対清弁妄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

対清弁妄』(たいしんべんもう)は、荒尾精の最後の著作(1895年3月出版)。日清戦争後、日本は国に対し領土割譲や賠償金を要求すべきではないと訴えた[1]

荒尾精

概要[編集]

荒尾は日中両国が互いに貿易を盛んにして国力を強くし、日中が連携して西欧列強の侵略に対抗しなければならないと構想していた[2][要ページ番号]。日清戦争はこの「協同防御の大義」を理解しない腐敗した清王朝を倒す「義戦」であり、勝利後は中国を改造して、日中連携を図るべきであると主張した [3][要ページ番号]。もし日本がこの「大義」を忘れ、勝利の余勢を駆って清国に対し領土割譲や賠償金を要求すれば、西欧列強も必ず介入して同様の要求をし、結果として清国は四分五裂し大混乱に陥って、「日中連携」「貿易富国」は達成できなくなることを危惧した。しかし、荒尾の訴えは当時の日本の政府と世論には届かなかった。荒尾の予言通り、1895年(明治28年)4月西欧列強(ドイツ、フランス、ロシア)による三国干渉を惹起し、遼東半島を清に返還せざるを得なくなった。一方、列強はこの干渉以降、中国の分割支配に本格的に乗り出すことになった。列強は清に対して対日賠償金への借款供与を申し出て、その見返りに次々と租借地や鉄道敷設権などの権益を獲得していった。

抜粋[編集]

以下に「対清弁妄」における重要な記述を抜粋した[4][要ページ番号]。できるだけ現代語に改めた。

およそ物には先後の順序がある。時に緩急の時機がある。領土大割譲の事は、しばしの間その正義不正義をあえて問わないとしても、これを今日に行うとするのは、はたして順序と時機とを得たものだろうか。

明治政府が文明開化の風を奨励すること二十余年、政府も民間も等しく西洋の文物を取り入れるのに急であり、東亜(東アジア)の事物を全く顧みず、東亜の安危興亡はほとんど第一に清国の治乱向背によって分るはずであるにもかかわらず、我国の人々が清国を見るのは、越人が秦人の肥瘠を見るよりも冷淡であり[注釈 1]、戦争状態となっている今日に及んでも、なお未だ中国の実力真相を見ようとしないというひどい状態である。幸いに英明な大元帥陛下の御威徳と、歴代天皇が数千年間に渡って陶養された忠勇尚武の元気に頼り、海陸に勝利を得ることができたと言っても、国民が東洋の将来の経営に対して必要な準備と覚悟とは、まだ一つとして備わってはいない。それに加えて西洋列国の東洋における二十余年の経営を見ると、外交や軍備に、貿易工業の実利に、慌ただしく活動して不完全な点はなく、いわゆる西力東漸の趨勢は潮の海に涌くがごとく、その意志を養い機会を覗う情勢は、虎の嶋を負うがごとく、殊に中国の景勝肥沃の地は、あたかも彼等が涎を垂らし牙を嗚らして、瞬時も視線を転じないところである。

この時に当たって、沿海の小さな島々を移動するも、たちまち東洋の過機(災難が生じるきっかけ)を発生させるに十分である。まして今一省または多省の景勝地や肥沃な土地を取り上げて、我国の領土に加えようとしている。これが果して時の機宜を得るものと言えるであろうか。ことに国民の覚悟と準備と、未だ整頓せずして、ついにこの一大難事を成功させようとしている。これが果して物の順序を誤っていないと言えるだろうか。

我国は連勝の余勢をもって、これを求め、清国は連敗の余喘をもってこれに応じている。求める所が大きいとはいえ、応じる者は拒むことができないとは、議者の想像する所であろう。思うに清国自身が抵抗する力を失っているということであろう。

我国だけが知らないのかもしれないが、その涎を垂らし牙を鳴らして虎視眈々としている列強諸国が、はたして手をこまねいて座視し我国のなすがままにさせておくだろうか。あの英国は、平壌黄海の勝利の知らせが達するか達しないかの時に、早くも連合干渉の議を提起したではないか。当時他の諸強国がその議に賛同しなかったといっても、どうして彼らが皆我国の大胆な行動を許すだろうか。英国の提議は一旦は敗れたと言っても、他国の提議が再び出ないとは保証できない。連合干渉の議は、一旦退けられたと言っても、単独干渉の策が陰で実行されないとは保証できない。交戦中の干渉案はしばらくは頓挫したと言っても、決戦後の干渉案は、相次いで試みられないとは保証できない。いったん干渉が四方に起り、ごたごたして収拾できない状態になるならば、我国は一体どのようにしてその希望を遂げようとするのか。名目が正しく物事の手順も正しく、少しも非難するところはないとしても、それでもいろいろ食い違って容易にその目的を遂げることができないことを恐れる。それなのに、まして名と事といまだ全く正順を得ていないものを。

今一歩を退いて、我国はよく百難を排して領土割譲の希望を遂げるべきであると仮定しても、他の列強諸国がどうして我国だけが利益を得ることを許すであろうか。

さきに英国が協同干渉の議を発したときに際し、他の諸強国がこれをしりぞけたのは、全く英国が優先的利益を独占するのを忌避したからではないか。この推量から考察すれば、もしある日我国が清国の一省を取ったとしても、すぐに彼等も各一省を取らないならば満足しないであろう。自国に有利な方面を切り取るのではないか。すなわち彼等もそれぞれ、その利便とする地域を切り取らないならば満足しないであろう。これを要するに我国が領土大割譲を求める時は、すなわち列国が中国分割の野望を行うの暁であり、我国が一省一郡を領得するの日は、すなわち清国が四分五裂して豺狼の爪牙に掛かるの秋である。そもそも清国はすでに四分五裂に陥っている。赤毛碧眼の異種族は、中原に跋扈している。この時に当たって一省一島の新領は我国に何の利益があろうか。我国一国だけでは何事もできず、東洋の大事はついに為すことができないであろう。

さらに、誠実で優しい心をもって相手の苦しみを取り除き安楽を与えることが緊急を要し、これをどうしてもやらなければならないという時期でないのならば、領土割譲の事はまだ急いて求めるべきではない。

もしいたずらに戦勝の威勢に任かせて、敵国の失勢に乗じ、彼の土地人民を奪って我国の領土拡大を意図するならば、それは後患の伏する所、禍根の芽生える所であり、必ず戦慄すべきものとなるであろう。

[独自研究?]

注釈[編集]

  1. ^ ひせき、太っていることと痩せていること。越の人は、遠く離れている秦の人の肥瘠を見ても何とも思わないことから、自分に関係のないものは何とも思わないたとえ。出典:韓愈-諍臣論

関連項目[編集]

  • 下関条約 - 1895年(明治28年)4月、清国は日本に対し、遼東半島、台湾、澎湖諸島を割譲し、賠償金2億テールを支払うことが決まった
  • 露清密約 - 1896年(明治29年)6月、日清戦争後にロシアと清の間で締結された秘密条約。日露戦争の遠因となった。

参照元[編集]

  1. ^ 藤田佳久、「日中に懸ける、東亜同文書院の群像」、中日新聞社
  2. ^ 大学史編纂委員会 『東亜同文書院大学史:創立八十周年記念誌』 滬友会、1982年。 
  3. ^ 大里浩秋、漢口楽善堂の歴史(上)
  4. ^ 井上雅二『巨人荒尾精』佐久良書房、1910年。