予土線
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基本情報 | |||
通称 | しまんとグリーンライン | ||
国 |
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所在地 | 高知県、愛媛県 | ||
種類 | 普通鉄道(在来線・地方交通線) | ||
起点 | 若井駅 | ||
終点 | 北宇和島駅 | ||
駅数 | 20駅 | ||
電報略号 | ウワセ(宇和島線時代)[1] | ||
路線記号 | G | ||
開業 | 1914年10月18日 | ||
全通 | 1974年3月1日 | ||
所有者 | 四国旅客鉄道 | ||
運営者 | 四国旅客鉄道 | ||
使用車両 | 運行形態を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 76.3 km | ||
軌間 | 1,067 mm(狭軌) | ||
線路数 | 全線単線 | ||
電化方式 | 全線非電化 | ||
最大勾配 | 30 ‰ | ||
最小曲線半径 | 160 m | ||
最高速度 | 85 km/h | ||
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予土線(よどせん)は、高知県高岡郡四万十町の若井駅から愛媛県宇和島市の北宇和島駅に至る四国旅客鉄道(JR四国)の鉄道路線(地方交通線)である。
愛媛県と高知県を結ぶ唯一の鉄道路線で、土佐くろしお鉄道中村線と予讃線を結んでいる。高知県内では四万十川の上流部に沿って走る路線であることから、「しまんとグリーンライン」の愛称が与えられている。
なお、土佐くろしお鉄道中村線からの分岐点は正確には若井駅ではなく中村線の若井駅 - 荷稲駅間にある川奥信号場で、若井駅 - 川奥信号場間は土佐くろしお鉄道中村線にも属する重複区間となっている。また、当路線各駅の駅ナンバリングは番号部分に限り、土讃線の高知駅からの通し番号になっている。
2018年10月に愛媛県予土線利用促進対策協議会が「YODOSENサポーター」を開始した。内容は鉄道ファンだけでなく、地元の関係者から路線存続に向けて活動を行う予定[2][3]。
路線データ[編集]
- 管轄(事業種別):四国旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):76.3km
- 軌間:1067mm
- 駅数:20(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式[5]
- 若井 - 川奥信号場:自動閉塞式
- 川奥信号場 - 宇和島:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
- 交換可能駅・信号場:6(川奥信号場、土佐大正駅、江川崎駅、吉野生駅、近永駅、伊予宮野下駅)
- 最高速度:
- 若井駅 - 川奥信号場間 110km/h
- 川奥信号場 - 江川崎駅間 85km/h
- 江川崎駅 - 北宇和島駅間 65km/h
- 最急勾配:30‰(標準勾配としては 26.1‰=北宇和島駅 - 務田駅間)[6]
- 最小曲線半径:160m
沿線概況[編集]
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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北宇和島 - 吉野生間は宇和島鉄道と呼ばれる軽便鉄道であった名残から低規格で非常にカーブが多く、この区間の列車は極度に低速である。逆に江川崎 - 若井間は1970年代に新たに開通した高規格路線で、比較的高速の運転が行われる[6]。
清流四万十川沿いに走る線として有名で、土佐大正 - 江川崎間は蛇行する四万十川を串刺しにするように線路が敷かれており、進行方向のどちらからでも四万十川を見ることができる。この区間では風景を写真におさめる人も多々おり、非常に眺めの良い絶景が続く。毎年5月頃に十川駅前では四万十川の両端で「こいのぼりの川渡し」を見ることができる。江川崎以西は流域に人家の多い支流(広見川)沿いに走るが、川の風情は本流ほどではない。
そのように恵まれた沿線風景を旅客誘致につなげる目的で、国鉄時代の1984年から、トロッコ列車「清流しまんと号」の運行が開始された。国鉄・JRグループとしては最初のトロッコ列車で、以後各地の国鉄・JR線でトロッコ列車が運行されるようになった。
