宮沢明子

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宮沢 明子
出身地 日本の旗 日本
ジャンル クラシック
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

宮沢 明子(みやざわめいこ、1941年昭和16年)5月10日 - 2019年平成31年)4月23日)は、日本ピアニストエッセイストヨーロッパニューヨーク東京を拠点に活動し[1][2]ハイドンモーツァルトなど古典派を中心にしたレパートリーを得意とした[3]。兄は法制審議会委員や日本被害者学会理事長、中央大学教授などを務めた宮沢浩一[4][5]。母はピアニストの宮沢八千代[6][7]。父は元富士銀行数寄屋橋支店長の宮沢義衛[8]

生涯[編集]

イェール大学 (1950年代後半)
憧れのピアニストアルトゥール・ルービンシュタイン (1971年)

1941年5月10日[9]神奈川県逗子市で生まれる[10]。ピアニストだった母のからピアノの手ほどきを受けたが、小学生のころは「身体が細いし、手が小さいし、とても神経質だからピアニストは無理」と周りに言われショックを受けていた[6]。13歳の時には、両親の発案でピアノ修行のために東京へと引っ越し練習を重ねたが[6]、高校時代3年間、連続でコンクールに挑んでも入選にとどまり、入賞は出来なかった[6]清泉女学院を卒業し、まだ海外留学が珍しかった時代に[11]桐朋学園大学イェール大学音楽部、ジュリアード音楽院などで、井口愛子、ドニース・トルコフスキーらに学んだ[10][3][12][13][14]。なお、本来はフランス留学を目指しており、給費留学生試験を受けたが「国立系でない私立音楽学校出身」であったため「補欠」となった[15]。その後アメリカの音楽大学に手紙を書き、「1番高い奨学金をくれた」学校に入学した[15]

1963年にはジュネーヴ国際コンクールで第2位となった[10]。さらに1964年にはヴィオッティ国際音楽コンクールで金賞第1席を受賞し[注釈 1][16][17]、アメリカのケネディ大統領の追悼演奏会に出演した[10]。また、同年ベルギーに住まいを移し[18]1965年には日本デビューを飾る[19]。その後も欧州と日本を往復しながらキャリアを積み上げ[3]、多い時でベルギーと日本を1年に8往復していた[20]。なお、1971年に出会ったヤマハの調律師細谷国生とは専属調律師として10数年間コンビを組み、「人柄の誠実さと温かさがピアノに伝わっている」「天才」と評したが、細谷がヤマハ勤務の身で演奏ツアーに同行するのが難しくなったため、お互いの了解のもとにコンビを解消している[21][22]

1978年にはNHK教育のテレビ番組「ピアノのおけいこ」に出演[10]。また、1987年に発売された自動再演ピアノ「ヤマハ・ピアノプレーヤ」では、ピアニストのスタニスラフ・ブーニンらとともにフロッピーディスクに演奏が記録された[23]。また、クラシック音楽以外の音楽家とも共演し、シャンソン歌手のイブ・デュテイユのコンサートに友情出演したりした[24]2000年に最初のピアノ教師である母を93歳で見送ったのち、「毎年3月と9月には必ず帰国することにした」と語り、日本での活動を再び活発に行うようになった[19]

2019年4月23日、居住先のベルギー・アントワープ市内の病院にて脳梗塞で77歳で死去[10][25]。葬儀は近親者たちがベルギーで行なった[10][26][27]

「ピアニストは長いキャリアを経て人間的成長を遂げ、それをどう演奏に反映できるかで評価されるべきもの。ルービンシュタインのように、歳をとるごとに一層、華と愛を感じさせるピアニストになりたい」と語っていた[3]。また、100歳まで現役を貫いていたピアニスト、ミエチスラフ・ホルショフスキーを尊敬し「私の神サマ」と語っていた[28]

執筆活動[編集]

1980年の1月から6月にかけて、東京新聞でコラム「放射線」を連載した[29]。また、1988年から1989年にかけてはコラム「五線譜のつぶやき」を、1993年には「話の肖像画」を産経新聞で連載した[17][30]。エッセー集に『ピアニストの休日』、産経新聞のコラムを収録した『ピアニストの自画像』がある[17][31]

