宮本恵美子
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基本情報 | |||||||||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 | 1937年5月10日(85歳) | ||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Emiko Miyamoto | ||||||||||||||||||||
身長 | 172cm | ||||||||||||||||||||
体重 | 60kg | ||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||
ポジション | ライト | ||||||||||||||||||||
利き手 | 左 | ||||||||||||||||||||
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宮本 恵美子(みやもと えみこ、現姓:寺山、1937年5月10日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト。東洋の魔女 (Oriental Witches) [1]の主力メンバー。
来歴[編集]
和歌山県和歌山市出身。和歌山市立明和中学校[2]時代に近畿大会で優勝[3]。和歌山商業高校在学中にスカウトされて、実業団の日紡貝塚(当時)に入部。
入部当初は不器用なタイプで、アタックは強烈だがレシーブやトスがこなせず、「試合に出られなくても球拾いで頑張る」と自分に言い聞かせて、2年間控えにまわる[3]。その姿を見続けてきた大松博文監督(当時)は「必ずモノになる」と確信したと述懐している[4]。しだいにトスやレシーブが上達し、チームが9人制から左アタッカーが有利な6人制にシフトしたこともあり、レギュラーを獲得した[3]。東洋の魔女の一員として、1962年の世界選手権では優勝に大きく貢献しMVPを獲得、「世界一のアタッカー」と呼ばれた。つづく1964年10月の東京オリンピックでも金メダル獲得に大きく貢献した。
現役引退後の1965年3月に、元東京オリンピックバスケットボール強化コーチと結婚した。
球歴[編集]
- 所属チーム履歴
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
脚注[編集]
- ^ Remembering the Oriental Witches: Sports, Gender and Shōwa Nostalgia in the NHK Narratives of the Tokyo Olympics / Oxford University Press
- ^ 【東京五輪開幕から50年】メダリストからの“金”言!(4/5ページ)サンスポ 2014年10月10日
- ^ a b c 日立市在住 東洋の魔女 寺山恵美子さんに聞いてみたいばナビ
- ^ VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1964年9月号 76ページ
参考文献[編集]
- VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1964年10月号 44-45ページ
- VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1965年5月号 74ページ
外部リンク[編集]
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