途中にある半家駅はその読み方からクイズ番組などに取り上げられることが多い。「若い(若井)と言われ喜び、ハゲ(半家)と言われて怒り出す。大正(土佐大正)、昭和(土佐昭和)があって、なぁーせ(方言で何故)明治(、平成と続くことも)がない」と地元で謡われている。
運行形態[編集]
幹線交通路からは外れた閑散路線であり、特急列車は運転されておらず全列車が普通列車で、江川崎 - 宇和島間の1往復をのぞきワンマン運転を行っている。
2020年3月14日からは朝の宇和島 - 近永間1往復も車掌が乗務するツーマン列車となった。
高知県側からは土讃線窪川駅から列車が発着している。窪川駅発着の列車の場合、窪川 - 若井間は土佐くろしお鉄道の鉄道路線であるので、この区間は土佐くろしお鉄道の運賃210円(2015年現在)を別途要する。学校が休みの期間中は、車内で「青春18きっぷで乗り通す人は若井 - 窪川間の運賃を払うよう」アナウンスされる。
窪川 - 宇和島間の列車のほか、江川崎・近永 - 宇和島間などに区間運転列車があり、1 - 3時間に1本運行され、宇和島からは21時台半ばまで運行されている。
輸送量が少ない事情から、古くは1960年代のキハ02形レールバス、1987年にはキハ32形などの小型気動車が投入された。一時高松 - 窪川 - 宇和島間運転の急行「あしずり」が1往復設定されていたことがあり、予土線内は快速となっていた[7]。直通がなくなってからもしばらくは窪川 - 宇和島間運転の快速が1往復残っていた時期があり、初期の「清流しまんと号」が宇和島駅から連結されていた。
現在はキハ32形での運用のほか、キハ54形で運用される列車もあったり、2006年5月頃までは宇和島 - 江川崎間の1往復のみキハ185系(3000番台もしくは3100番台)が運用されたこともあった。
2010年頃より、車両の前面下部に鉄棒が装着されているが、これは沿線で増加するシカとの衝突を想定したもので、車両の下へ巻き込ませないための予防的措置である[8]。
このほか、「しまんトロッコ」、「海洋堂ホビートレイン」、「鉄道ホビートレイン」(それぞれ次節以降参照)が運行されている。
トロッコ列車[編集]
1984年夏に二軸無蓋貨車のトラ45000形トラ152462を改造し、国鉄初のトロッコ列車として運行開始。以来、春から秋にかけて「清流しまんと号」・「清涼しまんと」・「四万十トロッコ」・「しまんトロッコ」などの名称で運行され続けている。1997年にキクハ32形キクハ32 501も加わり「清流しまんと51・52号」として運転し、トロッコ列車が1日2往復していた時期もあった。なお、貨車改造トロッコに連結される気動車はエンジン出力の大きいキハ54形が充当されている。キクハ32形トロッコに連結される気動車はキハ185系である。
貨車改造トロッコは2013年(平成25年)10月にキハ54形キハ54 4とともに九州旅客鉄道(JR九州)などの車両デザインを手掛けている水戸岡鋭治によってリニューアルされ、黄色のラッピング車体となり現在は「しまんトロッコ」の愛称をつけて運転している[9] 。運行期間は毎年4月から5月と7月から11月までの土曜・休日や大型連休で、1号(窪川発宇和島ゆき)・2号(宇和島発窪川ゆき)ともに定期普通列車にトロッコ車両を併結して運転されている。トロッコ車両に乗車可能な区間は1号・2号ともに江川崎駅 - 土佐大正駅間で、それ以外の区間は締め切られ回送扱いとなる。また、トロッコ車両は全席指定のためトロッコ車両に乗車するには指定席券が必要であるが、併結している一般車両は自由席のため、指定席券を購入する際は、乗車区間は1号は土佐大正駅から江川崎駅の間で、2号は江川崎駅から土佐大正駅の間で(または、その区間内のいずれかの駅を含む区間で)、それぞれ購入することになっている。なお、この定期普通列車は「しまんトロッコ」として運転される日は江川崎駅 - 土佐大正駅間で速度を落として運転するため、途中の半家駅、十川駅、土佐昭和駅では発車時刻が変更される。
トロッコ車両は動力を持たないほかキクハ32形とは異なり運転台も持たないため、先に2号として運用されたあと、窪川駅に到着後は同駅構内にて入替作業が行われ、1号として折り返す際も一般車両の後ろに連結された状態で運行する。車掌が乗務しており、トロッコ車両の乗車区間では観光案内(列車によっては地元の観光ガイドが添乗することもある)のほか記念乗車証の配布などが行われる。
