姫鶴一文字

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姫鶴一文字(ひめつるいちもんじ、ひめづるいちもんじ)は、鎌倉時代作の太刀。国の重要文化財に指定されている。指定名称は「太刀 銘一(号 姫鶴一文字)附 黒漆合口打刀拵」。

刀身・外装[編集]

刃長71.5センチ、鎬造、庵棟、身幅広めで腰反り高く踏張りがあり、中鋒猪首風となる。鍛えは板目に杢混じり、総体に肌立ちぎみで乱れ映り鮮明に立つ。刃文は丁字に互の目を交えて変化に富み、裏は一般と大模様に乱れる。匂主調で小沸つき、足葉入り、僅かに金筋かかり、匂口よく冴える帽子は、表のたれて大丸ごころに返り、裏乱れ込み尖りごころに返る。茎は生ぶであるが、尾を切り詰め浅い栗尻、鑢目浅い筋違、目釘穴三、内一つ埋。

備前一文字派は、鎌倉初期の古一文字、中期の福岡一文字、末期の吉岡一文字があるが、これは福岡一文字の代表的名品として知られる。

拵えの全長は104.2センチ、柄長は23.0センチ、鍔の無い合口拵えで、上杉家刀剣に特徴的な様式である。鞘は黒漆塗[1]、金具は目貫を除き全て製である。柄巻は藍革巻[2]、目貫は赤銅製葡萄鼠図。「上杉朱」と呼ばれる独特の色調の橙色下緒が付属する。

伝来[編集]

上杉謙信景勝の愛刀と伝えられ、「上杉景勝自筆腰物目録」には「上秘蔵 ひめつる一もんし」とある。

また、名の由来として、以下の伝承がある。

ある時、謙信は、この太刀が振るうに少々長すぎると思い、研師に磨り上げて短くするよう命じた。預かった研師が夜に夢見たところ、美しい姫君があらわれて「どうか切らずにお願い致します」と嘆願するのであった。翌日も夢に姫君があらわれ、名を聞いたところ「鶴と申します」と言ったところで目が覚めた。不思議に思い、腰物係(刀剣管理役)に相談したところ、腰物係も同じ夢を見たという。そこで二人は謙信にこの不思議を言上し、磨り上げは中止されたという。

もっとも、天正16年(1588年)に上杉家中の某が採ったという押形本が存在するが、現在の刀身はこの押形と比べると2センチほど短くなっているようである。江戸時代中に上杉家当主の誰かが研がせたらしい。

明治14年(1881年東北北海道を巡幸した明治天皇は、米沢市の上杉家に立ち寄り休憩したが、明治天皇は無類の愛刀家であり、伝来の名刀の数々の閲覧に夢中になるあまり、翌日の予定をキャンセルするという事件があった。中でも、この姫鶴一文字を特に気に入り、押形(刀身の拓本)を持ち帰った。

なお、名の由来には異説もあり、昭和33年(1958年6月に開催された「歴史が物語る名刀展」のリーフレットによる解説[3]には、

この太刀は、鎌倉中期の福岡一文字派の刀工の作で、その個名は明らかにしないが、大丁字乱れ(おおちょうじみだれ)の華麗な出来である。謙信の愛刀の一本で、常に佩用したことは知られているが、姫鶴の異名は、鶴は刃文の状態が鶴の羽に似ているからのことと思われ、姫はこの刀がやや小振りのものであるからの呼称かも知れない。

と記されている。

脚注・出典[編集]

  1. ^ 黒漆の経年の変化によるものか、現状では光線の加減によっては茶色潤みに似た色味となっている
  2. ^ 現在では青がかった緑色となっているが、これは燻革(ふすべかわ:松葉などの煙でいぶした革。武具に使うものは鹿革をいぶしたものが一般的である)を藍染めにしたため、経年変化で色が褪せた結果、このような色味になったと推測されている。
    出典:高山一之『日本刀の拵―高山一之作品集』p.二五
  3. ^ 出典:日本美術刀剣保存協会庄内支部 2012/07/15 「歴史を物語る名刀展 1-1」

参考文献[編集]

17 黒漆塗合口打刀(復元)p.二五
19 黒漆塗合口打刀 p.二七
第四章 上杉家の刀剣類 第三節 打刀拵
(一)重文〔姫鶴一文字〕黒漆塗合口打刀「福岡一文字」(上杉博物館蔵)p.369-373(図版:p.288、321)

外部リンク[編集]