完顔允恭

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完顔 允恭(かんがん いんきょう、1146年皇統6年) - 1185年大定25年))は、皇族。第5代皇帝世宗の次男で、その嫡子。生母は女真烏林荅氏。女真名は胡土瓦(ことが、女真音;クトゥハ)。第6代皇帝の章宗麻達葛、第8代皇帝の宣宗吾睹補の父である。同母弟に趙王孰輦・越王斜魯がおり、并王允中は庶長兄、第7代皇帝の衛紹王允済(永済)は異母弟に当たる。

威風凛々とした風貌を持ち、寛大な人柄だったという。おそらく亡き生母の烏林荅皇后の生き写しのように似ていたのであろう。異母兄の允中に対しても、その礼を失しないように穏やかに対応したという。

幼少時から父に溺愛され、世宗即位直後の大定元年(1161年)に楚王に封じられ、翌大定2年(1162年)に皇太子に定められる。允恭は父と同様に漢人を要職に就けて政務を論じあったという。

大定24年(1184年)に父が上京に巡行した時、監国として都の中都(北京)の留守を命じられると、質素な礼節を奨励して優れた政策を残したが、翌大定25年(1185年)に病死した。太子に先立たれた世宗は、涙を流して慟哭したという。その後、亡き太子の次男で嫡子の麻達葛(章宗)を皇太孫に立てた。

大定29年(1189年)、世宗が68歳で逝去して章宗が即位すると、亡き父に顕宗廟号宣孝太子および体道弘仁英文睿徳光孝皇帝諡号を贈った。その亡骸は裕陵に厚葬された。

妻妾[編集]

  • 正室:徒単氏(孝懿皇后)
  • 側室:昭聖皇后(劉氏)、田氏、劉氏、王氏

子女[編集]