過去は、2013年から暫くの間は予土線の窪川駅 - 宇和島駅間の1往復を臨時列車として運転した。トロッコ車両乗車可能区間は、ダイヤ改正の際に変更になることがあったが、2013年は土佐大正駅→江川崎駅間(1号)と十川駅→土佐大正駅間(2号)であった。2014年からの運転では、全席指定の臨時快速列車となり、トロッコ車両に乗車できるのは、窪川駅→江川崎駅間(1号)と宇和島駅→十川駅間(2号)となっていた。2016年の運転では、途中停車駅は近永、松丸、江川崎、土佐大正のみ、トロッコ車両乗車可能区間は、窪川駅→江川崎駅間(1号)と宇和島駅→土佐大正駅間(2号)となっていた。
ホビートレイン[編集]
予土線では、利用促進を図るためホビートレインを企画し、運行している。2011年7月から、海洋堂ホビー館四万十の開業に合わせて、海洋堂のフィギュアを展示する「海洋堂ホビートレイン」の運行を開始した[10]。当初は1年間ほどの運行予定であったが、期間が延長された。2013年7月にはSFをコンセプトとした2代目デザインにリニューアルされ、以後も定期運用されている。
2016年には沿線地域で「2016奥四万十博」と「えひめいやしの南予博2016」が開催されるのに合わせて四万十川に住む「かっぱの世界」をコンセプトとした3代目デザインの「海洋堂ホビートレイン『かっぱうようよ号』」にリニューアルされ、7月から運行されている[11][12]。
また、予土線の全線開通40周年および宇和島 - 近永間開通100周年に合わせ、0系新幹線をイメージした「鉄道ホビートレイン」を2014年3月15日から運行開始している[13]。2017年3月にタカラトミーの鉄道玩具・プラレールとのコラボレーションを発表。2018年3月までの1年間の予定で、「鉄道ホビートレイン『プラレール号』」として車内でプラレールの展示を行っている[14]。宇和島駅、窪川駅でもプラレールジオラマの展示を行っている[15]。
臨時特急「I LOVE しまんと」[編集]
1997年7月28日から8月18日の間、臨時列車ながら特別急行列車として「I LOVE しまんと」が高知 - 宇和島 - 松山間で運転された。2日間で1往復していた。同年9月以降の運転は高知 - 宇和島間1日1往復になり同年11月までの土曜・日曜・祝日と、1998年、1999年は7月 - 9月の土曜・日曜・祝日(夏休み期間は毎日)の間運行された。土佐くろしお鉄道内の特急料金・指定席料金は収受されなかった。
- 運行時の状況
- 宇和島 - 江川崎間は路盤、線形が非常に悪くトロッコ列車並みの低速、さらに、松山 - 宇和島間、窪川 - 高知間は臨時列車のため行き違い、運転停車の連続で、松山 - 高知間は5時間以上、宇和島 - 高知間約154kmを3時間以上かけて走っていた。
- 使用車両
- キハ185系2両(キハ185-1016+キハ185-9)。公募で選ばれたデザインの専用車両で運行された。前面にはかわうその顔が描かれており、側面はもとより車内天井、床面までペイントが施されていた。
- なお、宇和島寄り1号車が禁煙指定席(12席が自由席)、高知寄り2号車が一般自由席であった。
- 停車駅
- 高知駅 - 松山駅間の運転では次の駅に停車していた。
- 高知駅 - 宇和島駅間の運転では次の駅に停車していた。
新聞輸送[編集]
朝の列車で県紙朝刊の輸送を行っている(2007年5月現在)。下り4833Dが高知新聞を、上り4832Dが愛媛新聞を数十部積み、共に江川崎駅で業者に引き渡している。
予土線3兄弟[編集]
2014年2月にJR四国が「鉄道ホビートレイン」を同年3月15日から運行を開始することに伴い、「しまんトロッコ」と「海洋堂ホビートレイン」とともに観光列車のユニットとして「予土線3兄弟」と名付けた。長男を「しまんトロッコ」、次男を「海洋堂ホビートレイン」、三男を「鉄道ホビートレイン」とし、同時にロゴマークを発表した。通称は「YODO LINE BROTHERS」である[16]。2015年3月7日にデビュー1周年記念として、宇和島運転区機関庫前に展示した[17]。また予土線3兄弟を連結したイベント列車を2014年10月には「なかよし3兄弟 はじめての遠足号」として、2015年10月には「予土線3兄弟 2015秋の遠足号」として、2016年12月には「奥四万十クリスマス号」[18]として運転した。
輸送密度[編集]
路線全体の平均通過人員(輸送密度:人/日)は以下の通り[19]。
- 1989年度:575人/日
