安戸 (東秩父村)

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安戸
槻川。安戸橋から上流方向を望む。
槻川。安戸橋から上流方向を望む。
安戸の位置(埼玉県内)
安戸
安戸
安戸の位置
北緯36度2分57.21秒 東経139度13分27.40秒 / 北緯36.0492250度 東経139.2242778度 / 36.0492250; 139.2242778
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Saitama Prefecture.svg 埼玉県
秩父郡
市町村 東秩父村
地区 大河原地区
標高
122m
人口
2015年(平成27年)10月1日現在)[1]
 • 合計 717人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
355-0374[2]
市外局番 0493[3]
ナンバープレート 熊谷
※座標・標高は東秩父郵便局付近のもの

安戸(やすど)は、埼玉県秩父郡東秩父村大字[4]郵便番号は355-0374(小川郵便局管区)[2]

地理[編集]

東秩父村東部に位置する[4]。北辺で比企郡小川町勝呂木部笠原飯田増尾と、東部で比企郡小川町腰越と、南西で御堂と、西で奥沢と隣接する。ただし北辺の殆どは官ノ倉山の稜線にあたり車両の通行は不可能である。小字は宿・小滝・町北・大都・帯沢・在家が挙げられる。槻川沿いに東西を貫く 県道11号線が東側で安戸橋を渡り小川町へ通じている[4]。県道沿いと帯沢川入山沢の谷あいに集落が散在する山村である。槻川沿いには狭い谷底平野がみられ、水田が作られている[4][5]

河川[編集]

山岳[編集]

歴史[編集]

古くは平安時代に成立した[6]大河原郷玉川領武光荘に属したと言われる[4]縄文時代中期の集落跡である能気神社前遺跡、武州松山城城主上田氏の家老山田伊賀守の居館と伝えられる山田館跡が残る[4]室町時代には生糸和紙などを産し、鉢形城全盛の16世紀中葉には五十日(5と0が末尾に付く日)には六斎市が立ったとされる[7]江戸時代に入ったのち衰微し、享保年間には市も廃された[7][4]。化政期には12月25日のみ市がたったとされる[4]江戸期初めは天領だったが寛政10年(1798年)より一部が旗本亀井氏の知行となり、天領分は文政10年(1827年)より館林藩領、弘化3年(1846年)より川越藩領、慶応3年(1867年)の前橋帰城により前橋藩領となった[4]。『武蔵田園簿』による村高は332余、他に紙舟役150、「元禄郷帳」によれば403石余、「天保郷帳」では406石余[4]。『旧高旧領取調帳』では秩父郡代・木村飛騨守支配として293石余が、上州前橋藩領として102石余が、聖岩寺領として5石余が、上品寺領として5石が計上されている。 安戸村は分水嶺の東側にあるが秩父郡の郡管に属する外秩父十五ヶ村のひとつに数えられている[7]明治時代に入って1884年明治17年)には連合戸長役場制により、安戸村は奥沢村御堂村と共に秩父郡御堂村連合戸長役場区域に属した。後の1889年明治22年)4月1日町村制施行に伴いこの秩父郡御堂村連合戸長役場区域の3ヶ村は合併して大河原村となり安戸村は大河原村の大字安戸となった[4]。戦後の1956年昭和31年)には大河原村が槻川村と合併し東秩父村を新設、東秩父村の大字となった[4]。昭和22年のキャサリン台風で被害を受けた[4]

地名の由来[編集]

山路を出たところにある休場を意味する「休戸」を安戸と書くようになったことに由来する[4]

沿革[編集]

世帯数と人口[編集]

2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
安戸 254世帯 717人

交通[編集]

鉄道[編集]

地内に鉄道は引かれていない。バス路線を使って小川町駅が利用できる。

バス[編集]

道路[編集]

施設[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat)”. 総務省統計局 (2017年5月30日). 2017年9月10日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月27日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1987年7月再版、P867、PP1320-1323。
  5. ^ 三土正則『排水条件の異なる表面水型水田土壌の断面分化―埼玉県槻川流域の4断面について―』、社団法人日本土壌肥料学会「日本土壌肥料學雜誌 39(5)」所収、P233、1968年5月。
  6. ^ 西村敏也『秩父武甲山に関する一考察─狼信仰とヤマトタケルの由緒─』、武蔵大学総合研究所「武蔵大学総合研究所紀要 (19)」所収、PP207-224、2009年 {{{1}}} (PDF) 、2011-08-05閲覧。
  7. ^ a b c 吉田東伍『増補大日本地名辞書 第六巻 坂東』冨山房、1970年6月増補(1903年10月初版)PP470-472。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]