冨士大石寺顕正会

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顕正会
設立年 1942年
設立者 浅井甚兵衛
種類 宗教法人
地位 新興宗教
本部 日本の旗 日本 埼玉県さいたま市大宮区寿能町1-72-1(事実上)
日本の旗 日本東京都板橋区常盤台1-14-1(登記上)
公用語 日本語(国内の会館)、中国語繁体字(台北会館)
会長 浅井昭衛
ウェブサイト http://www.kenshokai.or.jp/

冨士大石寺顕正会(ふじたいせきじけんしょうかい)は、埼玉県さいたま市大宮区寿能町(登記上東京都板橋区常盤台)に本部を置く仏教新興宗教団体である。大石寺正本堂建立時に発生した国立戒壇の教義解釈の違いが原因で日蓮正宗から解散処分[1]を受けた妙信講の後身。宗教法人法に基づく届出名は宗教法人顕正会。現在の代表役員は浅井昭衛。旬刊の機関紙『顕正新聞』を発行。2017年4月末現在の公称会員数は約188万8千人。[2]

なお、蓮田病院を運営する医療法人顕正会(けんせいかい)、及び静岡県で複数の歯科医院を運営する医療法人社団顕正会(けんせいかい)は別団体であり、蓮田病院は公式ホームページで当教団と無関係であることを明記している[3](医療法人社団顕正会は明記していない)。

歴史[編集]

第二次世界大戦下の1942年(昭和17年)[4]日蓮正宗妙光寺東京都品川区)の総代だった浅井甚兵衛が初代講頭となり、妙光寺所属の法華講の一講中として結成した東京妙信講が前身。当時は戦時下のため折伏弘通は困難を極めたが、甚兵衛は事業経営のかたわら、寸暇を惜しんでは講員を励まし、弘通を進めた。

浅井親子らは妙光寺から豊島教会(現・妙国寺板橋区)へと所属変えを行い、その後に法道会(現・法道院。東京都豊島区池袋)へと所属を変えたが、住職の申入れを受け、法道会法華講と合併するため発展的に解散。

その後、法道会から離脱[5]し、妙信講を発足する[6]が、やがて創価学会が中心となって寄進・建立した正本堂の教義上の位置づけをめぐり日蓮正宗・創価学会と激しく対立するようになる。

  • 1958年(昭和33年)
    • 1月15日 妙信講設立。大石寺第65世法主堀米日淳の配慮により宗門内では極めて異例の認証式が行われ、妙縁寺(東京都墨田区吾妻橋)所属となった。講頭に甚兵衛、青年部長に甚兵衛の長男である昭衛、松本日仁と早瀬道応(後の日慈、大石寺第68世法主早瀬日如の実父)が指導教師に就任。本部は当時、東京都文京区にあった甚兵衛の自宅に置かれた。顕正会は前年8月に発足したとしている[7]
  • 1963年(昭和38年)
    • 10月31日 機関紙「顕正新聞」が日蓮正宗と創価学会からの圧力を受け、廃刊。これに代わる機関誌として月刊『富士』が創刊され、その編集長に昭衛が就任。
  • 1967年(昭和42年) 10月 正本堂発願式。席上、池田大作は、「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり」と宣言[8]
  • 1968年(昭和43年) 1月 細井日達が、「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」と発言[9]
  • 1970年(昭和45年)

3月25日 日蓮正宗の宗務役僧、及び創価学会首脳に対し、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」を送付[10]

4月3日 浅井父子が大石寺大奥の対面所で第66世細井日達と対面。日達は、正本堂が日蓮大聖人の御遺命の戒壇ではないこと、御遺命の戒壇とは国立戒壇であることを認め、正本堂の誤りを訂正することを約束[11]

5月29日 浅井父子が大石寺対面所で創価学会の秋谷栄之助、森田一哉、和泉覚と正本堂の意義につき論判。数日後、森田らは細井日達に対し、今後学会は「正本堂は御遺命の戒壇」「広布はすでに達成」とは言わない旨を誓約[12]

9月11日 妙信講と創価学会との間で、「一、正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄にいうところの最終の戒壇であるとは、現時において断定はしない」等と記載された「御報告」と題する書面を作成[13]