- 2011年度:252人/日[20]
- 2012年度:276人/日
- 2013年度:268人/日
- 2014年度:291人/日[21]
- 2015年度:307人/日
- 2016年度:333人/日[22]
- 2017年度:340人/日
- 2018年度:312人/日[23]
歴史[編集]
予土線は、私鉄の宇和島鉄道によって開業した軌間762mmの軽便鉄道が出自である。宇和島鉄道発起人の今西幹一郎はかつて宇和島-吉野生村間の鉄道計画に参画していたが不況により実現しなかった。1910年ころ伊予鉄道の井上要に宇和島地方の交通事情の話をしたところ、井上より鉄道計画の再考を助言されたため有志を募り宇和島鉄道を出願。1911年に免許状が下付された。株式の申込も東京方面の実業家から得ることができたが今西、井上などの役員が去るなど社内の混乱もあり1914年になって開通した[24]。
宇和島側から吉野生までの路線で宇和島線と称しており、また他の国鉄路線と接続のない孤立路線であったが、1941年(昭和16年)にのちに予讃線となる宇和島 - 卯之町間が開業し、これに合わせて1,067mm軌間への改軌と起点付近の線路の付け替え工事を実施し、北宇和島が起点となった。
第二次世界大戦後に愛媛(伊予)と高知(土佐)を結ぶことを目的に2回に渡る延長が実施され、1974年(昭和49年)の全線開通に合わせて旧国名の頭文字をとって予土線とした(江川崎 - 窪川間は建設当時「窪江線」と呼ばれていた)。愛媛と高知を結ぶ鉄道はこのほか松山 - 佐川間[25]や宇和島 - 宿毛 - 中村 - 窪川間[26]などが計画されていたが、実現したのは予土線だけである。
国鉄末期の特定地方交通線の廃止に際しては、輸送量では存続基準を満たしていなかったが、並行道路の未整備を理由に存続した。しかしこれに関しては、当時窪川町で計画されていた窪川原子力発電所と絡んだ政治決着であるとの指摘もある[27]。
年表[編集]
- 1896年(明治29年)1月:宇和島鉄道に対し仮免状下付(宇和島-吉野生村間)[28]。
- 1897年(明治30年)
- 1905年(明治38年)4月15日:会社解散決議[31]。
- 1911年(明治44年)
- 1914年(大正3年)10月18日:宇和島鉄道により宇和島 - 近永間が開業[34]。蒸気動力。
- 1916年(大正5年)12月1日:宇和島駅移転、下村駅開業[35]。
- 1923年(大正12年)12月12日:近永 - 吉野(現在の吉野生)間が開業[36]。
- 1931年(昭和6年)3月26日:宇和島鉄道、ガソリン動力併用認可を受ける。同年中に気動車(ガソリンカー)を1両のみ導入。
- 1933年(昭和8年)8月1日:宇和島鉄道が国有化され宇和島線となる。宮野下駅を伊予宮野下駅に、中野駅を二名駅に改称、吉野駅を広見川対岸に移転し吉野生駅に改称[37]。機関車6両、ガソリンカー1両、客車11両、貨車42両を引き継ぐ[38]。
- 1941年(昭和16年)7月2日:全線を1067mm軌間に改軌。宇和島 - 高串間の旧線を廃止し、北宇和島 - 務田間の新線が開業。宇和島 - 北宇和島 - 卯之町間の開業に伴い北宇和島駅が起点となる。下村駅、高串駅、光満駅廃止[39]。
- 1953年(昭和28年)3月26日:吉野生 - 江川崎間が開業。
- 1960年(昭和35年)10月1日:真土駅開業。
- 1974年(昭和49年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により四国旅客鉄道に承継。
- 1997年(平成9年)7月27日:愛称「しまんとグリーンライン」を使用開始[40]。
- 2016年(平成28年)3月26日:十川駅の行き違い設備の使用を廃止。
- 2018年(平成30年)7月8日:平成30年7月豪雨で土砂流入が発生し、全線で不通となる[41]。8月10日に運転再開[42]。
- 2020年(令和2年)3月14日:ダイヤ改正により、江川崎 - 窪川間が1往復削減され、5往復となる[43]。
- 2021年(令和3年)3月13日:ダイヤ改正により、江川崎 - 窪川間が1往復削減され、4往復となる[44]。
駅一覧[編集]
便宜上、末端部の全列車が直通する窪川駅および宇和島駅も含めた区間を記載する。
- 予土線の定期列車は全列車普通列車(すべての駅に停車)
- 線路(全線単線) … ◇・∧:列車交換可、|:列車交換不可
会社・路線名 | 駅番号 | 駅名 | 駅間 営業キロ |
若井からの 営業キロ |
