家族そろって歌合戦
| 家族そろって歌合戦 | |
|---|---|
| ジャンル | 歌謡番組 |
| 出演者 |
獅子てんや・瀬戸わんや ほか |
| 製作 | |
| 制作 |
TBS系列各局持ち回り (ANN加盟時代の青森テレビとJNN非加盟局の南海放送を含む) |
| 放送 | |
| 放送国・地域 |
|
| 60分番組時代 | |
| 放送期間 | 1966年4月24日 - 1969年3月 |
| 放送時間 | 日曜 13:30 - 14:30 |
| 放送分 | 60分 |
| 70分番組時代 | |
| 放送期間 | 1969年4月 - 1979年9月 |
| 放送時間 | 日曜 13:15 - 14:25 |
| 放送分 | 70分 |
| 55分番組時代 | |
| 放送期間 | 1979年10月 - 1980年12月28日 |
| 放送時間 | 日曜 13:00 - 13:55 |
| 放送分 | 55分 |
『家族そろって歌合戦』(かぞくそろってうたがっせん)は、1966年4月24日から1980年12月28日までTBS系列局で放送されていた歌謡番組である。TBSが幹事局を務めていたが、各地のネット局が持ちまわりで番組制作と配信を担当していた。
目次
概要[編集]
日本各地の市民会館などで公開収録を行っていた視聴者参加型番組。司会は漫才コンビの獅子てんや・瀬戸わんやが務めていた。一旦CMに入る際には、てんや・わんやと歴代の女性アシスタント(後述)が「テレビを御覧の皆様にはスポンサーからのお知らせを〜どうぞ!」の台詞を発し、その際に首を横に振る様子をカメラがズームアップで捉えていた。
出場者たちは家族単位のグループで参加。各チームには「リスさんチーム」や「キツネさんチーム」など動物の名が冠されていた。観覧希望者は、前もって現地のネット局宛に観覧したい旨のハガキを送る必要があった。
番組は14年半にわたって放送。最終回の公録は愛知県西尾市で行われた。
放送時間[編集]
いずれも日本標準時。
- 日曜 13:30 - 14:30 (1966年4月24日 - 1969年3月)
- 日曜 13:15 - 14:25 (1969年4月 - 1979年9月)
- 日曜 13:00 - 13:55 (1979年10月 - 1980年12月28日)
出演者[編集]
司会[編集]
アシスタント[編集]
番組内ではてんや・わんやとともに「司会」としてクレジットされ、オープニングとエンディングでテーマ曲を歌う女性3 - 4人がアシスタント(番組内では「コーラス」とクレジット)として補佐していた。
- 初代[1]:豊原ミツ子(1966年4月24日 - 1966年9月)
- 2代目:渋沢詩子(1966年10月 - 1967年3月)
- 3代目:天地総子(1967年4月 - 1970年3月)
- 4代目[2]:須藤敏子(1970年4月 - 1972年9月)
- 5代目[3]:坂本まり(1972年10月 - 1974年8月)
- 6代目[4]:加藤幸子(1974年9月 - 1977年9月)
- 7代目:合田由美(1977年10月 - 1979年9月)
- 8代目:佐藤梨枝(1979年10月 - 1980年12月)
サブ司会[編集]
1979年10月から最終回まではフリーアナウンサーの宮内恒雄がサブ司会として加わり、出場家族の紹介等を行っていた(地方での収録時には、各局の男性アナウンサーが影読みで担当)。
審査員[編集]
- 市川昭介
- 笠置シヅ子
- 神津善行
- 高木東六(審査委員長) → 五十嵐喜芳
- 阿部進[5]
- このほか、当日のゲスト歌手たちも審査員に加わっていた。ゲスト歌手は毎回2組で、1組は準決勝前に、もう1組は決勝戦前に持ち歌を披露していた。
トーナメントに出場するチーム名を示す動物[編集]
()内は、各チーム登場時に掛かるBGM。
1979年10月の枠縮小でリスさんチーム・ネコさんチームが廃止された。なお、「正月スペシャル」などの時にはチームが増えることがあった。
テーマソング[編集]
作詞:不明 / 作曲:小川寛興 / 歌:ベニーシスターズ、パピーズなど(初期・中期) → アパッチ(1979年10月 - 最終回)
- オープニングでは1番が、エンディングでは2番が歌われた。
- ベニー時代はマーチテンポだったが、アパッチ時代は一部アレンジされた。
- なお、13:15開始時代末期(時期不詳)には、これとは別のオープニングテーマがてんや・わんやと女性アシスタントによって歌われ、てんや・わんや・アシスタントの3人を模したパペットがその歌に合わせて踊るオープニングがあった。
ルールと賞品[編集]
毎週8チーム(1チーム3人)計24人(末期には6チーム、計18人)の家族が出場。トーナメント方式で行われていた。
