している。また、6名が違憲との結論には賛成するものの、尊属殺人罪自体を違憲としている。

他の二件[編集]

本件の最高裁判決と同日の4月4日に、秋田県大館市での姑に対する尊属殺人未遂事件と、奈良県橿原市での養父に対する尊属殺人事件に判決が下り[17]秋田県の事件は懲役2年執行猶予3年[18]奈良県の事件は懲役2年6か月[19]に減刑となった。

評価・説明[編集]

本件の最高裁判決日に行われていた刑法学会では、違憲立法審査権の発動を評価する声が多かった[20]。また、1950年(昭和25年)の合憲判決を下した当時の最高裁判所裁判官で、合憲を主張した齋藤悠輔は判決に批判を加え、違憲を主張した真野毅は判決を評価した[20]

判決で目的が違憲であると主張した田中二郎自身は、戦後直後に違憲とすることに慎重な意見を示していた。また少数意見は、全体のコンセンサスを形成するより原理的な思考を展開しており意見の立場が多様なものとなっている。[21]

下田武三の合憲の意見に対しては人権感覚、憲法感覚が憲法の理念とかけ離れているとの批判がくわえられた[22]

高橋和之は、多数意見の立場から考えれば適用違憲で判決を下すことができそのほうが考えにより適合すると考えられなくもないが、重罰規定が平等権の侵害となるような違憲的事例とならない合憲的事例を明確に線引きできないため不可能だと説明している[23]

喜田村洋一は、最高裁昭和39年5月29日第二小法廷判決(奥野健一山田作之助城戸芳彦石田和外の全員一致)や、最高裁昭和42年11月21日第三小法廷判決(田中二郎下村三郎松本正雄の全員一致)において同罪を合憲と解していた3人の判事がこの判決で違憲であると突然に解釈を変えた理由については何も明らかなっていないと述べている。また、尊属重罰規定の憲法適合性が最高裁で問題にされた例は少なく、たとえ問題にされた場合にも尊属加重が違憲であるとの述べる判事は昭和29年1月20日大法廷判決の真野毅裁判官以外に昭和25年大法廷判決以降にはいなかった。そんな中で下されたこの判決は異例であると述べている。ちなみにこの事件は第二小法廷に係属したが大法廷に回付されたという[24]

内閣法制局林修三はこの判決を次のように評価している[25]

  • 多数意見は苦心と妥協の産物であり筋が通っておらず弱い。大岡裁きのような見解である。身分道徳制度の維持を図る性格が含まれるが、それによって尊属殺を重く裁くことを違憲とはしていない。いかなる理由付けをするにしても法定刑が法の下の平等に反するとするには弱い。そのようなことは憲法論とはなりえない。もし法定刑の重さを問うなら田中二郎判事が指摘するように残虐な刑罰の禁止(憲法36条)か法定手続き保障規定(憲法31条)で論ずるべきである。
  • 少数意見は一貫しているが、孝という道徳を法律にすることは好ましくないというが違憲を主張するにはその道徳が憲法の趣旨に合わないといわねばならない。尊属殺の規定は子の親への孝行を法律で強制しているのではなく、子の親殺しという異常な一般の倫理感情に合わないものを罰するだけであり、なぜ尊属殺をおかした子の人格に憲法上許可されないような理由のない非合理な差別をしたことになるのか疑問である。
  • 合憲の意見は最も筋が通っているが司法の謙抑性と違憲審査権については書きすぎである。尊属に対する加害行為に重罰を科すことは議論が分かれるが、それは立法政策で問題になることであり憲法上の問題とはなりえない。もしも違憲とするならば、現代社会において否定しえない孝という概念をすべて否定しなければならない。また、本件判決が下ったのは事件が異常だったからであり憲法上の議論で解決を目指すのは筋が違う。

その後の経過[編集]

本件以降、法務省は日本国憲法に違憲との確定判決を受けて、尊属殺であっても一般の殺人罪である刑法199条を適用する運用を行うよう通達を出し、親族間の殺人事件である尊属殺人罪適応対象の事案についても殺人罪が運用され、尊属殺人罪は死文化された。

