ヨウ素剤

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ヨウ素剤(ヨウそざい、: Iodine tablet)は、ヨウ化ナトリウムヨウ化カリウム製剤として内服用丸薬、シロップ薬、飽和溶液 (saturated solution of potassium iodide: SSKI)、粉末状の等として製剤される他、アルコール溶液やポリビニルピロリドンとの錯体として製剤される。

放射性同位体崩壊を利用し放射線医学試薬として、または安定同位体を利用して原子力災害時の放射線障害予防薬や造影剤の原料として用いられるほか、強い殺菌力を利用し消毒薬農薬などに用いられる。

消毒薬・農薬[編集]

ポビドンヨードを用いた皮膚の殺菌

古くから、ヨウ素が持つ強力な殺菌効果を利用し、ヨードチンキルゴール液としてうがい薬、外用消毒薬として市販されてきた。また現在ではポリビニルピロリドンとの錯体として、ポビドンヨードとして販売され、強い殺菌力と比較して人体に対する毒性が低いため広く用いられている。

またヨードメタンジヨードメタンヨードホルム等の有機ヨウ素化合物は強い殺菌力および殺虫力を持ち、農薬として土壌燻蒸等に利用される[1]カビ線虫に対する効果が高く、多くが劇薬指定される。

原子力災害時の放射線障害予防薬[編集]

ヨウ素は同位体の種類が多く(ヨウ素の同位体を参照)、その大半が放射性同位体として知られているが、自然に存在するヨウ素のほぼ100%が安定同位体のヨウ素127 (127I) であり、放射性ヨウ素と比較し「安定ヨウ素」と呼ばれる。安定ヨウ素はカリウム塩、ヨウ素酸カリウム錠剤といった「安定ヨウ素」製剤として用いる。

動物甲状腺は、甲状腺ホルモンを合成する際に原料としてヨウ素を蓄積する。原子力災害時等により、不安定同位体の放射性ヨウ素を吸入した場合は、気管支または、咽頭部を経て消化管から体内に吸収され、24時間以内にその10 - 30%程度が甲状腺に有機化された形で蓄積される。放射性ヨウ素の多くは半減期が短く、その代表としてよく知られるヨウ素131 (131I) の半減期は8.1日であり、β崩壊することで内部被曝を起こす。

放射性ヨウ素の内部被曝は甲状腺癌甲状腺機能低下症等の晩発的な障害のリスクを高めることが、チェルノブイリ原発事故の臨床調査結果より知られている[2]

大量にヨウ素を摂取した場合は、甲状腺にヨウ素が蓄積され、それ以後にさらにヨウ素を摂取しても、その大半が中から尿中に排出され、甲状腺に蓄積されないことが知られている。 それを応用したのが、放射線障害予防のための「安定ヨウ素剤」の処方である。

非放射性ヨウ素製剤である「安定ヨウ素剤」を予防的に内服して甲状腺内のヨウ素を安定同位体で満たしておくと、以後のヨウ素の取り込みが阻害されることで、放射線障害の予防が可能である。この効果は本剤の服用から1日程度持続し、後から取り込まれた「過剰な」ヨウ素は速やかに尿中に排出される[3]

また、放射性ヨウ素の吸入後であっても、8時間以内であれば約40%、24時間以内であれば7%程度の取り込み阻害効果が認められるとされる[4][5]

原子力災害時の推奨摂取量(WHOの推奨値)[6]
年齢 ヨウ素摂取量(mg/日) ヨウ化カリウム摂取量(mg/日) ヨウ素酸カリウム摂取量(mg/日) ヨウ素を100mg含む錠剤として
1日あたり飲む個数
12歳以上 100 130 170 1
3歳 - 12歳 50 65 85 1/2
(1錠の半分)
1ヶ月 - 3歳 25 32 42 1/4
(1錠の4分の1)
1ヶ月未満 12.5 16 21 1/8
(1錠の8分の1)

なお、放射性ヨウ素の被曝による甲状腺の障害は、甲状腺の機能が活発な若年者、特に甲状腺の形成過程である乳幼児においてに顕著であり、40歳以上では有意ではない[7]ため、本剤の投与は40歳未満の者に対してのみ行われる[3]国際原子力機関 (IAEA) の基準では本剤の適用範囲を年齢・性別を問わずに適用としているが、世界保健機関 (WHO) の基準では40歳未満としている。一回の安定ヨウ素の投与は永続的なヨウ素過剰による甲状腺疾患は起こさない。

世界保健機関 (WHO) は安定ヨウ素剤配布の基準を甲状腺預託線量100mSvとしているが、安定ヨウ素剤の甲状腺腫瘍の発生を防ぐ効果と副作用のかねあいから小児、妊婦に対しては10mSvも適当であるとしている[8]