  • 1971年(昭和46年)11月15日 創価学会々長(当時)池田大作に対し、「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」と題する書面を送付[14]
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月28日 細井日達が、「日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす。正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」との訓諭を発布。妙信講は、同日、池田大作に対し、正本堂の意義につき公場対決を申し入れる書状を送付[15]
    • 7月6日 浅井父子が妙縁寺で細井日達と対談。妙信講の申入れにより、日達は訓諭の内容を打ち消す解釈文を宗門機関誌「大日蓮」に掲載することを約束[16]
    • 7月19日 細井日達が大石寺において浅井父子に訓諭の訂正文を交付。日達は、昭衛の指摘を受けて文言を数ヵ所修正し、「大日蓮」8月号に掲載することを約束。しかし、日達は後日、この約束を取り消した[17]
    • 9月13日 浅井父子(主に昭衛)が学会代表の秋谷栄之助、原島嵩、山崎正友との間で、宗門末寺常泉寺において、同月28日まで計7回にわたり、正本堂の意義につき論判。その結果、秋谷らは、正本堂の意義を訂正する文を聖教新聞に掲載することを約束[18]
    • 10月1日 正本堂完工式。宗門・学会はこの席にキリスト教神父数名を参列させた[19]
    • 10月3日 創価学会が聖教新聞(同日付)紙上に正本堂の意義を訂正する文を掲載。「現在は広宣流布の一歩にすぎない。したがって正本堂は、なお未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇の完結ではない。ゆえに正本堂建立をもって、なにもかも完成したように思い、ご遺命は達成してしまったとか、広宣流布は達成されたなどということは誤りである」等[20]
    • 10月12日 正本堂落慶法要。池田大作は、聖教新聞(10月3日付け)掲載の訂正文に反し、参列した全学会員に対し、副会長・福島源次郎を通して、「本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」とのメッセージを伝えさせた[21]
  • 1973年(昭和48年)
  • 1974年(昭和49年)
    • 5月19日 妙信講第十六回総会を開催。席上、昭衛は「御遺命守護のご奉公未だ終わらず。徹底してその悪を断ち、法のため、国のため、国立戒壇を宗門の公論とせねばならぬ。師子王の心を取り出し、国立戒壇への怨嫉をこの際徹底して打ち砕き、さらに政府への詐わりの回答も断じて訂正せしめる」等と述べた[22]。また、昭衛が理事長に就任、甚兵衛から組織の全権を委任される。
    • 7月28日 明治公園で「立正安国野外集会」開催。3,000人が参加し、創価学会本部までデモ行進。
    • 8月12日 宗門管長の日達より講中解散処分を受ける。宣告書の処分理由には、「右妙信講は数年来、『国立戒壇の名称を使用しない』旨の公式決定に違反し、更にまた昭和四十七年四月二十八日付『訓諭』に対して異議を唱え・・・」と記載されていた。[23][1]
    • 10月4日 男子部員12人が創価学会本部で「牙城会」のメンバーと乱闘したとして、警視庁機動隊現行犯逮捕された[24]
    • 11月4日、講頭・甚兵衛、理事長・昭衛(いずれも当時の役職名)、幹部と男子部員ら33名が、創価学会本部を襲撃したとして日蓮正宗から信徒除名処分にされる。
  • 1975年(昭和50年)
    • 「宗教法人 顕正寺顕正新聞社」設立登記。妙信講は顕正寺を頂点とする信徒の団体として再出発。
    • 8月20日 甚兵衛が講頭を退き、第2代講頭に昭衛が就任。
  • 1977年(昭和52年)
    • 4月14日 創価学会との法廷闘争で、東京地方裁判所において和解成立。和解の内容は、①今後、妙信講の本部会館の御本尊の返還を求めないこと、②今後、「日蓮正宗妙信講」と書かれた本部会館の看板撤去を求めないこと、③新しい寺院(顕正寺)を妙信講のために立てること、の3つを条件として、創価学会の訴え取下げに同意する、というもの。昭衛は同月26日の総幹部会において「まさに事実上の全面勝利である」と述べた[25]
  • 1978年(昭和53年)
  • 1982年(昭和57年)
  • 1985年(昭和60年)
    • 四者体制(男子部、女子部、婦人部、壮年部)が確立。
    • 『日蓮大聖人御書全集』の発刊を発表[26]1995年にも発表するが、未だ発刊はされていない[27]
  • 1986年(昭和61年)
    • 4月 再び日本武道館で幹部大会開催。
  • 1990年(平成2年) 4月27日 顕正会20万達成を背景として、第67世阿部日顕に対し、「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」と題する一書を送付[28]。 7月8日 横浜アリーナで2万人の大総会を開催。席上、昭衛は、「もし池田大作が本門寺改称を強行するならば、そのとき全顕正会員はこぞって大石寺に総登山しよう。二十万顕正会の全員が戒壇の大後本尊様の御前に馳せ参じ、大石寺の境内を埋めつくし、信心の力を以て本門寺改称を断固粉砕しようではないか」と述べた[29]。   10月12日 大石寺開創七百年慶讃大法要。席上、阿部日顕は、「大本門寺の寺号公称は、事の戒法の本義更に未来に於て一天四海に光被せらるべき妙法流布の力作因縁に依るべし」と発言[30]。この発言を受けて、昭衛は同月の総幹部会において、「ここに本門寺改称の陰謀は、御本仏日蓮大聖人の御威徳と、大聖人に忠誠を誓い奉る顕正会の捨身の決意により、ついに粉砕された」と述べた[30]
  • 1992年(平成4年)
    • 8月28日 信者2人が高校生を車に押し込んで顕正会事務所に連れ込んで拉致し、入信願書に署名・押印させたとして、強要の疑いで千葉県警柏警察署に逮捕された。2人は「入信させて、幸福にしてやりたかった」と供述したという。警察によると、1人の高校生からの苦情が発端で、1991年6月からこの日までに柏市のほか、野田市鎌ケ谷市市川市、茨城県牛久市の男子高校生ばかり17人が、同様の被害を受けていたことが発覚したとして(犯行はいずれも土、日曜日にかけてで、時間は午後から夜半までの間。部活動や塾帰りなどを狙っていたという)、関連を調べた。[31]顕正会側は不当逮捕であると主張。
