宗谷丸

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宗谷丸(そうやまる)は、太平洋戦争終戦直後まで鉄道省日本国有鉄道の前身)が稚泊連絡船で使用していた貨客船である。稚泊連絡船は、北海道稚内と当時日本領だった樺太大泊との間を結んでいた。

船名は宗谷海峡に由来する。僚船に「亜庭丸」がある。冬季には流氷に閉ざされる海域で運行されるため、本格的な砕氷船として設計された。1942年(昭和17年)に「高島丸」が完成するまで日本最大の砕氷船であった。

沿革[編集]

訓練船となる経緯[編集]

洞爺丸事故及び紫雲丸事故の後1955年6月に設けられた「臨時日本国有鉄道連絡船改善対策審議会」の答申により非常時訓練の必要性が指摘されたことから、元関釜連絡船昌慶丸函館に繋留の上で訓練に使用(1956年3月〜1958年11月)。その後、石炭輸送に復帰した宗谷丸の外洋航海中に訓練を行なうようになった。

南極観測船候補[編集]

戦後、南極観測が実施される際に宗谷丸も改造候補の一つに挙がったが[1]、最終的には旧海軍の特務艦で海上保安庁灯台守)の灯台見回り船であった「宗谷」が改造されることとなった。

諸元[編集]

  • 総トン数 3593t
  • 定員 1等船室18人 2等船室102人 3等船室670人 計790人
  • 乗組定員 87人
  • 喫水 6.6m
  • 長さ 103.3m 幅14.2m 深さ9.2m
  • 貨物搭載量 380t
  • 主缶 舶用スコッチ型4基
  • 主機と軸数 三連成往復動汽機2基、2軸
  • 出力 5851馬力
  • 最高速力 17.06ノット

記念物[編集]

  • 稚内港の稚泊航路記念碑には宗谷丸の模造号鐘が展示されている。
  • 稚内駅には宗谷丸の絵が展示されている。

脚注[編集]

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