子育て幽霊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
安田米斎画『子育て幽霊図』

子育て幽霊(こそだて ゆうれい)は日本民話怪談。筋立て、結末などに細かな異同が見られるが伝承地は全国に分布しており、落語の題材にもなっている。「飴買い幽霊」ともいう。

あらすじ[編集]

ある夜、店じまいした飴屋の雨戸をたたく音がするので主人が出てみると、青白い顔をして髪をボサボサに乱した若い女が「飴を下さい」と一文銭を差し出した。主人は怪しんだが、女がいかにも悲しそうな小声で頼むので飴を売った。 翌晩、また女がやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出す。主人はまた飴を売るが、女は「どこに住んでいるのか」という主人の問いには答えず消えた。その翌晩も翌々晩も同じように女は飴を買いに来たが、とうとう7日目の晩に「もうお金がないので、これで飴を売ってほしい」と女物の羽織を差し出した。主人は女を気の毒に思ったので、羽織と引き換えに飴を渡した。 翌日、女が置いていった羽織を店先に干しておくと、通りがかりのお大尽が店に入ってきて「この羽織は先日亡くなった自分の娘の棺桶に入れたものだが、どこで手に入れたのか」と聞くので、主人は女が飴を買いにきたいきさつを話した。お大尽は大いに驚いて娘を葬った墓地へ行くと、新しい土饅頭の中から赤ん坊の泣き声が聞こえた。掘り起こしてみると娘の亡骸が生まれたばかりの赤ん坊を抱いており、娘の手に持たせた三途川渡し代の六文銭は無くなっていて、赤ん坊は主人が売った飴を食べていた。 お大尽は、「娘は墓の中で生まれた子を育てるために幽霊となったのだろう」と「この子はお前のかわりに必ず立派に育てる」と話しかけると、娘の亡骸は頷くように頭をがっくりと落とした。この子供は後に菩提寺に引き取られて高徳の名僧になったという。

餅を買う女[編集]

日本の「飴を買う女」の怪談は、南宋洪邁が編纂した『夷堅志』に載せる怪談「餅を買う女」と内容がそっくりであり、もともとは中国の怪談の翻案であったと考えられる[1]

あらすじ
ある民家で、妻が妊娠中に死亡し、埋葬された。その後、町に近い餅屋へ、赤ちゃんを抱えた女が毎日餅を買いに来るようになった。餅屋の者は怪しく思い、こっそり女の服のすそに赤い糸を縫いつけ、彼女が帰ったあとその糸をたどってゆくと、糸は草むらの墓の上にかかっていた。知らせを聞いた遺族が墓を掘り返してみると、棺のなかで赤ちゃんが生きており、死んだ女は顔色なお生けるがごとくであった。女の死後、お腹の中の胎児が死後出産で生まれたものとわかった。遺族は女の死体をあらためて火葬にし、その赤児を養育した。[2]

仏教説話・神話との関係[編集]

「子育て幽霊」の話は、親の恩を説くものとして多くの僧侶説教の題材として用いられた。おもな例として、江戸時代初期に肥後国(現在の熊本県)の浄土真宗の僧侶月感が記した『分略四恩論』などがあげられる。

死女が子供を生む話はガンダーラ仏教遺跡レリーフにも見られ、日本で流布している話の原型は『旃陀越国王経』であるとされる。幽霊があらわれて7日目に赤ん坊が発見される件に注目し、釈迦を生んで7日で亡くなった摩耶夫人のエピソードとの関連を指摘する説もある。

また、女にを売る飴屋が坂の上にあるとしている伝承が多く、古事記黄泉比良坂との関連をうかがわせる。

赤ん坊の後身に関する伝承[編集]

高僧[編集]

多くの伝承では赤ん坊は成人して高徳の僧侶になったとするものが多い。実在の僧侶で、この赤ん坊の後身であるとされている例がある。

通幻寂霊(つうげんじゃくれい、元亨2年(1322年) - 明徳2年(1391年))
因幡国岩井郡浦留(現在の鳥取県岩美町浦富)、もしくは豊後国武蔵郷(現在の大分県国東市)に生まれる。曹洞宗の僧侶となり總持寺5世となる。通幻十哲と呼ばれる優れた弟子を輩出し、最盛期には曹洞宗全寺院数16000余寺に対し通幻派9000ヶ寺という宗門最大の門流を育てた。
大厳(だいごん、寛政3年(1791年) - 安政3年(1856年))
石見国高津(現在の島根県益田市)の庄屋の子として生まれる。浄土真宗の僧侶となり宗学のほかに易経儒学を修める。萩城下で教授会を開き、町人、藩士が雲集したため、この間、藩校明倫館は休校せざるを得ないほどの盛況であったという。