    • 11月 阿部日顕に対し、「直ちに戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉るべし。御遷座こそ誑惑の完全なる清算である」等と記した諌暁書を送付[32]
  • 1993年(平成5年)
  • 1996年(平成8年)
    • 11月18日 「宗教法人顕正寺」の後身となる新法人が文部省から宗教法人の認証を取得。「宗教法人顕正会」が発足。
    • 12月22日 法人認証直後の総幹部会で昭衛が「日蓮正宗顕正会」の名称を「冨士大石寺顕正会」に改めると発表。
  • 1997年(平成9年) 第1回目 一国諫暁開始。
    • 7月16日 初の諫暁書「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」を、昭衛の著者名義で発行。発売にあたり、日本の主な新聞51紙に全面広告を打つが、朝日新聞東京本社広告局は受け付けなかった。この書籍は、顕正会員によって広く全国に配布された[33]
  • 1998年(平成10年)
    • 4月5日 本門戒壇の大御本尊が正本堂から元の奉安殿に御遷座[34]
    • 4月10日 宗門が正本堂解体を決め、大御本尊を遷座したのを受けて、本部会館で「御遺命守護完結奉告式」を行う。昭衛は御宝前において、「大聖人様-。本門戒壇の大御本尊が恐れ多くも誑惑不浄の正本堂に居えられ奉ってより今日まで、実に二十六年の長き歳月が流れました。しかるところ、嗚呼ついに、本年4月5日の午後四時、大御本尊は、清浄なる奉安殿に還御遊ばされました」と言上[34]
    • 6月15日 顕正新聞で「御観念文の改正」を発表。新しい勤行要典が会員に配布される。日蓮正宗傘下時代から続いた五座三座の長行が廃止され、一座に移行。
    • 7月 正本堂が撤去される[35]
    • 9月2日 東京国際フォーラムで『「還御を祝し奉る」記念大会』を行う。7500人が参加。昭衛はこの席上、今後15年間(2013年まで)に1,000万弘通(入会)を達成すると誓願した。
  • 1999年(平成11年)
    • 12月 埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)に「青年会館」が完成。現在の東京会館にあった本部機能の移転を始める。
  • 2000年(平成12年)
    • 11月8日 本部を現在の場所に新築、移転。
  • 2001年(平成13年)
    • 7月2日 信者3人が本千葉駅前で、入信を断った男性に暴行を加えたとして、暴力法違反の疑いで千葉県警察千葉中央警察署緊急逮捕された。容疑者1人は「もみ合いになっただけ」と容疑を否認。千葉会館は「当該の勧誘行為があったかどうかも知らない」とコメントした。[36]
  • 2002年(平成14年)
    • 5月2日 専門学校生の信者が、入信を断った男性の手首や服を引っ張るなどしたとして、暴行の疑いで愛知県警察熱田警察署に逮捕された。信者は容疑を認めたという。[37]顕正会側は否定している。
  • 2003年(平成15年)
  • 2004年(平成16年) 第2回目 一国諫暁開始。
  • 2005年(平成17年)
    • 3月25日 昭衛が阿部日顕に対し、公場対決を求める書面を送付。この書面には「勝負決着後の責務」として、「小生が敗れた時は、直ちに顕正会を解散する。貴殿が敗れた時は、直ちに御開扉を中止し、貴殿は猊座を退き謹慎する。」と記されていた[42]
    • 4月2日 対決申入書に対し、「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」名義で、「対決など受け入れるべき道理はない」旨の回答書が届いた[42]
    • 4月27日 昭衛が阿部日顕に対し、重ねて対決申入書を送付[42]
    • 5月4日 「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」名義で、再び対決を拒否する旨の回答書が届いた[42]
    • 5月8日 朱鷺メッセで「新潟県大会」を開催。1万人が参加。
    • 7月28日 強引な勧誘をしたとして、神奈川県警察警備部瀬谷警察署が顕正会横浜会館を家宅捜索した。会員2名が監禁容疑で逮捕され、警察によると2人とも容疑を認めたという。[43]後に起訴猶予となる。顕正会は信者の逮捕時、「完全なる虚偽の告訴による不当な逮捕。一切監禁などはしていない」とコメントした。
    • 8月28日 昭衛が阿部日顕に対し、「対決を逃避した阿部日顕管長に『最後に申すべき事』」と題する一書を送付[42]
    • 9月4日 横浜アリーナで「男子部幹部大会」。男子部員13000人が参加。
    • 9月 公称会員数が110万人に達する[7]
    • 11月7日 阿部日顕が大石寺で御開扉の導師を務めようとした際、須弥壇の大扉が開かず、御開扉が中止となる[42]
    • 12月15日 阿部日顕、退座[42]
  • 2006年(平成18年)
    • 5月14日 関西在住の会員らを中心に1万人を結集して「関西大会」を行った。
    • 7月3日 同年5月、信者が館林市内の飲食店で、勧誘を断った男性に怪我を負わせたとして、群馬県警察は信者を傷害容疑で逮捕するとともに、高崎会館を家宅捜索した。警察によると、信者は「入会を断られて腹が立った」と容疑を認めたという。[44]
    • 9月10日 沖縄コンベンションセンターで「沖縄大会」を行う。昭衛はこの席上、中国の軍事力増強と覇権主義の脅威を解説し、「早く日蓮大聖人の仏法を根底にした新しい日本を築かなければならない。さもなければ取り返しのつかぬことになる」と指導。
    • 9月21日 大宮ソニックシティで「男子部臨時幹部会」開催。5,000人が参加。この大会で行われた昭衛の演説は、後に「自虐史観を捨て仏法史観に立て」と題される。
    • 11月30日 勧誘相手のお守りを切ったとして、信者4人が器物損壊容疑で逮捕された[45]。顕正会は「同意を得てから行った」と主張。