1回戦と決勝では、チーム全員でステージ中央にあるスタンドマイクで歌う。準決勝は各チーム1人ずつ(放送時間が1時間となった末期は1人がソロ・残り2人はデュエット)がハンドマイクで歌う。どちらも歌が終わったところで審査員が投票し、演奏ジングルと同時にトーナメントパネル[6]の動物が上昇し、残った方のチームが上位に進出となる。
決勝戦では1回戦と同じ形式で歌う。その後、てんや・わんやが「お待ちどう様でした。さあ、いよいよ優勝チームの発表です!審査員の皆さん、スイッチをどうぞ!」と言い、投票と同時にドラムロールと共に動物が上昇し[7]、残った方が優勝。迫力のあるファンファーレが鳴った。優勝家族は表彰台に(末期にはファミリー賞、最末期では準優勝の家族も)立ち(わんやが「表彰台に上がっていただきます」と言う)、豪華景品が贈呈された(末期にはてんやからトロフィーも授与)[8]。賞金もあった。
また、ゲスト2人が決めるファミリー賞(賞品はスポンサーのパロマ、東鳩製菓(現・東ハト) → 田中貴金属工業、カゴメ → メナード化粧品、大塚化学(大塚食品) → セキスイハウス(現・積水ハウス)の商品[8])もある。最末期には歌唱賞を1人選び、該当者にはてんやが盾を贈っていた。参加賞は出場者の写真とてんや・わんや、女性アシスタント、審査員のサインが入った額縁(最末期にはアルバム)である。
補足[編集]
- 初期には審査員がどちらのチームに投票したかを審査員が自ら告げていたが、中期頃[いつ?]からは審査員席の上にランプが設けられ、誰がどのチームに投票したか分かるようになった。
- 末期にはトーナメントパネルが新調されたと同時に、ステージのスタンドマイクの両脇に白いバーが設置され、アシスタントが動物のプラカードをはめ込むと審査結果時にトーナメントパネルと同じく動物が上昇、残った方のチームが勝ち抜けであることが観客にも判るようになっていた。
- 8チーム制時代の準決勝は、勝ち上がった4チームが1対1の対戦を2回行う方式だったが、6チーム制時代には3チームが1対1対1の対戦を1回行い、全審査員が入れた票数の多かった2チームが決勝進出となる方式に変更された。なお、この時は動物上昇の演出は省かれた。
その他[編集]
この番組に出演したのがきっかけでスカウトされ、プロの歌手としてデビューしたのがやまがたすみこと倉田まり子である。また、ヴァイオリニストの悠情は、小学生のときに父・従妹とともに本番組(1978年8月27日放送、愛知県安城市大会でCBCが製作著作)に出場し、優勝を果たしている。その回のゲストは石川さゆりと鈴木隆夫だった。
2001年発刊の『TBS50年史』に付属のDVDには、神奈川県茅ヶ崎市で収録され、千昌夫と小野由紀子がゲスト出演した回が収録されている。放送日は不明だが、マイク横に動物パネル上昇用レールが置かれ、さらにレギュラー審査員が市川・笠置・神津・五十嵐・阿部だったことから末期と考えられる。
この番組に出演したのがきっかけで、てんや・わんやは旅行貯金を始めた。各地の公開収録の都度郵便局に寄っては収録地の記録を残していた。
放送局[編集]
※系列は放送当時
| 放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 関東広域圏 | 東京放送 | TBS系列 | 現・TBSテレビ |
| 北海道 | 北海道放送 | ||
| 青森県 | 青森テレビ | 1969年12月の開局時から放送 1975年3月まではNETテレビ系列とのクロスネット局[9] | |
| 岩手県 | 岩手放送 | 現・IBC岩手放送 | |
| 宮城県 | 東北放送 | ||
| 福島県 | 福島テレビ | TBS系列 フジテレビ系列 |
1970年4月から放送[10] 1971年5月までは日本テレビ系列とのクロスネット局 1971年6月から同年9月まではTBS系列単独加盟局[11] |
| 山梨県 | テレビ山梨 | TBS系列 | 1970年4月の開局時から放送 |
| 新潟県 | 新潟放送 | ||
| 長野県 | 信越放送 | ||
| 石川県 | 北陸放送 | ||
| 静岡県 | 静岡放送 | ||
| 中京広域圏 | 中部日本放送 | 現・CBCテレビ[12] | |
| 近畿広域圏 | 朝日放送 | 現・朝日放送テレビ 1975年3月まで放送[13] | |
| 毎日放送 | 1975年4月から放送 腸捻転解消に伴う移行 | ||
| 島根県 →島根県・鳥取県 |
山陰放送 | 1972年9月17日までの放送対象地域は島根県のみ 電波相互乗り入れにより、1972年9月24日からは鳥取県でも放送 | |
| 岡山県 | 山陽放送 | 当時の放送対象地域は岡山県のみ | |
| 広島県 | 中国放送 | ||
| 山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 |
1970年4月の開局時から放送 1978年9月まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局 |