接続路線・備考 | 線路 | 所在地 | ||
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※ | TK26 | 窪川駅 | - | 4.4 | 四国旅客鉄道:●K 土讃線 | ◇ | 高知県 | 高岡郡 四万十町 | |
TK27 | 若井駅 | 4.4 | 0.0 | 土佐くろしお鉄道:●TK 中村線(中村方面) | | | ||||
四国旅客鉄道 予土線 | G27 | ||||||||
川奥信号場 | - | 3.6 | (中村線と予土線の実際の分岐点) | ◇ | 幡多郡 黒潮町 | ||||
G28 | 家地川駅 | 5.8 | 5.8 | | | 高岡郡 四万十町 | ||||
G29 | 打井川駅 | 4.9 | 10.7 | | | |||||
G30 | 土佐大正駅 | 6.9 | 17.6 | ◇ | |||||
G31 | 土佐昭和駅 | 8.9 | 26.5 | | | |||||
G32 | 十川駅 | 4.5 | 31.0 | | | |||||
G33 | 半家駅 | 7.9 | 38.9 | | | 四万十市 | ||||
G34 | 江川崎駅 | 3.8 | 42.7 | ◇ | |||||
G35 | 西ケ方駅 | 2.7 | 45.4 | | | |||||
G36 | 真土駅 | 5.9 | 51.3 | | | 愛媛県 | 北宇和郡 | 松野町 | ||
G37 | 吉野生駅 | 1.7 | 53.0 | ◇ | |||||
G38 | 松丸駅 | 2.3 | 55.3 | | | |||||
G39 | 出目駅 | 3.5 | 58.8 | | | 鬼北町 | ||||
G40 | 近永駅 | 1.6 | 60.4 | ◇ | |||||
G41 | 深田駅 | 2.1 | 62.5 | | | |||||
G42 | 大内駅 | 2.9 | 65.4 | | | 宇和島市 | ||||
G43 | 二名駅 | 1.5 | 66.9 | | | |||||
G44 | 伊予宮野下駅 | 2.2 | 69.1 | ◇ | |||||
G45 | 務田駅 | 0.9 | 70.0 | | | |||||
G46 | 北宇和島駅 | 6.3 | 76.3 | 四国旅客鉄道:●U 予讃線(松山方面) | ◇ | ||||
※ | |||||||||
G47 | 宇和島駅 | 1.5 | 77.8 | ∧ |
- ※:窪川駅 - 若井駅間は土佐くろしお鉄道中村線、北宇和島駅 - 宇和島駅間は四国旅客鉄道予讃線
予土線内は起点駅・終点駅・他路線と接続する駅を含めてみどりの窓口が設置されている駅が皆無である[45]。ただし、両端の駅から全列車が直通している窪川駅や宇和島駅には設置されている。
廃止区間[編集]
1941年7月2日の経路変更により廃止された旧線。
宇和島駅 - 下村駅 - 高串駅
脚注[編集]
- ^ 日本国有鉄道電気局『鉄道電報略号』、1937年2月15日、22頁。
- ^ 愛媛新聞オンライン(2018年10月20日)
- ^ 愛媛県庁ホームページ(2018年10月23日)
- ^ a b 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ^ 平成27年度鉄道統計年報 - 国土交通省
- ^ a b 『全国鉄道事情大研究 四国篇』324-328頁
- ^ 特にこの列車の下りは、高松駅を予讃線経由の急行「うわじま」の数分後に発ち、宇和島にはその次の「うわじま」より数分先着するというもので、曲がりなりにも高松 - 宇和島の先着列車としての機能も持っていた。
- ^ シカと列車の衝突事故に悩むJR各社、全国の「シカ対策担当者」による会議(朝日新聞2010年12月16日夕刊)
- ^ 「しまんトロッコ」の運行開始について - 四国旅客鉄道、2013年7月29日
- ^ 予土線で“海洋堂ホビートレイン”を運行 - 鉄道ホビダス、2011年3月1日
- ^ 海洋堂×かっぱの列車が四万十に JR四国「かっぱうようよ号」 - のりものニュース、2016年2月16日
- ^ 予土線の「かっぱうようよ号」人気 車内フィギュアとおしゃべりも - 産経ニュース、2016年7月8日
- ^ 「鉄道ホビートレイン」の運行開始日の決定等について - 四国旅客鉄道、2014年1月27日
- ^ JR四国「鉄道ホビートレイン」「プラレール」とコラボレーション 「鉄道ホビートレイン プラレール号」運行2017年3月7日鉄道チャンネルニュース
