フク不斉

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本来の表記は「宓不斉」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。

宓 不斉(ふく ふせい、生没年未詳)は中国春秋時代儒学者文官である。孔子の弟子の一人。孔子の門人で才能があった七十子の一人に数えられる。子賎しせん)。

論語』では公冶長篇に一度だけ登場する。

史記』仲尼弟子列伝、および『孔子家語』弁政篇によると、不斉が単父(現在の山東省単県)の地の長官となった時に、「狭い土地で政治を行わせるのはもったいない」と孔子が評した。『呂氏春秋』察賢篇、劉向説苑』政理篇、および『韓詩外伝』に載せる逸話によると、このとき不斉は古琴を弾いているだけで単父が治まった。巫馬期も単父を治めたが、非常に苦労したため、不思議に思って巫馬期が宓不斉にたずねると、力に任せず人に任せているために苦労せずに治められるのだと答えたという。

王充論衡』には、宓不斉を性善性悪について議論をなした人物のひとりとしてあげている[1]

顔之推顔氏家訓』書証篇によると、単父に相当する兗州永昌郡城には漢代に立てられた宓不斉の碑があり、そこには『今文尚書』を伝えた伏生が宓不斉の子孫であると書いてあったという。

漢書』芸文志には宓不斉の書として『宓子』16篇があったことを述べている。また、『景子』という書物にも宓子の言葉を記していたという。

脚注[編集]

  1. ^ 王充論衡』本性「宓子賎・漆雕開・公孫尼子之徒、亦論情性、与世子相出入、皆言性有善・有悪。」

関連項目[編集]