| 愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | 1992年9月まではJNNにも番販で参加 |
| 高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | 1970年4月の開局時から放送 |
| 福岡県 | RKB毎日放送 | 1980年3月30日放送分はRKBにおけるステレオ放送第1号の番組となった | |
| 長崎県 | 長崎放送 | ||
| 熊本県 | 熊本放送 | ||
| 大分県 | 大分放送 | ||
| 宮崎県 | 宮崎放送 | ||
| 鹿児島県 | 南日本放送 | ||
| 沖縄県 | 琉球放送 |
収録地の系列局が「製作著作」として単独でクレジットされ、ネット局一覧でも先頭に表示された。また、字幕テロップや提供クレジットも各局で用意していたため、局ごとに差異が見られた[14]。ステージのセットも同様で、演奏バンド席(ボックス)も各局で用意した当時の略称ロゴ入りのものを使用していた。
脚注[編集]
- ^ 『福島民報』 福島民報社、1974年2月15日。
- ^ 『福島民報』 福島民報社、1970年5月30日。
- ^ 『福島民報』 福島民報社、1972年10月12日。
- ^ 『福島民報』 福島民報社、1974年8月6日。
- ^ “阿部進プロフィール”. 創造教育センター. 2004年12月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年3月17日閲覧。
- ^ 背景には「山」が描かれており、「優勝」の部分には王冠が描かれていた。そして1回戦前にアシスタントが対戦を発表した後、てんやが「あの動物さんがお山の上を登りまして、王冠を被った組が優勝と、こういう事になっております」と毎回説明していた。なお、6チーム制時代には対戦説明は簡略化され、てんやの説明も省かれた。
- ^ 優勝ファンファーレと同時に動物が上昇するパターンも稀にあった。
- ^ a b スポンサーではなかったが日本コロムビアの協賛があり、優勝者に電子ピアノ(末期においては、コロムビアの親会社・日立のVHSビデオデッキが贈呈されていた時期もあり)、その他入賞家族にステレオセットやてんとう虫をあしらったレコードプレーヤーなどが贈呈されていた。
- ^ 1975年3月まではJNNには番販で参加していたため、TBS系列の番組も当初から相当数放送し、制作もするなど事実上クロスネット状態であった。
- ^ 『福島テレビ開局20周年記念出版 福島テレビ20年史』 福島テレビ、1983年、27頁。
- ^ 1971年9月までのフジテレビ系列局は福島中央テレビ(現在は日本テレビ系列)だった。
- ^ 自社製作の際には、全国ネット番組ながら他の製作局に準じ、「中部日本放送」ではなく「CBC」とクレジットしていた。
- ^ 全国高等学校野球選手権大会の開催時、準決勝・決勝と日曜日が重なった場合には大会の中継を優先させたため、本番組は放送休止となった。
- ^ 例として、CBC製作の回では、オープニングのテロップをクロスフェード(前のテロップが消えると同時に次のテロップを出す)で送出していた。
関連項目[編集]
- 全日本ドレミファミリー歌合戦
- ひよっこ - 2017年度上半期のNHK『連続テレビ小説』作品。最終週(第26週)の劇中において、当番組をモチーフとした『家族みんなで歌自慢』にヒロイン・谷田部みね子(有村架純)と谷田部一家が出場。番組のシーンは第155・156話で放送された。
| TBS系列 日曜13:30枠 | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
ゲーム・ゲーム・ショー
(1965年10月17日 - 1966年3月27日) |
家族そろって歌合戦
(1966年4月24日 - 1969年3月) |
|
| TBS系列 日曜13:15枠 | ||
ロッテ 歌のアルバム(第1期)
(1965年8月 - 1969年3月) ※12:45 - 13:30 【15分縮小して継続】 家族そろって歌合戦 (1966年4月24日 - 1969年3月) ※13:30 - 14:30 |
家族そろって歌合戦
(1969年4月 - 1979年9月) |
|
| TBS系列 日曜13:00枠 | ||
ロッテ 歌のアルバム(第1期)
(1969年4月 - 1979年9月30日) ※12:45 - 13:15 家族そろって歌合戦 (1969年4月 - 1979年9月) ※13:15 - 14:25 |
家族そろって歌合戦
(1979年10月 - 1980年12月28日) |
熱戦!歌謡ダービー
(1981年1月11日 - 1981年9月20日) |