安西浩

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安西 浩(あんざい ひろし、明治34年(1901年10月6日 - 平成2年(1990年4月12日)は、日本実業家東京瓦斯の最高実力者として20年以上も君臨し、「法王」と呼ばれる。日本瓦斯協会会長も務めた。

昭和電工社長を務めた安西正夫は弟。東京瓦斯社長・会長・相談役を務めた安西邦夫は二男。長女和子は首相を務めた佐藤栄作の次男佐藤信二に嫁いだ。

略年譜[編集]

人物[編集]

クリーン・エネルギー、液化天然ガス(LNG)の価値にいち早く気付き、海外からの本格的導入に成功。「ミスターLNG」と呼ばれた。日米ソ三国共同のシベリア・ヤークチャ天然ガス開発計画のけん引車として国際的にも有名。日本瓦斯協会会長、東京都公安委員長、日ソ経済委員会委員長、など多くの役職を兼任した。

相撲界とも縁が深く、日本相撲協会運営審議会会長を務めた。また第45代横綱若乃花幹士を贔屓とし、若乃花が二子山部屋を興した時には部屋の後援会会長を務めた。

宗教は日蓮宗[1]。趣味は旅行、読書、柔道[1]

賞罰[編集]

家族・親族[編集]

安西家[編集]

安西家は3代前まで遡れば、一般の庶民であった[2]。この家族を語るときは必ず、戦前の新興財閥であった森コンツェルンとの関係を抜きには語れない[2]。安西家と森家の先祖は千葉県興津(現勝浦市)の在で、道路1本へだてた隣同士だった[2]

後に安西正夫森矗昶の長女・満江が結婚して親族となるが、その祖父にあたる安西八郎兵衛、森為吉は、勝浦の貧しい一漁師にすぎなかった[3]明治の中頃、この地方の漁師たちは海岸に流れつく海草の一種カジメを拾い集めるのが割りのいい仕事だった。焼いてヨード塩化カリをとった[3]。ヨードは傷病兵の治療に使われ、塩化カリは火薬に必要だったため、日清日露の両戦争でその需要が飛躍的に伸びた[3]。これに目をつけた安西、森の両家は、群小の「拾い屋」をまとめて総房水産株式会社を興した[3]。社長に森為吉、専務に安西直一、常務に森矗昶という布陣であった[3]。両家はいわば、隣同士の関係から共同事業主としての関係へと運命共同体として結びついた[3]

参考文献[編集]

  • 鈴木幸夫 『閨閥 結婚で固められる日本の支配者集団』 光文社 1965年 30-31頁、35-44頁
  • 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 角川書店 2002年 328-341頁

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)あ七
  2. ^ a b c d 神一行 著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』332頁
  3. ^ a b c d e f 神一行 著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』333頁
  4. ^ 毎日新聞1953年9月8日付け東京夕刊3頁
  5. ^ 朝日新聞1972年2月8日付け夕刊9
  6. ^ a b 神一行 著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』335頁
  7. ^ a b 神一行 著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』336頁