  • 2007年(平成19年)
    • 1月21日 この日の総幹部会で青年会館の閉鎖を発表。昭衛は耐震強度が不足していると説明。
    • 4月 公称会員数が120万人に達する[7]
    • 5月20日 アピオアリーナで「東北大会」開催。東北各県在住者を中心に1万人結集。
    • 8月26日 エムウェーブで「発足50周年記念幹部大会」。全国から3万人が集結したとしている。
    • 12月8日 東京会館のトイレで、男性が覆面姿の男に刃物で刺される。男性は軽傷を負った。警視庁板橋警察署傷害容疑で逃げた男の行方を追っている。[46]
  • 2008年(平成20年)
    • 5月18日 台湾台北市内の貸しビルを改装し、顕正会初の海外拠点となる「台北会館」が開館[47]
    • 10月 公称会員数が130万人に達する[7]
    • 12月23日 本部西隣に新青年会館完成。
  • 2009年(平成21年)
    • 4月 沖縄県那覇市に沖縄会館開館。
    • 8月23日 再び長野・エムウェーブで「男子部大会」。
    • 12月 この日に「会員数名が女性に入信を強要し、逃げようとした女性に怪我を負わせたとして、千葉県警察が千葉会館を家宅捜索した」と顕正会自らが発表した。顕正会は会員を告訴した女性について「後に虚偽告訴であることを自白し、罰金刑を受けた。更に法廷尋問に於いて、創価学会の幹部と接触したことを認めた」としている[48]
  • 2010年(平成22年)
    • 1月 総幹部会で城衛が理事長に就任[49]
    • 4月 公称会員数が140万人に達する[7]。横浜会館閉鎖、近くに神奈川会館開館。
  • 2011年(平成23年)
    • 1月25日 総幹部会で城衛が壮年部を廃止して男子部に統合すると発表。四者体制から三者体制となる。
    • 11月 公称会員数が150万人に達する[7]
  • 2012年(平成24年)
  • 2013年(平成25年)
    • 9月11日 信者2名が東京都内に住む男性に「入信しなければ五体満足でいられなくなる」「入信したことを家族に話したら大勢で(男性の自宅に)押しかける」などと言って強引に勧誘したとして、警視庁公安部は、強要暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の疑いで信者2名を任意で事情聴取するとともに、顕正会本部や東京会館など5箇所を家宅捜索した。警視庁への顕正会に関する相談件数は、2013年に入って80件超あったという。これに対して顕正会は「違法捜査だ」とコメントした[51][52][53]
    • 9月25日 この日開催された総幹部会で、「事情聴取を受けた会員の1人」と自称する信者が登壇し、容疑を否認した。また、取り調べの際にマスコミが報道した言葉を言ったか否かの尋問は無く、供述調書にも一切記載は無かったと述べた。昭衛は「創価学会の謀略である」「法的措置を採る」と述べた。顕正会に関する苦情が多数寄せられているという警視庁の発表については「創価学会が『K対策』と称する謀略を実行した結果である」と主張した[48]
    • 11月4日 さいたまスーパーアリーナにて女子部大会を開催。
  • 2014年(平成26年)
    • 2月26日 2013年9月11日の家宅捜索の件で取り調べを受けていた男2人が書類送検された。1人は容疑を認め、更に脱会しているという。もう1人は現役会員で、現在も容疑を否認しているほか、家宅捜索を受けてから書類送検されるまでの間に会社を退職している。「人為的な罰もある」と脅していたという。[54][55]
    • 9月7日 さいたまスーパーアリーナにて男子部大会を開催(目標参加者数は5万人)。
  • 2015年(平成27年)
    • 10月5日 会員の男3人が、前日16時半頃に東京都台東区上野公園で、19歳の男子大学生に「東京見物に行かないか」などと嘘を言って車に乗せ、同板橋区常盤台の東京会館の近くまで連れ去ったとして、未成年者誘拐の疑いで警視庁公安部に逮捕された。大学生は、車内で顕正会に入会するよう勧誘され、不安になったためLINEで母親に「何者かに連れ去られている」と連絡し、母親の通報を受けた警視庁の捜査員が、東京会館の近くで4人を確保した。1人は容疑を否認し、残る2人は容疑を認めている。容疑を認めた男の1人は「一緒に会員になり仏法をやってほしかった」などと供述している。教団本部は「事実確認をしている。不当な捜査と考えている」としている。警視庁公安部は活動の実態についても調べる方針。[56][57][58][59]
    • 10月8日 会員3人の逮捕を受けて警視庁公安部が本部や東京会館など、複数の教団施設を家宅捜索した。公安部は押収した資料を分析し、勧誘の手口などの実態解明を進める方針。教団側のコメントについては読売新聞は「一切ノーコメント」、日本テレビとFNNニュースは顕正会側の主張を「不当な捜索」と報じている。[60][61][62]
    • 10月15日 新たに会員の男2人が同じ容疑で警視庁公安部に逮捕された。1人は「男性を入信させるよう指示した」と容疑を認め、もう1人は「男性と話したことは間違いない」と供述し、5人とも自らを顕正会の会員であると説明している。警視庁公安部によると、教団の強引な勧誘をめぐる相談や通報が、2015年1月から9月末までに約90件あったという。また、教団は逮捕された5人が会員であるとした上で「会の信用を失墜させるための不当逮捕だ」とコメントしている。[63][64][65][66][67][68][69]
    • 10月23日 東京地方検察庁が4日の件で逮捕された会員5人のうち28歳の男性ら3人を処分保留で釈放した。今後任意で捜査し、起訴の可否を慎重に検討する方針。[70][71]
    • 10月26日 この日10月度総幹部会が開催されたが、この総幹部会及びそれを伝える顕正新聞2015年11月5日号で、会員の逮捕及び教団施設などの家宅捜索への言及はなかった。
    • 11月9日 10月5日・15日に逮捕された5人のうち4人が起訴猶予となり、19歳の会員が家庭裁判所に送られた。理由について東京地検は「犯行の態様、被害者の年齢が成人に近いことなどを考慮した」としている。教団は「今回の捜査は顕正会の信用を失墜させるためのものであり強く抗議する」とコメントした。[72][73][74][75][76]