- ^ JR四国とタカラトミー、予土線で「鉄道ホビートレイン」プラレール号(愛称)を運行 - 日本経済新聞、2017年3月6日
- ^ 観光列車「予土線3兄弟」勢ぞろい - 四国旅客鉄道、2014年2月24日
- ^ 愛媛新聞(2015年3月8日付、1面)
- ^ 予土線3兄弟「奥四万十クリスマス号」を運転! (PDF) - 四国旅客鉄道、2016年11月21日
- ^ 区間別平均通過人員(輸送密度) および 旅客運輸収入(平成29年度) (PDF) - 四国旅客鉄道
- ^ 社会資本整備審議会道路分科会 国土幹線道路部会説明資料(p8) (PDF) - 四国旅客鉄道
- ^ JR四国平成27年3月期連結決算
- ^ “平成29年3月期決算発表 (PDF)”. 四国旅客鉄道 (2017年5月8日). 2017年5月12日閲覧。
- ^ 2018年度決算発表 (PDF) - 四国旅客鉄道
- ^ 『愛知県鉄道苦行史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 鉄道敷設法別表第102号。全区間未開業。国鉄バス松山高知急行線が「鉄道先行路線」として開設されている。
- ^ 鉄道敷設法別表第103号・第105号ノ3。宇和島 - 宿毛間は未開業(宿毛線)、宿毛 - 窪川間は土佐くろしお鉄道宿毛線・中村線として開業。
- ^ “最後のマイレール 開通ごめん・なはり線 第1部 波乱の軌跡(3) 直撃、再建法”. 高知新聞 (2002年6月10日). 2010年6月16日閲覧。
- ^ 『鉄道局年報. 明治28年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道局年報. 明治37年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治36年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「私設鉄道株式会社解散」『官報』1905年5月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年3月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第20回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年10月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道停車場位置変更、停留場設置及哩程異動」『官報』1916年12月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年12月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第330号・第331号」『官報』1933年7月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 昭和8年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第126号・第127号・第128号」『官報』1941年06月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ JR四国20年のあゆみ306頁
- ^ “大雨による鉄道施設の主な被害等(17日15時00分時点) (PDF)”. 国土交通省. 2018年7月17日閲覧。
- ^ “JR伊予市―伊予大洲など運転再開”. 愛媛新聞. (2018年8月10日). オリジナルの2018年8月10日時点におけるアーカイブ。 2018年8月10日閲覧。
- ^ 交通新聞社『JR時刻表』2020年3月号
- ^ 交通新聞社『JR時刻表』2021年3月号
- ^ 他には男鹿線、鹿島線もこれに該当する。
参考文献[編集]
- 川島令三『全国鉄道事情大研究 四国篇』草思社、2007年8月17日、324-330頁。ISBN 978-4-7942-1615-1。
- JR四国20年のあゆみ(2007年3月31日、四国旅客鉄道発行)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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