宗砌

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宗砌(そうぜい、生年不詳 - 享徳4年1月16日1455年2月2日))は、室町時代中期の連歌師山名時熙持豊(宗全)父子の家臣で、俗名を高山民部少輔時重と称した。

大和国添下郡高山村(現在の奈良県生駒市高山町)の領主であった鷹山氏(高山氏)出身で、高山頼栄の次男[1][2]

連歌梵灯庵に学んだ。永享5年(1433年)、「北野社万句」に参加、文安5年(1448年)に北野連歌会所宗匠となり、連歌界を指導。山名持豊に従い丹波に下向し、康正元年(1455年)に同国で没した。享年は70前後とみられる。「新撰菟玖波集」の中で、心敬についで第2位の入集句数を持つ。宗祇を教え、その後の連歌黄金時代に影響を与えた。連歌論集に「蜜伝抄」(康正元年)がある。

またわび茶に通じた人物であり、村田珠光の依頼を受けて茶道具茶筅(茶筌)を考案したと伝えられる[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 高山・茶筌の里エリアの紹介”. 生駒フィールドミュージアム. 生駒市. 2014年12月17日閲覧。
  2. ^ 高山竹林園”. 奈良県高山茶筌生産協同組合. 2014年12月17日閲覧。

関連項目[編集]