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鄭の穆公の子で「七穆」の一つ游氏の祖となった子游(公子偃、姫偃)とは異なります。
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子游
子游(しゆう、紀元前506年 - 紀元前443年?)は、中国春秋時代の儒学者で、孔子の弟子の一人。文学(学問の才能)に優れていたといい、孔門十哲の一人に数えられる。子游は字、姓は言(げん)、名は偃(えん)。呉の人で、名の伝わる70人あまりの孔子の弟子(七十子)の中では唯一南方の出身。のちに帰郷して江南に儒学を広めたとされ、「南方夫子」と呼ばれた。
『論語』では魯の武城(現在の山東省臨沂市平邑県)の邑の長官を務め、礼楽を以て民を教化していたという記載がある(雍也第六)。
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関連項目[編集]
- 奉賢区 - 上海市の行政区画。子游がこの地で学問を教えたという伝承に因む。