子夏

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子夏(しか、紀元前507年? - 紀元前420年?)は、孔子の門人、学問を好み孔門十哲の一人とされる。子夏は、姓は(ぼく)、名はの人、一説にの温(現在の河南省焦作市温県)出身。

「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」で「不及」と評価された人物である(『論語』先進篇)

文侯に招かれ、その師となった。李克呉起西門豹はその学生である。

礼記』によると、自分の子供が死亡した際にあまりの悲しみに失明した。それを聞き、同門である曾子が子夏を訪ね、子夏が「なぜ、自分だけこのような不幸に会わなければならないのか」と嘆くと、「ずっと妻子を放っておいて何事か」と諭した。それに対し「我、過てり(われ、あやまてり)」と嘆いた。

子游とともに文学(学問のこと)に優れていたとされ、今文経学では六経伝承の淵源を子夏に求めている。彼の学風からは後の荀子へと受け継がれる。

論評[編集]

  • 謂子夏曰:「女為君子儒,無為小人儒。」[1]

参考書目[編集]

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ 《論語》/雍也第六