宮田利男
宮田 利男 八段 | |
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名前 | 宮田 利男 |
生年月日 | 1952年10月29日(70歳) |
プロ入り年月日 | 1972年10月1日(19歳) |
引退年月日 | 2017年5月16日(64歳) |
棋士番号 | 110 |
出身地 | 秋田県大曲市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 高柳敏夫名誉九段 |
弟子 | 斎藤明日斗、本田奎、伊藤匠 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 宮田 利男 |
戦績 | |
通算成績 | 539勝652敗(0.4527) |
2017年9月10日現在 |
宮田 利男(みやた としお、1952年10月29日 - )は、将棋棋士。棋士番号110。秋田県大曲市(現在の大仙市の一部)出身。高柳敏夫名誉九段門下。
棋歴[編集]
奨励会入会が16歳という遅いスタートであったが、1972年、20歳で四段となりプロ入りする。
宮田の戦績には棋戦優勝やタイトル戦登場がない。しかしながら、準優勝などの活躍(後述)は何度もあり、通算勝率5割以上を長らくキープしていた(通算対局数1000局到達の前後から5割を割っている)。タイトル戦昇格1年目の第31期王座戦では、兄弟子の中原誠と挑戦者決定戦を戦って敗れた。
順位戦への参加は1999年度限りとし、フリークラス宣言をした。
2017年3月31日、フリークラス規定により同年度の最終対局をもっての引退が確定。3月末時点で第30期竜王戦・6組昇級者決定戦のみに出場権を残していたが、5月16日の対局で青野照市に敗れ引退が決定した。
引退後は、世田谷区三軒茶屋[1]の将棋教室や連盟道場などで普及活動に務めている。
棋風[編集]
生粋の居飛車党であり、相居飛車の先手番では矢倉を目指し、相居飛車の後手番では相手からの誘導に追随して矢倉、角換わり、相掛かりを指す。また、相手が振り飛車で来たら、玉頭位取りから銀立ち矢倉として、相手の玉頭に攻めかかる。こういった棋風は、デビュー以来一貫している。
人物[編集]
- 将棋ファンからは「トトロ先生」の愛称で親しまれている[2]。
- ネット上では「ちー坊」とも呼ばれるが、これは宮田と親交のあった石立鉄男[3]の名台詞「おい、チー坊!」に由来する[4]。
- 修行時代は高柳の内弟子であった[5]。
- 将棋の普及を重んずる師匠の意思を継ぐかのように、自ら将棋道場[6]を開いている。
- 1986年1月31日第36期王将戦一次予選1回戦、この対局がプロデビュー戦となる中学生棋士・羽生善治の対戦相手となった。結果は118手で後手羽生の勝ち。なお、宮田と羽生が公式戦で対局したのは、この1局のみであった。
昇段履歴[編集]
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
- 1968年 4級 = 奨励会入会
- 1970年 初段
- 1972年10月1日 四段 = プロ入り(東西奨励会三段1位同士での決戦)
- 1980年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1984年9月25日 六段(勝数規定)
- 1994年7月6日 七段(勝数規定)
- 2015年4月1日 八段(フリークラス規定)
主な成績[編集]
- 準優勝等
- 第1回(1977年度)若獅子戦 - 準優勝(優勝は小林健二)
- 第31期(1983年度)王座戦 - 挑戦者決定戦進出(中原誠に敗れて、タイトル戦登場を逃す)
- 第14回(1983年度)新人王戦 - 準優勝(決勝三番勝負で中村修に2-0で敗れる)
- 第17回(1984年度)日本将棋連盟杯争奪戦 - 準優勝(優勝は田中寅彦)
表彰[編集]
- 1997年 現役25年表彰
弟子[編集]
棋士となった弟子[編集]
名前 | 四段昇段日 | 段位、主な活躍 |
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斎藤明日斗 | 2017年10月1日 | 五段 |
本田奎 | 2018年10月1日 | 六段、タイトル挑戦1回 |
伊藤匠 | 2020年10月1日 | 六段、棋戦優勝1回 |
(2023年5月1日現在)