教義[編集]

  • 大石寺にある本門戒壇の大御本尊を崇拝し、日蓮正宗や創価学会などの他の富士門流各派と同じく、日蓮を「日蓮大聖人」または「蓮祖大聖人」と称している。
  • 日蓮大聖人の説いた三大秘法の広宣流布、国教化、国立戒壇の建立を目的としている。「国立戒壇」とは、日蓮大聖人が門下に御遺命された「本門の戒壇」を指す。この「本門の戒壇」建立こそ、本門戒壇の大御本尊の妙用により、日本を仏国とする唯一の秘術であり、日蓮大聖人の唯一つの御遺命である[77]
  • 「本門の戒壇」とはいかなる戒壇か、その建立の時・手続・場所は、日蓮大聖人が「三大秘法抄」「一期弘法付嘱書」に明示されている。  「三大秘法抄」:「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり」  「一期弘法付嘱書」:「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てられるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是れなり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」  このように、御遺命の本門戒壇は、国家意志の表明を建立の必要手続とするゆえに、端的に「国立戒壇」と呼称されてきた[77]
  • 日蓮正宗では、日蓮大聖人の御遺命を奉じて、この国家的に建立されるべき「本門の戒壇」の実現を700年来叫び続けてきた。以下、その一部を抜粋する[77]。 二祖・日興上人:「広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てられるべきなり」(富士一跡門徒存知事) 三十一世・日因上人:「国主此の法を持ち広宣流布御願成就の時、戒壇堂を建立して本門の御本尊を安置する事、御遺状(注「一期弘法付嘱書」)の面に分明なり」 五十六世・日応上人:「上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申す嚝々たる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって・・・」(御宝蔵説法本) 六十四世・日昇上人:「国立戒壇の建立を待ちて六百七十四年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文) 六十五世・日淳上人:「大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮聖人の教義) 六十六世・細井日達:「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華昭和35年1月号)
  •  また、創価学会もかつては日蓮正宗の信徒団体であったため、「国立戒壇」を唯一の目的としていた。ゆえに創価学会の池田大作も、「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華59号)と述べていた[77]
  • しかるに創価学会は、昭和40年頃より、「国立戒壇」の御遺命を捨て、代わりに「正本堂」という建物を建て、これが御遺命の戒壇であると主張するようになった[78][79]。また、日蓮正宗もこれに賛同し、「正本堂」が御遺命の戒壇に当たる旨を公表した[80][81]。 これに対し、冨士大石寺門流において唯一、日蓮大聖人の御遺命は「正本堂」ではなく「国立戒壇」であると主張し、学会・宗門を諫め続けている団体が顕正会である[77]
  • 日蓮正宗宗門、創価学会、正信会日蓮宗[82]など他の日蓮系教団のいずれとも教義上厳しく対立している。なお、創価学会員に対しては、「同じく信心の力を起こしながら、悪師に随うゆえに臨終に悪相を現ずること、痛々しく思っております。何としても八百万学会員を救いたい」等と繰り返し述べている[83]
  • 戦争勃発への危機が頻繁に説かれ、これを防ぐには広宣流布、国立戒壇建立以外には無いとしている。昭衛は指導に際し「他国侵逼」の大難に度々言及しているが、これは日蓮大聖人が『立正安国論』の中で仏法に背く罰として必ず「他国侵逼難」が起こること、及び同論奥書に「未来亦然るべきか」と示されるところによる[84]
  • 「末法の仏道修行は勤行と折伏に尽きる」とされている。勤行とは御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉る修行であり(自行ともいう)、これを人に勧めるのが折伏である(化他ともいう)[85]。 勤行の実践、すなわち日蓮大聖人の仏法上の御名である「南無妙法蓮華経」  を、「お慕わしい」「有難い」との恋慕渇仰の信心で唱え奉ることで、直ちに体である御本尊・日蓮大聖人に通じ、凡夫が御本尊・日蓮大聖人と一体になり、仏にならせて頂ける。心法も変わり、宿命も変わることで、現世には幸せになり、臨終には成仏の相を現じ、後生も守られると説く[85]。  また、折伏の実践により、日蓮大聖人の格別の御守護を頂き、御本仏の眷属としての生命力が湧き、過去の罪障が消滅すると説かれている。
  • 会員は、朝夕の勤行に於いて、自宅より大石寺に安置してある戒壇の大御本尊を遥拝する勤行(遥拝勤行)に徹しているのも本会の大きな特徴である。「遥拝勤行」とは、冨士大石寺にまします本門戒御本尊を、わが家より遥かに拝みまいらせる勤行であり、その功徳は御本尊の御前で行う勤行と全く同じであるとされている[85][86]
  • 「日蓮大聖人御書全集」の発刊を1985年昭和60年)に[87]1995年平成7年)にも顕正新聞にて発表するが、未だ発刊はされていない[88]

