宮良長包

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宮良長包
生誕 1883年3月18日
出身地 日本の旗 日本沖縄県石垣市
死没 (1939-06-29) 1939年6月29日(56歳没)
学歴 沖縄師範学校
ジャンル 民謡童謡の作曲など
職業 学校教諭

宮良 長包(みやら ちょうほう、1883年3月18日 - 1939年6月29日)は、20世紀前半の日本作曲家教育者沖縄県八重山郡石垣町(現・石垣市)出身、石垣市名誉市民

来歴[編集]

明治16年(1883年)、石垣町新川に生まれる。沖縄師範学校を卒業後、郷里の八重山島高等小学校(現・石垣市立登野城小学校)の訓導に赴任[1]

大正10年(1921年)、沖縄県師範学校教諭心得となり「新安里屋ユンタ」を始めとする八重山民謡の編曲・改作や童謡「山の子守歌」「えんどうの花」など100曲以上を作曲。「沖縄音楽界の父」「沖縄のフォスター」と称された。

脚注[編集]

  1. ^ 「八重山ジャンルごと小事典」p169 崎原 恒新 ボーダーインク、1999年8月1日


関連項目[編集]

外部リンク[編集]