孝聖憲皇后
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孝聖憲皇后(こうせいけんこうごう、1692年 - 1777年)は、清の雍正帝の側室で、乾隆帝の生母・皇太后。満洲鑲黄旗のニオフル(鈕祜禄)氏の出身。父は四品典儀官の凌柱。
孝聖憲皇后 崇慶皇太后 | |
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国立故宮博物院蔵肖像図 | |
続柄 | 満州鑲黄旗人鈕祜禄氏凌柱の娘 |
全名 | 孝聖慈宣康惠敦和誠徽仁穆敬天光聖憲皇后 |
称号 | 格格→熹妃→熹貴妃→聖母皇太后 |
身位 | 皇太后 |
出生 |
康熙31年(1692年) |
死去 |
乾隆42年(1777年) 享年86 ![]() |
埋葬 |
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配偶者 | 雍正帝 |
子女 | 乾隆帝 |
家名 | 鈕祜禄 |
父親 | 凌柱 |
生涯[編集]
1705年(康熙44年)、13歳の時にドロ・ベイレ(多羅貝勒)の四阿哥・胤禛(後の雍正帝)の邸宅に輿入れし、ゲゲ(格格)となった。名門氏族の出身ながらも、父親の身分は高くなかったので、嫡福晋・ウラナラ氏はおろか、側福晋である年氏や李氏よりも位としては下であった。雍親王(胤禛)が病を患った際、ニオフル氏はかいがいしく看病し、それがきっかけで寵愛を受けたらしい。1711年(康熙50年)には四子・弘暦(後の乾隆帝)を雍親王府で出産した。
弘暦が10歳の時、雍親王が弘暦を連れて牡丹を観に円明園に赴き、康熙帝に謁見すると、弘暦は康熙帝に気に入られ、皇帝自ら皇宮で弘暦を養育した。これにより、ニオフル氏は雍親王の寵愛をさらに受けた。
雍親王が即位(雍正帝)すると、1723年(雍正元年)に熹妃に封じられて景仁宮に入り、1730年(雍正8年)にはさらに熹貴妃に封じられた。1731年(雍正9年)に孝敬憲皇后が逝去すると、宮中のことを取り仕切った。
1735年(雍正13年)に弘暦が即位(乾隆帝)すると、熹貴妃は生母皇太后として敬われ、崇慶皇太后の尊号を贈られ、慈寧宮に移り住んだ。1751年(乾隆16年)には六十寿、1761年(乾隆26年)には七十寿、1771年(乾隆36年)には八十寿と、息子である乾隆帝から国家事業として長寿を祝われている。子供から福禄寿を祝われた女性、最高の人生を送った人物として憧憬の対象とされ、慈禧皇太后(西太后)も憧れたと言われている。
1777年(乾隆42年)、慈寧宮で崩御した。享年86。死後、孝聖慈宣康惠敦和誠徽仁穆敬天光聖憲皇后の諡号を贈られ、雍正帝の泰陵の東北、泰東陵に葬られた。
登場作品[編集]
- テレビドラマ
- 宮 パレス2〜恋におちた女官〜(2011年、演:ユエン・シャンシャン)
- 宮廷の諍い女(2011年-2012年、演:スン・リー)
- 如懿伝 〜紫禁城に散る宿命の王妃〜(2018年、演:ヴィヴィアン・ウー)
- 瓔珞〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜(2018年、演:ソン・チュンリー)
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