影響[編集]

「その子どもの性格、精神の状態、果ては食事の仕方まで知らなくては本当に教えることにはならないと思う」「子どもを教えるのは本当に大変」と語り、日本においてもベルギーにおいても、基本的には個人でピアノの指導をしなかった[32]。ただ、公開レッスンには情熱を注いでいた[32]。また、子どもへの音楽教育に関しては「親の意思で早い時期から楽器を弾かせないで、本人がやりたいというまで徹底的に音楽を聴かせることが大切」と主張していた[33]。指導した生徒に、作曲家・ピアニストの中村攝がいる[34]

「ピアニスター」のHIROSHIは、幼い頃ピアノ教室で『宮沢明子 ピアノ教室 ブルクミュラー25の練習曲』のレコードを聴いて感動し、後年スタッフとして働いていたテレビ番組に宮沢が出演した際には、レコードを持参してサインをもらった[35]。宮沢は現物を自分で持っていなかったため、「よくぞとっといてくださったわ」と語り涙した[35]

また、1969年にオープンした「小劇場渋谷ジァン・ジァン(2000年閉店)」の名付け親にもなった[36]。「フランスっぽい名前を」というリクエストに対し「ジァン」と応えたが、「もっとユニークなものを」と返されたので「お客がじゃんじゃん来るように」という意味を込めて「ジァンジァン」とした[36]

主なディスコグラフィ[編集]

著書[編集]

  • 『ピアニストの休日』大和書房、1980年10月。NCID BN02386902
  • 『ピアニストの自画像』吹田靖治編、大和書房、1992年12月。ISBN 9784479010685NCID BN08514652