日本国内における事前配布[編集]

国(原子力規制委員会)は、平成25年6月に原子力災害対策指針を改正し、PAZ圏内(原子力発電所から概ね5キロメートル以内の地域)の住民に、安定ヨウ素剤を事前配布することとした。これを受けて、原発のある道府県では対象となる住民への安定ヨウ素剤が配布が始まった。 東日本大震災当時、ヨウ素剤は病院や市役所等に都市の夜間人口に対応できるだけの個数が用意されたが、大部分が使われることが無かった。 今回、事前にヨウ素剤を配布したことにより、災害発生時に交通が麻痺していても、手元にあるヨウ素剤を服用できるようになった。

副作用[編集]

本剤に副作用は少ないが、以下のような甲状腺機能異常をはじめとする症状を副作用として惹起する可能性がある[3][5]

ヨウ素過敏症
ヨウ素に対して起こるアレルギー反応である。発熱、関節痛、浮腫蕁麻疹様皮疹を生じ、重篤な場合ショック症状を起こすことがある(アナフィラキシーショックを参照)。一方、医療現場でCT検査の際に使用されるヨード含有造影剤によるアレルギー反応・手指消毒剤のポビドンヨードによる接触性のアレルギー性皮膚炎・魚介類(通常ヨウ素を含んでいる)の経口摂取によるアレルギーなどは、ヨウ化カリウム(ヨウ素剤の成分)とは関係ない別の反応であり、チェルノブイリ原子力発電所事故の際のヨウ化カリウム予防内服の報告等でも、ヨウ化カリウム内服後のアナフィラキシーショックの報告は無い、と主張する論文があり、適切に内服する限りは非常にまれな副作用の可能性がある[9]
甲状腺機能異常症
甲状腺の異常のため機能が亢進または低下している場合や、慢性甲状腺炎患者の場合、ヨウ素製剤の連用によりそれらの病状が悪化する可能性がある。
甲状腺過形成
健康な者が、長期間にわたりヨウ素の過剰摂取を行うと、一過性の甲状腺過形成や機能低下を起こすことがある。
新生児期における一過性の甲状腺機能障害
周産期の母親の過剰摂取による胎児への影響や、ヨウ素を過剰に摂取した母親からの母乳により、新生児の一過性の甲状腺機能低下症が発生する[10]
その他の副作用
チェルノブイリ原子力発電所事故の際の予防内服において(約17,000人の調査)、嘔吐(子供2.38%、大人0.85%)、発疹(子供1.07%、大人1.24%)、腹痛(胃痛)(子供0.36%、大人0.63%)、頭痛(子供0.18%、大人0.69%)、息切れ(子供0.11%、大人0.63%)、下痢(子供0.19%、大人0.12%)という報告がある[11]

外用薬の内服による健康被害の可能性[編集]

ポビドンヨードをはじめとした外用薬や土壌燻蒸剤等の農薬は、内服用に製剤されたものではないため、化合物そのものや、安定剤等の成分により健康被害を及ぼすことがある。また、原子力災害時の予防薬としては、上記に示すように、そもそも40歳以上の人間には効果がないこと、ヨウ素の過剰摂取による副作用、外用薬として製剤されているための副作用などにより、内服は有害であるとされる[12]

甲状腺機能亢進症治療薬[編集]

甲状腺の腫脹等により、甲状腺機能が異常に高まった状態である甲状腺機能亢進症の治療として、甲状腺ホルモン合成を抑制する抗甲状腺剤のほか、ヨウ素剤による治療も行われる。これは、安定ヨウ素と、ヨウ素の放射性同位体が用いられる。

安定ヨウ素剤での治療は、人がヨウ素の短期間での過剰摂取を行うと、甲状腺ホルモン分泌が一時的に抑制されること(ウォルフ・チャイコフ効果Wolff–Chaikoff effect)を利用するものである。この効果は永続的でなく、健常者では数週間で通常に戻る。これをエスケープ現象と呼ぶ[10]

また、放射性同位体を用いた治療(アイソトープ治療)として、放射性同位体であるヨウ素131 (131I) が用いられる。これは同製剤を服用することにより放射性同位体を甲状腺に蓄積させ、同位体がβ崩壊する際の放射線により甲状腺の機能を部分的に破壊することで、甲状腺の機能を低下させるものである。一般に、甲状腺腫が大きかったり、抗甲状腺薬への副作用や、抗甲状腺薬による寛解が見られない場合に行われる[13][14]

シンチレーション剤[編集]

ヨウ素の放射性同位体 (123Iおよび131I) は放射線医学検査・治療用途で利用される。

服用後、シンチレーション検出器によるγ線の計測を行い、カウントおよび画像化により甲状腺のサイズやヨウ素取り込み量の測定(甲状腺シンチグラフィ)、パーキンソン病等の診断として、心筋脂肪酸代謝副交感神経の分布の診断を行う(心筋シンチグラフィ)[15]

