寛政三美人

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『寛政三美人 (当時三美人)』
Colour print of three young Japanese women dressed in fine kimonos
作者喜多川歌麿
製作年c. 1793 (c. 1793)
種類錦絵
寸法37.9 cm × 24.9 cm (14.9 in × 9.8 in)

寛政三美人(かんせいさんびじん)または当時三美人(とうじさんびじん)は、江戸時代浮世絵師喜多川歌麿による美人画[1][2]、彼の代表作の1つ[3]。当時、「寛政の三美人」として人気の美女3人であった、富本豊雛難波屋おきた高島屋おひさを描いた優雅で華やかな美人画[4][5][6]高名三美人と呼ばれることもある[7]。大判[8]寛政5年頃のもの。

喜多川歌麿は、1790年代の美人画を代表する浮世絵師であり、大首絵が有名である。寛政三美人のモデルとなった3人は、歌麿の肖像画の題材としてよく登場した。モデルの各人には識別のための家紋が描かれている。肖像画は理想化されており、一見して顔が似ているように思われるが、顔立ちや表情に微かな違いが見受けられる。当時の浮世絵としては異例の写実性であり、鈴木春信鳥居清長などの過去の巨匠による型にはまった美人画とは対照的なものである。蔦屋重三郎により出版され、色ごとに分けられた多くの木版により刷られ、背景には白雲母がちりばめられ、きらめく効果が生まれた。非常に人気があったと考えられ、三者の配置は1790年代の流行となった。歌麿は、同じ美人3人の同じ配置の絵画をいくつか描いており、3人全員が歌麿や他の芸術家による多くの肖像画に登場している。


脚注[編集]

  1. ^ 『原色浮世絵大百科事典 第7巻 作品2 清長―歌麿』山口桂三郎,浅野秀剛/執筆 日本浮世絵協会原色浮世絵大百科事典編集委員会/編 大修館書店/発行 1980年 p.96(7218/L160/7)
  2. ^ 『数のつく日本語辞典』森睦彦/著 東京堂出版/発行 1999年 p.99(0315/6/99)
  3. ^ 『江戸東京学事典』小木新造/他編 三省堂/発行 1991年 p.433(2913/11/91)
  4. ^ 『江戸学事典』西山松之助/他編 弘文堂/発行 1984年 p.404(2136/356/84-S0)
  5. ^ 『繪本水茶屋風俗考』佐藤要人/著 有光書房/発行 1977年 p.219(3849/23/77)
  6. ^ 『別冊太陽 No.245 歌麿』浅野秀剛/監修 平凡社/発行 p.32
  7. ^ 『増訂武江年表 2 東洋文庫 118』斎藤月岑/著 金子光晴/校訂 平凡社/発行 1983年 p.19(2136/323/2)
  8. ^ 『原色浮世絵大百科事典 第1巻 歴史』日本浮世絵協会原色浮世絵大百科事典編集委員会/編 大修館書店/発行 1981年 p.77(7218/L160/1)

参考文献[編集]

関連項目[編集]