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ “ピアニストの語りに奥深さ痛感(ロータリー)”. 朝日新聞朝刊: 岡山面. (1999年2月9日) 
  2. ^ “週間ガイド”. 朝日新聞朝刊: 茨城面. (1997年12月12日) 
  3. ^ a b c d “「歳とるごとに、華を感じさせたい」ピアニスト宮沢明子、東京公演”. 朝日新聞夕刊: p. 18. (2004年3月8日) 
  4. ^ “宮沢浩一さん死去”. 朝日新聞朝刊: p. 31. (2010年8月10日) 
  5. ^ “宮沢八千代さん死去”. 朝日新聞朝刊: p. 39. (2000年3月14日) 
  6. ^ a b c d “ピアニスト宮沢明子さん――両親の愛(レッスン室から)”. 日本経済新聞朝刊: p. 2. (1987年1月17日) 
  7. ^ “宮沢八千代さん(中央大教授・宮沢浩一氏、ピアニスト・宮沢明子さんの母)死去”. 読売新聞東京夕刊: p. 19. (2000年3月13日) 
  8. ^ “宮沢義衛氏”. 毎日新聞東京夕刊: p. 11. (1988年4月7日) 
  9. ^ 宮沢明子 デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説”. コトバンク. 2020年3月8日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g “宮沢明子さん死去”. 朝日新聞朝刊: p. 38. (2019年5月31日) 
  11. ^ “【立ち話...近況報告】宮沢明子 息の長い音楽家でありたい”. 産経新聞東京朝刊: 音楽面. (2002年8月11日) 
  12. ^ “【この学校】清泉女学院中学・高校(女子) 世界に63の姉妹校”. 産経新聞東京夕刊: 1. (1996年12月4日) 
  13. ^ “井口愛子さん(死去)”. 日本経済新聞朝刊: p. 23. (1984年12月2日) 
  14. ^ “ドニース・トルコフスキーさん死去”. 中日新聞夕刊: p. 21. (1991年3月15日) 
  15. ^ a b “ピアニスト宮沢明子さん欧米留学(レッスン室から)”. 日本経済新聞朝刊: p. 2. (1987年1月24日) 
  16. ^ 結果”. www.concorsoviotti.it. www.concorsoviotti.it. 2021年2月28日閲覧。
  17. ^ a b c d “【訃報】宮沢明子さん(ピアニスト)”. 産経新聞東京朝刊: p. 29. (2019年5月31日) 
  18. ^ “聖イグナチオ教会の新聖堂造り助け、宮沢明子がピアノ演奏会”. 朝日新聞夕刊: p. 12. (1995年9月28日) 
  19. ^ a b “宮沢明子リサイタル、日本での活動本格的に(がいどガイド)”. 日本経済新聞夕刊: p. 14. (2002年8月30日) 
  20. ^ “ピアニスト宮沢明子さん――お金で買えないモノ(レッスン室から)”. 日本経済新聞: p. 2. (1987年1月31日) 
  21. ^ “職人技継承を請われ、定年後も後輩指導へ ピアノ調律師・細谷さん=静岡”. 読売新聞東京朝刊: p. 35. (2006年3月19日) 
  22. ^ “[キーボード]「天才」職人=静岡”. 読売新聞東京朝刊: p. 35. (2006年4月9日) 
  23. ^ “自動再演ピアノ大当り”. 毎日新聞東京朝刊: p. 8. (1987年6月19日) 
  24. ^ “初夏に聞くパリの香り シャンソンの大物続々来日”. 読売新聞東京夕刊: p. 13. (1987年5月13日) 
  25. ^ “訃報: 宮沢明子さん 78歳=ピアニスト”. 毎日新聞東京朝刊: p. 22. (2019年5月13日) 
  26. ^ “宮沢明子さん(ピアニスト)(死去)”. 日本経済新聞朝刊: p. 35. (2019年6月1日) 
  27. ^ “宮沢明子さん死去 78歳、国際的ピアニスト 東京”. 日本経済新聞東京朝刊: p. 30. (2009年5月31日) 
  28. ^ “【文化】最高齢ピアニスト ホルショフスキー氏逝く”. 産経新聞東京夕刊: 文化面. (1993年5月31日) 
  29. ^ “(訃報)宮沢明子さん死去”. 東京新聞朝刊: p. 26. (2019年5月31日) 
  30. ^ “【書評】宮沢明子 ピアニストの肖像吹田靖治編”. 産経新聞東京夕刊: 読書2面. (1993年1月19日) 
  31. ^ “【ショートプログラム】「ピアニストの自画像」出版”. 産経新聞東京朝刊: 音楽面. (1992年12月16日) 
  32. ^ a b “純粋無垢な教え子――ピアニスト宮沢明子氏(交遊抄)”. 日本経済新聞: p. 32. (1986年5月31日) 
  33. ^ “子どもと音楽の出合いと触れ合い(文化往来)”. 日本経済新聞朝刊: p. 32. (1987年7月15日) 
  34. ^ “作曲家・ピアニスト中村攝氏――埋もれた“福音”後世に(創る)”. 日本経済新聞朝刊: p. 19. (1995年8月20日) 
  35. ^ a b “HIROSHIさん ピアノ練習曲(わたしの一品)”. 朝日新聞大阪夕刊: p. 3. (2003年3月6日) 
  36. ^ a b “小劇場 渋谷ジァン・ジァン 30年の歴史に終止符 アンダーグラウンド文化の象徴的なライブハウス もう、役割を果たした 新人の登竜門として井上陽水さんら輩出”. 東京新聞朝刊: p. 26. (1998年4月22日) 
  37. ^ [xrcd 宮沢明子/モーツァルト: ピアノ・ソナタ全集 [XRCD] - TOWER RECORDS ONLINE]”. tower.jp. 2020年3月4日閲覧。
  38. ^ 宮沢明子/Yoshinao Nakada: Suite for Piano "Time", "Light and Shadow", Sonata for Piano - TOWER RECORDS ONLINE”. tower.jp. 2020年3月4日閲覧。
  39. ^ “中田喜直作曲「ピアノ・ソナタ」初めて世に”. 日本経済新聞夕刊: p. 3. (2016年7月26日) 
  40. ^ アイテム検索 - TOWER RECORDS ONLINE”. tower.jp. 2020年3月4日閲覧。

注釈[編集]

  1. ^ 計算すると、宮沢の順位は5番目である。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]