政治的思想[編集]

  • 王仏冥合・国立戒壇建立こそが、国家安泰と世界平和をもたらし、人々を真に幸福にする、究極の政治理念であると説く。これは日蓮大聖人の「立正安国論」における「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば即ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや」、及び「三大秘法抄」における「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、乃至、勅宣並びに御教書を申し下して、乃至、戒壇を建立すべき者か」との御指南に基づく[89]
  • 民主主義については、共産主義よりはすぐれているものの、究極の政治理念ではないとする。それは民主主義は権力の横暴に対し「民意を尊重せよ」との民衆の自己主張であるが、末法においてはその民衆が三毒強盛であるから、今度は衆愚政治になって国を亡ぼす、また、民主主義は多数決がその原理であるが、人の多さと正しさとは関係がない、との理由による。「所詮、独裁も民主主義も、正しい仏法を根底にしなければ、国土に三災七難を招き、人民が苦悩することにおいては同じ」と説く[89]
  • 顕正会はいかなる政党にも与せず、権力に諂わず、自ら政治に出て権力を得ようとすることもなく、ただ信心の力をもって毅然と時の政治権力を諫め、国立戒壇を建立すべしと迫る、「在野の諌暁団体」との姿勢を貫いている[90]
  • 福島第一原子力発電所事故以降、「原発は日本を滅ぼす、即時廃絶せよ!」と主張し、原発に反対している[91][35]
  • 日清日露アジア・太平洋(大東亜)戦争は日本による侵略戦争ではなく、大局的に見れば自衛のための祖国防衛戦争であったと主張している[92]
  • 尖閣諸島は日本の領土であるとし、その上で自衛隊は中国の侵略から島を守ることができないとしている[93]

入退会の手続き[編集]

顕正会は原則として高校生から入会(入信)を受け付けている。ただし、中学生の参加を認めた行事も過去に行われている(前述)。

現在の入信手続きは、「入信報告書」と呼ばれる書類に、紹介者と入信者の氏名・住所・電話番号を記入するという方法である。押印は不要で、入会者の情報記入は、紹介者による代筆も可能である。この際、入会者を同伴している必要がある。

また、契約行為が含まれていないため、未成年者も親権者の同意なしに入信が可能となっている。入会手続きが終わると、約30分の「入信勤行」[94]が行われ、入信手続き完了となる。

顕正会は退会手続きを定めていない。しかし、日本国憲法第20条において信教の自由が規定されており、また、入会手続きに契約行為は含まれていないため、退会の意思を教団に伝えれば良い。

活動[編集]

勤行
『法華経』のうち、方便品の冒頭から十如是までと、如来寿量品の長行と自我偈を読誦ののち、「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。朝と夕方(夜)の毎日2回。特に毎週日曜日の午前には朝勤行を会館に集合して一堂で行う「日曜勤行」が行われている。
会合
総幹部会(毎月下旬。基本的に川口リリアで開かれる)
各部の集会
日曜勤行(毎週日曜午前に何回かに分けて各会館で開催)
ビデオ放映会
御書講義(浅井昭衛が不定期に開催)
布教活動
顕正会では「折伏(しゃくぶく、「破折屈伏」の略)」と呼ばれている。
『顕正新聞』の購読者の開拓
会員間においては「推進」と呼称される。
広布御供養
年1回12月に「広布御供養」と称して会員から寄付金を募っている(顕正会に会費は無いので年一回の会員の寄付のみで会が成り立っている)。顕正会には1人が出せる金額に下限と上限が設けられており、下限は1万円から、上限は8万円までである。また、任意参加である。
教学の研鑽
会員は「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)という書籍を中心に教学を学んでいる。同書には、「日蓮大聖人とはいかなる御方か」、「人生の目的と幸福論」、「十界論」、「三世常住の生命」、「仏法の実践」という仏法の基礎的な教義に加え、「日蓮大聖人と釈迦仏の関係」、「日蓮大聖人の一代御化導」、「冨士大石寺の歴史」、「日蓮大聖人の御遺命」という日蓮大聖人門下が身につけるべき基本の教学、さらに「御遺命守護の戦い」という顕正会の学会・宗門に対する諌暁の歴史が記されている。また、各自でその他の顕正会発行書籍(「立正安国論謹講」、「開目抄を拝し奉る」、「六巻抄」等)の拝読を通じて教学研鑽に励んでいる。
毎年1月に教学試験が実施されており、会員には受験が奨励されている。年によって異なるが、いずれも顕正会発行の書籍等が試験範囲となる。

施設一覧[編集]

冨士大石寺顕正会本部
冨士大石寺顕正会札幌会館

海外[編集]

公式HPには45ヶ国に組織があると記載されている[35]

主要役員、年間行事、会員数等[編集]

  • 主要役員
    • 会長 浅井昭衛(浅井甚兵衛の長男)
    • 理事長兼総男子部長 浅井城衛(昭衛の次男)
    • 総合女子部長 佐野直子
    • 理事兼儀礼室副室長 横田高明 (元壮年部長)
    • 総合婦人部長 湯浅悦子(昭衛の)
    • 副総合婦人部長 小峰昌子(昭衛の娘)
    • 儀礼室長 遊佐寿美
    • 顕正新聞発行人 小峰勝彦(昭衛の娘婿)
  • 年間行事
    • 1月1日 - 元旦勤行
    • 1月 - 教学試験
    • 2月7日 - 日興上人御報恩勤行会
    • 4月28日 - 立宗御報恩勤行会
    • 9月12日 - 竜の口法難御報恩勤行会
    • 10月13日 - 御大会式
    • 11月15日 - 日目上人御報恩勤行会
    • 12月 - 広布御供養
  • 公称会員
    • 約188万8千人

