学校を休む権利

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学校を休む権利(がっこうをやすむけんり)は、児童生徒が自己都合で学校に登校しないこと(不登校)を認める権利いじめや学校不適応への対策として認めるべき、という主張がある一方で、そのような権利を認めるのは学校側の問題解決放棄として批判する意見もある。

歴史[編集]

1994年の愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件を機に、日本ではいじめやこれを苦にした自殺に関する議論が高まった。1995年には当時広島県教育長を務めていた寺脇研が「自分も自殺を図ったことがある」と告白し[1]、広島県教委は「いじめに苦しめられている子供に登校を強制しない」という内容が盛り込まれた文書を小・中・高校生のいる全家庭に配布した[2]。広島県の異例の呼びかけは注目を集め、埼玉県では不登校児の親が作る団体が県に広島と同様の呼びかけを行うよう要請を行った[3]

また、日本教職員組合は1996年に大阪市で開催された第45次教研集会において、いじめ・不登校問題の特別分科会を設置した。この教研集会では不登校の高校生が出席し、「学校に行かないことをそのまま認めてほしい」と意見を述べた[4]。翌年盛岡市で開催された教研集会では学校を休む権利についての議論が分科会の中心的話題となり、権利自体は確認されたものの、学校側での扱いについては最終日まで議論が続いた[5][6]。この年開催された山梨[7]や鹿児島[8]の教研集会でも学校を休む権利が議論となった。

議論を通じて、不登校は子供の選択である、というとらえ方が広まってきたものの[9]、「来なくていいと言われると、門を閉ざされた気持ちになり登校できない」という生徒側からの指摘や、学習の権利が奪われているとする親側の指摘もあり[10]、子供の休む権利をどう考えるかについては議論が続いている。

脚注[編集]

  1. ^ 「広島県の寺脇研・教育長が自殺未遂の体験を告白 「命を大切に」と呼び掛ける」『毎日新聞』1995年12月7日付大阪本社夕刊11面。
  2. ^ 「命が大事。いじめ苦しいなら学校来なくてもいい」 全家庭に文書 広島県教委」『毎日新聞』1995年12月21日付東京本社朝刊26面。
  3. ^ 「いじめを考える学習会、20日に川口で 「子どもサポートネット埼玉」」『毎日新聞』1996年4月12日付東京本社朝刊(埼玉)。
  4. ^ 「不登校の自由認めて 教研集会で高校生らが心情訴え」『朝日新聞』1996年2月4日付東京本社朝刊26面。
  5. ^ 「教研集会閉幕 「休む権利認めて!」 特別分科会で白熱の議論」『河北新報』1997年1月14日付。
  6. ^ 「「子供が輝く学校へ」 アピール採択し閉幕 盛岡・教研集会」『河北新報』1997年1月14日付30面。
  7. ^ 「学校休む権利を 「いじめ・不登校」で提言 教研集会」『朝日新聞』1997年5月11日付東京本社朝刊(山梨)。
  8. ^ 「鹿児島市など2市2町で日教組の教育研究全国集会分科会始まる」『南日本新聞』1998年1月23日付夕刊。
  9. ^ 「悩む教師 日教組教研集会、不登校めぐり議論」『毎日新聞』2000年2月3日付東京本社朝刊15面。
  10. ^ 「不登校、過剰な指導は逆効果、「子供の休む権利」どう扱う、「空回り」に教師苦悩、教研集会いしかわ」『北國新聞』2000年1月24日付。