また、褐色細胞腫アドレナリンを分泌することを利用し、アドレナリンの前駆体となるノルアドレナリンに構造が類似しており、123Iまたは131Iで標識されたメタヨードベンジルグアニジン(MIBG, 1-(3-iodobenzyl)guanidine, en:Iobenguane)を取り込ませることで、その吸収された部位を観察することができる。(123I-MIBGおよび131I-MIBGシンチグラフィ)

造影剤[編集]

ヨウ素造影剤を用いた脳血管造影写真

ヨウ素はX線吸収が大きく、造影剤(陽性造影剤)として尿路胆道血管等の診断に用いられる(ヨード造影剤)。

脚注[編集]

  1. ^ 床下土壌用防カビ剤組成物 - 特開2007−22947 日本農薬株式会社”. j-tokkyo (2007年2月1日). 2011年3月17日閲覧。
  2. ^ 熊谷敦史、大津留晶、Serik MEIRMANOV、伊東正博、Sagadat SAGANDIKOVA、Daniyal MUSSINOV、Maira ESPENBETOVA et al. (Sep 2006). “一般演題 42 セミパラチンスクの甲状腺腫瘍に対して実施したBRAF遺伝子変異検索(特集 第47回原子爆弾後障害研究会講演集)”. 長崎醫學會雜誌 Nagasaki Igakkai zasshi 81: 363-366. NAID 110006226868. 
  3. ^ a b c (財)原子力安全研究協会. “安定ヨウ素剤 取扱いマニュアル”. 緊急被ばく医療研修ページ. 2011年3月17日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ 井手昇太郎、森下真理子、大津留晶 et al. (Sep 2004). “一般演題 38 ヨードの甲状腺局所循環動態に及ぼす影響(特集 第45回原子爆弾後障害研究会講演集)”. 長崎醫學會雜誌 Nagasaki Igakkai zasshi 79: 294-296. NAID 110001138753. 
  5. ^ a b 原子力安全委員会原子力施設等防災専門部会 (2002年4月). “原子力災害時における安定ヨウ素剤予防服用の考え方について (PDF)”. 2012年1月18日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年3月17日閲覧。
  6. ^ Guidelines for iodine prophylaxis following nuclear accidents 1999 update (PDF)”. 2011年4月2日閲覧。 11ページTable2より引用
  7. ^ 山下俊一 (Jul 2002). “原子力事故時におけるヨウ素剤予防投与の実施体制の概要”. (社)日本アイソトープ協会 Isotope News: 10-14. オリジナルの2011年3月15日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110315033643/http://www.med.nagasaki-u.ac.jp/interna_heal_j/isotope.html. 
  8. ^ In view of the established relatively high risk of thyroid cancer among those exposed in childhood, planning for stable iodine prophylaxis for children should ideally be considered at 1/10th of the generic intervention level, that is at 10 mGy avertable dose to the thyroid. This level is also appropriate for pregnant women. 14ページより引用
  9. ^ Sicherer SH (Dec 2004). “Risk of severe allergic reactions from the use of potassium iodide for radiation emergencies.”. J Allergy Clin Immunol. 114(6): 1395-7. PMID 15577843. 
  10. ^ a b 厚生労働省 (2009年5月). “重篤副作用疾患別対応マニュアル/甲状腺機能低下症 (PDF)”. 2011年3月17日閲覧。
  11. ^ Nauman J, Wolff J. (May 1993). “Iodide prophylaxis in Poland after the Chernobyl reactor accident: benefits and risks.”. Am J Med. 94(5): 524-32. PMID 8498398. 
  12. ^ 独立行政法人放射線医学総合研究所 (2011年3月14日). “ヨウ素を含む消毒剤などを飲んではいけません -インターネット等に流れている根拠のない情報に注意- (PDF)”. 2011年3月17日閲覧。
  13. ^ 甲状腺I-131内用療法シンポジウム企画委員会 (2005年4月1日). “バセドウ病のアイソトープ治療について(患者さんのためのパンフレット) (PDF)”. 2011年3月17日閲覧。[リンク切れ]
  14. ^ すみれ甲状腺グループ 岡本泰之 (2007年4月). “バセドウ病のアイソトープ治療 (PDF)”. 2011年3月17日閲覧。[リンク切れ]
  15. ^ 福士彰二、山口功、布村仁一 (Jan 2004). “パーキンソン病における MIBG 心筋シンチグラフィの検討” (PDF). 日本放射線技術学会 東北部会雑誌 13. http://tohoku-b.umin.ac.jp/data/13bukaizassi/13_page164.pdf. 

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]