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宮田久也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮田 久也(みやた ひさなり、1976年5月10日 - )は、日本NGOスタッフである。ケニアナイロビで、医療支援を目的とするNPO チャイルドドクター・ジャパンのスタッフ。兵庫県西脇市出身[1]兵庫県立小野高等学校立命館大学法学部卒業[1]。2013年12月に在外日本大使館によって活動が評価され、在外公館表彰を受けた[2]。2019年に「多文化共生を担う人材の育成に寄与することが評価され」[3]、第43回井植文化賞に選ばれた[4]。2002年から活動するNPOチャイルドドクター・ジャパンは、2020年の社会貢献者表彰を受賞。同年、全国5000校の小中学校の壁新聞に「地域の偉人」として紹介される。漫画「最上の明医」にも登場している。

経歴

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「息子への手紙」(朝日新聞社)の著者である中田厚仁に感化され、中田が大学時代に実施した「30カ国訪問・1年間の留学・国連ボランティアへの参加」を踏襲しようと、「世界一周旅行・1年間の留学・NGOへの参加」(緊急支援:コソボ紛争インド西部大地震)を実施した。この留学中、カナダの地下鉄で暴漢にナイフで襲われ胸部4箇所の傷を負ったことが、宮田の転機になった。「誰の為に何もせずに死ぬこと」を後悔し、その後は「人の役に立つこと」をライフワークに掲げるようになったと語っている[5]

NPOでの活動

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大学卒業後、NPOの支援母体である医真会 八尾総合病院(大阪府八尾市)からNPO国際医療協力機構(現:NPOチャイルドドクター・ジャパン)に出向する。「人の役に立つこと」を目標にアフリカへやってきたが、問題山積みで成果のあがらない毎日に疲れ、渡航から数年後に帰国を決意する。その折、最後にと訪れた支援地域のスラム(貧困地域)で、かけ寄ってくる子ども達にいやされ、それまで支援の対象と思っていた子どもたちから逆に自分が力づけられていることに気づく。

アフリカの子ども達だけでなく、自分と同じように先進国の人々も元気づけられる仕組みができないかと考え、支援される子ども1人と支援者1人を1対1でむすぶ医療支援システムを作る。里親制度の支援の一環である途上国の子ども達との交流事業では、他団体が、月額3000円〜4500円で、年1〜3回程度しか、子どもたちとの手紙の交流がない中、月額1500円で、年間12回〜15回、現地の子ども達やお母さんから手紙が届く仕組みを作りあげた。この仕組みは、株式会社メディアライツ社による無償の技術協力と、1500人以上の翻訳ボランティアの協力により成り立っている。手紙が数日で届けられる[6]ことで、支援者と支援されている子どもとの交流頻度が高まり、毎年、支援者の95%程が支援を継続している。沢山の手紙を受け取ることで、必要とされている実感を感じやすく、ひとつの支援で、アフリカの子供も先進国にいる支援者も同時に元気になる、そうした支援が出来るようになったことが一番うれしかったとメディア等で発言している。

座右の銘

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メディア掲載ほか

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宮田の活動は以下のような多くのメディアでとりあげられている。

脚注

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  1. ^ a b ケニアと日本を笑顔でつなぐ ピーネット タウン、2016年1月6日閲覧。
  2. ^ 役員の紹介 社長 Child Doctor Support、2015年12月31日閲覧。
  3. ^ 第43回井植文化賞”. 公益財団法人 井植記念会. 2019年11月18日閲覧。
  4. ^ “井植文化賞に2団体4個人 10月5日神戸で表彰式”. 神戸新聞NEXT (神戸新聞社). (2019年9月25日). https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201909/0012733755.shtml 2019年11月18日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  5. ^ 失敗から学んだ、社会貢献と事業展開の正しい関係 日経ビジネスオンライン、日経BP2010年6月17日
  6. ^ チャイルドに手紙が届くまで、どれくらいの時間がかかるのでしょうか よくあるご質問 - チャイルドドクター・ジャパン、2016年1月1日閲覧。
  7. ^ 日本から送られる 生命の診察券 Picasa ウェブアルバム、2016年1月5日閲覧。
  8. ^ ケニアの子どもと日本を結ぶ Picasa ウェブアルバム、2016年1月5日閲覧。
  9. ^ スラムの子供たちを救おうとケニアで奮闘する息子へ届け物 goo テレビ番組、2016年1月5日閲覧。

外部リンク

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