脚注[編集]

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  1. ^ a b 処分理由中の「昭和四十七年四月二十八日付『訓諭』」とは、細井日達が正本堂を指して「広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と定めた訓諭である。この件について顕正会は、「まさしく妙信講は国立戒壇の御遺命のゆえに、信徒団体として死罪にも等しい解散処分を受けたのである」と主張している(「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)410~411頁)。
  2. ^ 顕正新聞平成29年(2017)5月5日号
  3. ^ 蓮田病院(2015年11月4日閲覧)
  4. ^ 顕正新聞では1941年(昭和16年)とする記載もみられ、一貫性をみない
  5. ^ 日蓮正宗では寺院を離脱することは信徒の資格を失うことを意味する。
  6. ^ 「顕正会の歴史と使命」 顕正新聞社
  7. ^ a b c d e f g 弘通の足跡顕正会
  8. ^ 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)316~317頁。「発誓願文」。
  9. ^ 大白蓮華201号
  10. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)48頁
  11. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)48~50頁
  12. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)66~67頁
  13. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)69~70頁
  14. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)72頁
  15. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)76~77頁
  16. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)82~84頁
  17. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)85~86頁
  18. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)88~90頁
  19. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)92頁
  20. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)90~91頁
  21. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)92~93頁
  22. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)96~97頁
  23. ^ 講中解散は、後に創価学会に対してなされた破門通告よりもさらに重いものと解釈される。
  24. ^ 昭衛はこの件について、機関誌『冨士』で抗議活動を捏造されたと主張し抗議している。一方、学会は理事長・和泉覚が声明を出し、妙信講を「狂信的過激派」と激しく非難して反論した。
  25. ^ 「御遺命守護の戦い」(冨士大石寺顕正会)234~235頁
  26. ^ 御書発刊を発表 - 顕正新聞 1985年2月25日付第327号
  27. ^ 二回目の御書発刊を発表 - 顕正新聞 1995年6月5日15日付合併第670号
  28. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)126頁
  29. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)127~128頁
  30. ^ a b 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)129~130頁
  31. ^ 読売新聞京葉版平成4年8月29日
  32. ^ 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)435頁。
  33. ^ 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)438頁
  34. ^ a b 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)440~441頁
  35. ^ a b c 顕正会HP
  36. ^ 朝日新聞平成14年7月2日
  37. ^ 中日新聞平成14年5月2日
  38. ^ 読売新聞平成15年10月8日
  39. ^ 日本経済新聞神奈川版平成15年11月13日
  40. ^ 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)445頁
  41. ^ 昭衛はこの席で「創価学会のデマ・中傷の煽動に乗った高校の理不尽な迫害・デマ・中傷のなか年若き高校生が毅然とけなげに信心を貫く姿を見るとき私は胸に熱きものが込み上げてくる。迫害は学会の仕業」と演説をした。
  42. ^ a b c d e f g 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)448~453頁
  43. ^ 朝日新聞2005年7月29日
  44. ^ TBSニュース2006年7月3日放送
  45. ^ ANNニュース11月30日
  46. ^ 時事通信2007年12月9日
  47. ^ 中華民国の法律では国内に本部が置かれていない宗教法人は、施設を新しく「建設」することができない
  48. ^ a b 顕正新聞平成25年10月5日「不当捜索」特集号
  49. ^ 理事長ポストは旧妙信講時代の1974年に設けられて以来35年ぶりの復活で、現在の顕正会になってからは初めて。引き続き男子部長を兼務。
  50. ^ “逮捕は妥当、「顕正会」の請求棄却新潟地裁”. 新潟日報 netpark (新潟日報社). (2012年3月27日). オリジナル2012年5月11日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120511144223/http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/33587.html 
  51. ^ “宗教法人「顕正会」に家宅捜索 強引に入信迫った疑い”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2013年9月11日). オリジナル2013年9月12日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20130912013315/http://www.asahi.com/national/update/0911/TKY201309110139.html 
  52. ^ “宗教法人・顕正会本部など捜索…強引に入会迫る”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2013年9月11日). オリジナル2013年9月13日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/wMSWJ 
  53. ^ 顕正新聞2013年9月25日号