そして、1995年に刑法が改正(平成7年法律第91号)された際に、歴史的仮名遣から現代仮名遣いに変更されると同時に、傷害罪等他の尊属加重刑罰と共に同条は削除された。

最高裁判決確定後既に尊属殺人罪で受刑中の受刑者に対しては個別恩赦により刑の減軽がなされた。

大貫弁護士の元には確定後も元被告人の女性より連絡が届いていたが大貫氏よりいつまでも引きずらずに新しい人生を歩むよう促されその後女性は連絡を絶っている[要出典]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 芦部信喜 著、高橋和之 補訂『憲法〔第6版〕』岩波書店、2015年、140頁。
  2. ^ 『法学教室』305号、2009年、10-11頁
  3. ^ 『憲法判例百選Ⅰ』有斐閣、2013年、60頁。
  4. ^ 別冊宝島編集部「戦後”異常”殺人事件史」(宝島SUGOI文庫)
  5. ^ a b c 神田憲行 (2016年3月16日). “「父殺しの女性」を救った日本初の法令違憲判決ー憲法第14条と「尊属殺人」”. 日経ビジネス (日経BP). http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/120100058/120200001/?P=2 2017年3月21日閲覧。 
  6. ^ 昭和25(あ)292
  7. ^ 昭和24(れ)2105
  8. ^ 夏樹静子『裁判百年史ものがたり』文春文庫、2012年
  9. ^ 自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス(平成7年法律第91号による改正前)
  10. ^ 人ヲ殺シタル者ハ、死刑又ハ無期若クハ三年以上ノ懲役ニ処ス(平成7年法律第91号による改正前)
  11. ^ a b 刑法概説 各論 大塚仁 15, 16頁
  12. ^ 心神耗弱者ノ行為ハ其刑ヲ減軽ス(平成7年法律第91号による改正前)
  13. ^ 法律ニ依リ刑ヲ減軽ス可キ一個又ハ数個ノ原由アルトキハ左ノ例ニ依ル(1号省略)
    2号 無期ノ懲役又ハ禁錮ヲ減軽ス可キトキハ七年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮トス(1回目の減刑時に適用)
    3号 有期ノ懲役又ハ禁錮ヲ減軽ス可キトキハ其刑期ノ二分ノ一ヲ減ス(2回目の減刑時に適用)
    (以下省略)(平成7年法律第91号による改正前)
  14. ^ 犯罪ノ情状憫諒ス可キモノハ酌量シテ其刑ヲ減軽ヲ為スコトヲ得(平成7年法律第91号による改正前)
  15. ^ 左ニ記載シタル者三年以下ノ懲役若クハ禁錮又ハ五十万円以下ノ罰金ノ言渡ヲ受ケタルトキハ情状ニ因リ裁判確定ノ日ヨリ一年以上五年以下ノ期間内其執行ヲ猶予スルコトヲ得(以下省略)(平成7年法律第91号による改正前)
  16. ^ 昭和45(あ)1310 (PDF) p.6
  17. ^ 『朝日新聞』昭和48年4月4日付夕刊、第2面。
  18. ^ 昭和44(あ)916 (PDF)
  19. ^ 昭和45(あ)2580 (PDF)
  20. ^ a b 『朝日新聞』昭和48年4月4日付夕刊、第11面。
  21. ^ 渡辺康行、木下智史、尾形健著『憲法学からみた最高裁判所裁判官70年の軌跡』日本評論社、2017年、119頁
  22. ^ 戸松秀典著『憲法訴訟』2000年、443頁
  23. ^ 高橋和之『憲法判断の方法』1995年、225-227頁。
  24. ^ 大林圭吾、見平典編著『最高裁の少数意見』成文堂、2016年、64-65頁
  25. ^ 林修三著『判例解説「憲法編」』第4巻、ぎょうせい、1989年、227-231頁

参考文献[編集]

  • 大塚仁 『刑法概説(各論)改訂増補版』 有斐閣、1992年ISBN 4-641-04116-4

関連文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]