茨城県千代田町(現在のかすみがうら市)には、殺された母親から土中で生まれ、母の幽霊によって育てられたという頭白上人(ずはくしょうにん)の伝承がある。生まれながらに髪の毛が真っ白であったため“頭白”と呼ばれたという。出家して天台宗の名僧となり全国行脚を修した後に母の菩提を弔ったとも、母親の敵を討ったともいう。上人が亡き母のために建立したと伝えられる石造五輪塔が茨城県土浦市小高地区に存在する。また千葉県佐原市(現在の香取市)の西蔵院には、村の災厄を鎮めるために上人が入定したという塚がある。

その他の伝承[編集]

京都東山(松原通大和大路東入二丁目轆轤町)には、幽霊に飴を売ったとする飴屋(「みなとや」)が現存しており、「幽霊子育飴」を販売している。当時の飴は水飴のようなもので現在は固形で売られている。飴に添えられた由来書によれば、幽霊の子どもは六道珍皇寺の僧侶になり、寛文6年(1666年)に68歳で入寂したという。これに従うなら、幽霊が飴を買いにあらわれたのは慶長4年(1599年)の出来事になる。

石川県金沢市寺町寺院群 静音の小径 西方寺(さいほうじ)には不治の病で亡くなった身重の女人を手厚く葬った所、その墓地から赤子の泣き声を聞きつけたお地蔵さんが

赤子を可愛そうに思い、飴を買い与えていたと言う「飴買い地蔵」とし話が伝わっている。

当時この話は多くの人々に語り継がれ、いつの頃かこのお地蔵を削って煎じて子供に飲ませると病気が治ると言う話が藩主並びに各地に伝わったそうです。結果、大勢の人々が 詰め掛け、身を削って行かれた。

現在、そのお地蔵さんは金澤四十八地蔵霊場第9番として地蔵堂に奉られ信仰を仰いでいる。

石川県金沢市の道入寺(石川県金沢市金石西3-6-10)には、道入寺住職となった子どもが旅に訪れた絵かき(円山応挙)に書いてもらった幽霊画がある。住職は幽霊画を母と慕い大切にしたという。また、金沢には他に4件の伝承があり、「あめや坂」という地名も残っている。幽霊が買った飴屋は全て不明。

長崎県長崎市には、麹屋町にあった飴屋に幽霊が飴を買いに来ており、子供が見つかった後に店主の元に現れた幽霊が、お礼に水が枯れない井戸を教えたという。市内の光源寺境内には、この伝承を伝える「赤子塚民話の碑」があるほか、幽霊の木像と掛け軸(藤原清永の作と伝わる)があり、年に1回御開帳が行われる。この時に配られる飴を出ると、母乳の出が良くなるという。幽霊が教えたという「幽霊井戸」は光源寺の近くにあり、その前では「飴屋の一文銭ビスケット」の自動販売機がある。

福岡県福岡市中央区天神の安国寺には、飴買い幽霊とその子供の墓がある。伝承によると、1679年延宝7年)頃、毎晩丑三つ時に飴を買いに来る若い女がおり、後を追うと墓の中に子どもがいた。だが、数日後に子どもも亡くなり、子どもの墓が寄り添うように女の墓が作られたという[3]

由来[編集]

この手の話は日本各所にあるが色々と考察できる。

  1. 説法による真実性を増すためにでっちあげ説
  2. 飴の販売促進のための飴屋による宣伝説
  3. 禁忌を破り子を生した僧の外分を保つための保身説
  4. 墓場に捨てられた赤子が拾われた場合の出所説

なお、幽霊の墓と寺、子供の引き取った寺・その後の進退の寺、飴屋の場所と屋号、全て揃って伝わっているのは京都の話だけである。

落語[編集]

落語では舞台が京都高台寺になっており、最後に幽霊が「子が大事(高台寺)」と言うのがオチになっている。

登場作品[編集]

第73話「子育て幽霊」で紹介された。
「#53子育て幽霊の巻」に登場。伝承とは異なり、子どもを抱いたまま菓子を乞う。産んだばかりの子を思うあまり成仏できずに悪霊になったという設定で、施設に預けられた子どもをさらって育てていた。
第200話「子育て幽霊」で紹介された。

脚注[編集]

  1. ^ 加藤徹著『怪力乱神』ISBN 978-4-12-003857-0 pp.228-231
  2. ^ 青空文庫・中国怪奇小説集(10)で、岡本綺堂による「餅を買う女」の訳を読める。
  3. ^ 福岡市 飴買い幽霊

関連項目[編集]