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実吉捷郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1949年頃の近影(アサヒグラフ掲載)

実吉 捷郎(さねよし はやお、1895年明治28年)1月20日 - 1962年昭和37年)2月15日)は、日本独文学者翻訳家

経歴

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1895年に実吉安純の六男として東京に生まれる。 東京帝国大学卒業後、水戸高等学校(旧制)[1]府立高等学校などで教師生活を経て、1949年旧・東京都立大学教授となる。 後に桐朋学園大学教授、立正大学教授。

一時期は伯爵日野資秀の三女と結婚し、婚姓から「日野 捷郎」という名前で著作活動をした。 義兄日野資謙の死去に伴い、1925年6月1日に伯爵を襲爵[2][3]。 1931年2月27日に隠居し[2][4]、同年4月10日に離婚[2]したため復姓した。 トーマス・マンなどの日本への紹介で貢献的な役割を果たした一人である。

長男は、国語学者で静岡大学名誉教授の日野資純。 再婚後生まれた次男は、ドイツ文学者でシューベルトの歌曲の翻訳などをした北里大学教授の実吉晴夫(1940 - 2003)。

府立高等学校時代には、同校の校歌を作曲をした。教え子に徳永康元などがいる。

著書

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  • 『つばくらめ 実吉捷郎遺稿集』(同学社) 1963

翻訳

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脚注

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  1. ^ 『岫雲録』吾妻書房、1964年、12頁。 
  2. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成』下巻、410頁。
  3. ^ 『官報』第3831号、大正14年6月2日。
  4. ^ 『官報』第1258号、昭和6年3月12日。

参考文献

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外部リンク

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日本の爵位
先代
日野資謙
伯爵
日野家第3代
1925年 - 1931年
次代
日野資純