安倍洋子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

安倍 洋子(あべ ようこ、1928年6月11日[1] - )は、岸信介の長女、安倍晋太郎の妻、安倍寛信安倍晋三岸信夫らの母[2]書家としても知られる[3]

3代にわたる政治家一家である岸/安倍家の「ゴッドマザー」とも[4]、また、長く清和政策研究会所属議員夫人たちのリーダーを務め[5]、政界に信奉者が多いことから「政界のゴッドマザー」とも称される[6]

経歴[編集]

岸信介・良子夫妻の長女として、東京府豊多摩郡中野町千光前町(後の東京都中野区中野2丁目)に生まれた[2][7]。父・信介の満州国政府への赴任中(1936年 - 1939年)は、中野の家で、母方の祖母に育てられた[7]

1941年に一家は新宿柏木に転居したが、1945年に洋子が白百合高等女学校(現・白百合学園中学校・高等学校)を卒業した後、岸家の実家がある山口県田布施町へ疎開し[8]、洋子も山口銀行の田布施支店に勤務した[9]

1949年、上京し、叔父佐藤栄作吉祥寺の旧宅に入る[10]1950年6月、後に衆議院議員、外務大臣となる、当時は毎日新聞の政治部記者だった安倍晋太郎と見合いをし、1951年5月に結婚した[10]。その後、晋太郎との間に息子3人をもうけ[2]、長男・寛信は会社員、二男の晋三は衆議院議員、総理大臣となり、実家の岸家を継いだ三男の岸信夫も衆議院議員となった。

1953年第26回衆議院議員総選挙山口2区から岸信介が立候補した際に、初めて選挙応援の挨拶に回った[10]。また、1955年保守合同の頃には、渋谷南平台の岸家に、安倍一家も同居していた[10]。その後、岸が外務大臣となった2か月間は白金の公邸に一緒に移り住んだが、総理大臣となって以降に岸は総理公邸には住まず南平台に戻り、安倍一家もこれに従った[11]

岸の政界引退後、洋子は夫の安倍晋太郎の選挙区(山口1区)における活動の指揮をとり[5]、その後は息子たちの選挙に関わり続けたが、「選挙は何回やっても大変です」と述べている[12]

現在は渋谷区富ヶ谷に所有するマンションに居住する[5](ちなみに晋三夫妻も同じマンションの別の部屋に住んでいる[13])。

この間、洋子自身も国際婦人福祉協会募金委員[2]、政治家夫人らの書道グループ「雍容苑」会長、梅若六郎後援会長[14]赤間神宮崇敬会会長[15]など、多数の団体の役職を務めた。

著書[編集]

  • わたしの安倍晋太郎:岸信介の娘として(ネスコ、1992年)

脚注[編集]

  1. ^ 首相動静・2016年6月11日 時事通信 「母親の洋子さんの米寿祝いパーティ」の記述あり
  2. ^ a b c d “[人物略歴]安倍洋子氏<故・安倍晋太郎氏の妻>”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 4. (1994年4月3日)  - 毎索にて閲覧
  3. ^ 桐山正寿 (2009年3月17日). “矢萩春恵さん:文化庁長官表彰を350人が祝う 長年の書業をたたえ”. 毎日新聞・東京夕刊: p. 4. "会場には書家、門人の元首相、安倍晋三さんの母・安倍洋子さんをはじめ、…"  - 毎索にて閲覧
  4. ^ 絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」”. 講談社. 2016年3月25日閲覧。
  5. ^ a b c 安倍新総裁の母、78歳の高齢でも息子に演説法指導”. 中央日報日本語版 (2006年9月22日). 2016年3月25日閲覧。
  6. ^ 安倍首相の母・洋子さん モンゴルで対北朝鮮交渉の驚愕情報”. NEWSポストセブン/小学館 (2014年8月4日). 2016年3月25日閲覧。
  7. ^ a b 安倍洋子; 竹内光 (1994年4月3日). “[新編戦後政治]/155 女性たちが語る 安倍洋子さん/1”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 4  - 毎索にて閲覧
  8. ^ 安倍洋子; 竹内光 (1994年4月10日). “[新編戦後政治]/156 女性たちが語る 安倍洋子さん/2”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 4  - 毎索にて閲覧
  9. ^ 安倍洋子; 竹内光 (1994年4月17日). “[新編戦後政治]/157 女性たちが語る 安倍洋子さん/3”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 4  - 毎索にて閲覧
  10. ^ a b c d 安倍洋子; 竹内光 (1994年4月24日). “[新編戦後政治]/158 女性たちが語る 安倍洋子さん/4”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 4  - 毎索にて閲覧
  11. ^ 安倍洋子; 竹内光 (1994年5月1日). “[新編戦後政治]/159 女性たちが語る 安倍洋子さん/5”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 4  - 毎索にて閲覧
  12. ^ 安倍洋子; 竹内光 (1994年8月7日). “[新編戦後政治]/172 女性たちが語る 安倍洋子さん/18”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 4. "父の選挙は“応援する娘”の立場でした。主人のときは“妻の内助”として苦楽を共にしました。今度は晋三・昭恵の“母の目”で陰から見ております。しかし、選挙は何回やっても大変です。"  - 毎索にて閲覧
  13. ^ 住民登録はしていない。
  14. ^ 安倍洋子; 斎藤正利 (2000年11月18日). “[ひと]安倍洋子さん=政治家夫人らの書道グループ「雍容苑」会長”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 5  - 毎索にて閲覧
  15. ^ “赤間神宮:参道、新しい石畳に”. 毎日新聞・地方版/山口東: p. 23. (2012年4月24日)  - 毎索にて閲覧