富有

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富有
Fuyu-gaki genboku.jpg
原木
分類
: 植物界 Plantae
: 被子植物門 Magnoliophyta
階級なし : 真正双子葉類 eudicots
階級なし : コア真正双子葉類 Core eudicots
階級なし : キク類 asterids
: ツツジ目 Ericales
: カキノキ科 Ebenaceae
: カキノキ属 Diospyros
: カキノキ D. kaki
品種 : フユウ
学名
Diospyros kaki 'Fuyu'
和名
フユウ(富有)

富有(ふゆう)または富有柿(ふゆうがき)は、甘品種の1つである。

特徴[編集]

晩成の代表品種で11月中下旬が収穫期になる。完全甘柿で甘みが強く、肉厚、果肉が柔らかい、280グラム程度になるよう栽培出来るのが特徴。花は雌花のみが着き、単為結果性がやや低いため、安定生産のためには受粉の必要がある。早期落果性も後期落果性も低い[1][2]

栽培[編集]

現在では、西日本を中心に各地で栽培され、甘柿で最も生産量が多い。発祥の地である瑞穂市とその周辺の揖斐郡大野町池田町揖斐川町本巣市大垣市岐阜市などでも生産は盛んである。

由来[編集]

富有記念碑
富有記念碑全景と原木

1820年文政3年頃、小倉ノブが御所柿を現在の瑞穂市居倉にあった家屋近辺に植樹した[3]1857年安政4年)、小倉ノブの孫である小倉初衛が御所柿の栽培を始めた[3]。 当初は「居倉御所」と呼ばれていたが、『在来種飯倉御所の中で、小倉長蔵方のものが味・形ともに優れていることに着目した居倉の福島才治』(巣南町史878頁16-17行を引用)[4]が1884年から接木による栽培に成功した。 福嶌才治により、「礼記」中「富有四海之内」の1文から2字を取り「富有」と名付けられ、品評会を通じて世に問われた。命名については福島は「福寿」と「富有」の二案があり、久世亀吉(当時:川崎尋常小学校校長)に相談をした(久世神吉では無く興津園芸試験場の恩田技師であるという説もある。)[2][4][5]

1929年昭和4年)、原木は天神神社脇に移され一時枯れたが、翌年根元から芽が吹き現在でも葉を茂らせている。

沿革[編集]

  • 1820年文政3年頃) :小倉ノブが御所柿を現在の瑞穂市居倉にあった家屋近辺に植樹[3]
  • 1857年安政4年) :小倉初衛により栽培が始められる[3]
  • 1884年明治17年) :福嶌才治が小倉初衛所有の御所柿の枝で接ぎ木を試みる[3]
  • 1897年明治20年) :福嶌才治が家督を相続し柿栽培の研究を開始[3]
  • 1897年明治30年) :皇太子(後の大正天皇)が岐阜県に行啓の折、御所柿が献上されている。[3]
  • 1892年明治25年) :福嶌才治が栽培した柿を品評会に出典し1等に入選する[3]
  • 1898年明治31年) :柿の名前を「富有」に統一する[6]
  • 1898年明治32年) :岐阜県農会主催の第1回蔬菜果実品評会にて1等に入選する[6]
  • 1898年明治32年) :岐阜県知事の野村政明に認められ、県の柿における奨励品種になった[6]
  • 1903年明治36年) :岐阜県農会第2回蔬菜果実品評会が開催。宮内大臣、農商務大臣が揃って来場。富有柿については、天皇に献上するよう大臣から県知事に対して指示があった[6]
  • 1904年明治37年) :富有柿一籠が天皇家に献上される[6]
  • 1919年大正8年) :福嶌才治逝去[7]
  • 1929年昭和4年) :原木が現在地に移植される。夏に芽が出ず枯死したと思われた[7]
  • 1930年昭和4年) :翌年、原木の根元から芽吹いた[7][8]
  • 1972年昭和47年) :「富有柿発祥の地」碑が建立される[8]
  • 1980年昭和55年) :巣南町(現在の瑞穂市)の天然記念物に指定される。現在は瑞穂市の天然記念物に指定されている[9]
  • 1988年昭和63年) :変異種のすなみ柿が新品種に認定される[10]
  • 2008年平成20年) :袋掛け富有柿のブランド名が果宝柿に決まる[11][12]

出典・引用等[編集]


脚注[編集]


外部リンク[編集]