宮本義己

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宮本 義己(みやもと よしみ、1947年 - )は、日本日本史学者。

茨城県生まれ。國學院大學大学院日本史学専攻博士課程満期退学。帝京大学講師、鳩山町史編集委員会専門調査員を経て、國學院大學文学部・芝浦工業大学システム工学部講師。日本中世・近世史を専攻するかたわら、独自の日本医道史の研究を進め、学会誌に多くの論文を発表している[1]

著書[編集]

  • 『戦国武将の健康法』(新人物往来社、1982)『戦国武将の養生法』新人物文庫
  • 『天下とり健康法 史実と医学があかす徳川家康の養生訓』(講談社、1982)
  • 『読める年表 4 戦国織豊篇』(自由国民社、1982)
  • 『徳川家康の秘密 -最高の経営・管理者と呼ばれた男-』(ベストセラーズ ワニ文庫、1992)
  • 『知られざる「養生日記」- 歴史が明かす賢人健康秘話!!-』(ベストセラーズ ワニ文庫、1993)
  • 『応仁の乱に生きる』上・下(日本放送出版協会、1994年)
  • 『歴史に学ぶ健康の知恵 心と身体の養生ガイドブック』(中央労働災害防止協会、1995)
  • 『歴史をつくった人びとの健康法 生涯現役をつらぬく』(中央労働災害防止協会、2002)
  • 『誰も知らなかった』(毎日コミュニケーションズ マイコミ新書、2010)

共編著・監修[編集]

論文[編集]

  • 「曲直瀬一渓道三と茶道(一)(二)(三)」(『茶道雑誌』35巻8号・9号・10号、1971年)
  • 「畠山義綱と医道伝授(一)(二)」(『日本医史学雑誌』18巻4号・19巻1号、1972年・1973年)
  • 「稲葉一鉄の医道知識と薬方相伝」(『国学院大学大学院紀要』5輯、1973年)
  • 「足利将軍義輝の芸・雲和平調停―戦国末期に於ける室町幕政―」(『国学院大学大学院紀要』6輯、1974年)
  • 「足利将軍義輝の芸・豊和平調停(上)(下)」(『政治経済史学』102号・103号、1974年)
  • 「武家女性の資産相続―毛利氏領国の場合―」(『國學院雑誌』76巻7号、1975年)
  • 「曲直瀬一渓道三と足利義輝」(『日本歴史』350号、1977年)
  • 「曲直瀬道三著述の茶書-『数奇道次第』第三巻について-(一)(二)(三)(四)」(『茶道雑誌』41巻12号・42巻2号・42巻7号・45巻3号、1977年・1978年・1978年・1981年)
  • 「戦国大名毛利氏の和平政策―芸・雲和平の成立をめぐって―」(『日本歴史』367号、1978年)
  • 「美濃三人衆の去就―織田信長の美濃経略―」(『歴史手帳』6巻1号、1978年)
  • 「曲直瀬道三と数奇大名毛利輝元の交友」(『淡交』385号、1979年)
  • 「戦国大名斎藤氏と茶の湯―稲葉良通相伝の珠光流不住庵梅雪茶書―」(『茶湯』15号、1979年)
  • 「中世後期乃至近世初期 日本医学史の特質I-道三流医術における神麹の薬方応用例-」(『國學院雑誌』81巻4号、1980年)
  • 「近世初期の名医 曲直瀬道三の人物と業績」(『医学選枠』28号、1981年)
  • 「豊臣政権の医療体制-施薬院全宗の医学行跡を中心として-」(『帝京史学』2号、1986年)
  • 「豊臣政権の番医―秀次事件における番医の連座とその動向―」(『国史学』133号、1987年)
  • 「豊臣政権における太閤と関白―豊臣秀次事件の真因をめぐって―」(『國學院雑誌』89巻11号、1988年)
  • 「春日の局―大奥の権化となった家光の乳母―」(『別冊歴史読本』13巻16号、1988年)
  • 「徳川家康公の再評価」(『大日光』64号、1992年)
  • 「戦国期毛利氏領国における医療体制刷新の実相―曲直瀬道三の医療教導と元就の医道伝授―」(『帝京史学』8号、1993年)
  • 「戦国期における毛利氏領国の医療と医術」(米原正義先生古稀記念論文集刊行会編『戦国織豊期の政治と文化』続群書類従完成会、1993年)
  • 「徳川家康公と医学」(『大日光』66号、1995年)
  • 「室町幕府と琉球使節-琉球船貢物点検問題の実相とその意義-」(『南島史学』45号、1995年)
  • 「豊臣政権下における家康の危機」(『大日光』67号、1996年)
  • 「徳川家康の危機管理」(『大日光』68号、1997年)
  • 「戦国「名将夫婦」を語る10通の手紙」(『歴史読本』42巻10号、1997年)
  • 「“直江状”の信憑性」(『歴史読本』43巻8号、1998年)
  • 「家康と秀吉―内府“律義”の真相―」(『大日光』69号、1999年)
  • 「徳川家康の人情と決断―三成“隠匿″の顚末とその意義―」(『大日光』70号、2000年)
  • 「近世村落社会における修験同行の存在形態」(『鳩山町史研究』2号、2000年)
  • 「史料紹介&ドキュメント「霜女覚書」が語るガラシァの最後」(『歴史読本』45巻12号、2000年)
  • 「「三刀谷田辺記」が語る田辺城の60日」(『歴史読本』45巻12号、2000年)
  • 「松平元康<徳川家康>の器量と存在感」(『大日光』71号、2001年)
  • 「松平元康<徳川家康>の早道馬献納―学説とその典拠の批判を通して―」(『大日光』73号、2003年)
  • 「室町幕府の対明断交と日琉貿易―続添鴻宝秘要抄を通して―」(『南島史学』62号、2003年)
  • 「徳川家康の豊臣政権運営―「秀吉遺言覚書」体制の分析を通して―」(『大日光』74号、2004年)
  • 「内府(家康)の公儀掌握と関ヶ原合戦」(『大日光』76号、2006年)
  • 「松平家の「記録」を読む」(『歴史読本』51巻1号、2006年)
  • 「曲直瀬道三の「当流医学」相伝」(二木謙一編『戦国織豊期の社会と儀礼』吉川弘文館、2006年)
  • 「「当流医学」源流考-導道・三喜・三帰論の再検討-」(『史潮』59号、2006年)
  • 「三河三奉行の実像に迫る」(『歴史読本』52巻3号、2007年)
  • 「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』78号、2008年)
  • 「直江状」(花ヶ前盛明監修『直江兼続の新研究』宮帯出版社2009年)
  • 「直江状研究諸説の修正と新知見」(『大日光』82号、2012年)
  • 「徳川家康と本草学」(笠谷和比古編『徳川家康―その政治と文化・芸能―』宮帯出版社、2016年)

脚注[編集]

  1. ^ 『誰も知らなかった江』著者紹介