守山城 (越中国)

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守山城
富山県
別名 二上城、海老坂城、森山城
城郭構造 山城
主な城主 斯波氏神保氏上杉氏前田氏
位置 富山県高岡市東海老坂

守山城(もりやまじょう)は、富山県高岡市越中国射水郡)にあった日本の城山城)。

概要[編集]

守山城はまた、二上城、海老坂城ともいう。越中平野を一望に見下ろし、山高く道険しく前方は小矢部川、後方は氷見の湖水に挟まれた要害であり、築城時期は明らかではないが「南北朝末期(1371年)に南党の桃井直常石動山天平寺の宗徒と示し合わせて、越中守護・斯波義将の本城・守山を攻め落とした」と書かれているため相当古いと考えられる。

歴史[編集]

松倉城魚津市)、増山城礪波市)と並び越中三大山城と称された。

永禄11年(1568年)3月、越後上杉謙信は大軍を率いて越中へ侵攻し、守山城を攻撃している。当時の城主・神保氏張は、謙信に降伏して配下となっていた神保氏当主・神保長職と対立していた。この時は謙信の本国・越後で本庄繁長の乱が起きたため、謙信は守山城攻めを中止し、引き上げている。

この後、度重なる謙信による越中出兵に遭い守山城は陥落、上杉方の城となった。