  54. ^ 強引に入信勧誘した疑い、「顕正会」会員ら書類送検TBSニュース2014年2月26日16時2分配信(アーカイブ)
  55. ^ 顕正会会員ら2人書類送検=「入信断ればばち」強引勧誘容疑―警視庁ニコニコニュース2014年2月26日(アーカイブ)
  56. ^ 教団勧誘で未成年大学生を誘拐の疑い 「顕正会」関係者3人逮捕FNNニュース2015年10月5日12時34分配信
  57. ^ 「東京見物に行こう」と偽り大学生誘拐 宗教法人の関係者とみられる男ら3人逮捕産経ニュース2015年10月5日12時27分配信
  58. ^ 「東京見物に」と少年誘拐 宗教法人の男2人逮捕(15/10/16)ANNニュース公式YouTube
  59. ^ 安城の19歳誘拐疑いで3人逮捕 宗教勧誘目的か中日新聞2015年10月5日16時13分配信
  60. ^ 大学生誘拐、「顕正会」の本部など捜索…警視庁YOMIURI ONLINE2015年10月8日17時48分配信
  61. ^ 勧誘目的で誘拐 顕正会本部など家宅捜索日テレNEWS242015年10月8日18時58分配信
  62. ^ 大学生誘拐事件受け「顕正会」本部など家宅捜索FNNニュース2015年10月8日19時9分配信
  63. ^ 未成年者連れ回し容疑で新たに2人逮捕 宗教団体に勧誘目的か産経ニュース2015年10月15日14時41分配信
  64. ^ 「顕正会」会員ら 誘拐の疑いNHK首都圏NEWS WEB2015年10月15日18時33分配信
  65. ^ 宗教法人「顕正会」会員2人を大学生誘拐疑いで逮捕日刊スポーツ2015年10月15日19時32分配信
  66. ^ 勧誘目的で学生連れ回した疑い、顕正会会員逮捕TBS News i2015年10月16日0時13分配信
  67. ^ 宗教法人「顕正会」会員逮捕 現場の指示役らを新たに逮捕FNNニュース2015年10月16日1時41分配信
  68. ^ 顕正会:会員を逮捕 学生連れ回し容疑で 警視庁毎日新聞2015年10月15日19時36分配信
  69. ^ 新たに顕正会の2人逮捕 未成年者誘拐容疑日本経済新聞2015年10月16日13時50分配信
  70. ^ 日本経済新聞2015年10月24日朝刊
  71. ^ 誘拐容疑で逮捕の宗教法人の会員3人を釈放テレ朝ニュース公式Twitter2015年10月23日19時30分投稿
  72. ^ 大学生誘拐容疑の宗教団体関係者を起訴猶予産経ニュース2015年11月9日18時16分配信
  73. ^ 「顕正会」会員を起訴猶予NHK首都圏ニュース2015年11月9日18時23分配信
  74. ^ 大学生誘拐容疑の「顕正会」関係者を起訴猶予 東京地検朝日新聞デジタル2015年11月9日21時44分配信
  75. ^ 大学生誘拐容疑の「顕正会」会員1人家裁送致・4人起訴猶予TBSニュースi2015年11月10日2時44分配信
  76. ^ 学生連れ回し、起訴猶予日刊スポーツ2015年11月10日14時18分配信
  77. ^ a b c d e 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)第9章「日蓮大聖人の御遺命」
  78. ^ 顕正会は、創価学会が「国立戒壇」を否定して「正本堂」を御遺命の戒壇であると主張し出した動機につき、池田大作が「国立戒壇は憲法違反」との評論家からの批判を恐れ、公明党の選挙に不利になると考えたため、と主張している(「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」第9章「日蓮大聖人の御遺命」)。
  79. ^ 1967年(昭和42年) 10月の正本堂発願式における池田大作の発言など多数(「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)第9抄「日蓮大聖人の御遺命」)。
  80. ^ 顕正会は、細井日達はじめ日蓮正宗が「国立戒壇」の御遺命を捨て、「正本堂」こそ御遺命の戒壇であるとの学会の主張に賛同した理由につき、池田大作の威圧に屈し、学会員による莫大な供養金に心を蕩かされたゆえ、と主張している(「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」第9章「日蓮大聖人の御遺命」)。
  81. ^ 第66世・細井日達は、1968年(昭和43年) 1月、「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」と発言し、1972年(昭和47年)4月28日には、「後代の誠証となす」と前置きした上で、「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」との訓諭を発布した(「顕正会の歴史と使命」76~77頁、大白蓮華201号)。
  82. ^ 組織内では「身延派」と呼ぶ。
  83. ^ 顕正新聞平成27年1月25日号。「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)467~468頁。
  84. ^ 「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」(冨士大石寺顕正会)5頁には、「日本は今、亡国の前夜を迎えている。その亡国は、どのような災難によってもたらされるのかといえばーまもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病(感染症)等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる自界叛逆(国内の分裂抗争)と他国侵逼(外敵の侵略)が起こるのである。これは凡夫の私が言うのではない。日蓮大聖人が立正安国論の奥書に『未来亦然るべきか」と示されるところによる」と記載されている。
  85. ^ a b c 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)第5章「仏法の実践」
  86. ^ 日蓮大聖人は、身延より千里を隔てた佐渡に住する千日尼に対し、「譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠いけれども打ちては須臾に聞こゆ。御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来たれり。乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」と仰せられている(千日尼御前御返事)。
  87. ^ 御書発刊を発表 - 顕正新聞 1985年2月25日付第327号
  88. ^ 二回目の御書発刊を発表 - 顕正新聞 1995年6月5日15日付合併第670号
  89. ^ a b 「浅井先生の質問会より」『民主主義は究極の政治理念でしょうか』
  90. ^ 「顕正会『試練と忍従』の歴史」(富士大石寺顕正会)「仏法と政治」(61~64頁)
  91. ^ 浅井会長講演・一月度総幹部会/2012年1月24日顕正会
  92. ^ 『自虐史観を捨て仏法史観に立て』
  93. ^ 2012年8月24日総幹部会浅井会長指導
  94. ^ 他の日蓮系教団からの入会の場合は「入会勤行」と呼ばれる。

参考文献[編集]

  • 浅井昭衞『基礎教学書 日蓮大聖人の仏法』(2015、冨士大石寺顕正会)
  • 淺井昭衞『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』(2004、冨士大石寺顕正会)
  • 週刊新潮2005年9月29日号(掲載ページ調査中)島田裕巳 「創価学会」も恐れる過激な原理集団 「顕正会」研究(創価学会批判の一部として記載されたもの)
  • 教祖逮捕―「カルト」は人を救うか ISBN 4796617191 月刊現代1999年12月号に掲載された記事の親鸞会関連の記述も含めた加筆版が掲載されている。

外部リンク[編集]