姪娘

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姪娘(めいのいらつめ、生没年不詳)は、蘇我倉山田石川麻呂の娘。

天智天皇の妃となり、御名部皇女阿閇皇女(後の元明天皇)を生む。姉には、同じく天智天皇の妃となった遠智娘がいる。同じ天智天皇の妃となった、蘇我赤兄の娘の常陸娘天武天皇に嫁いだ大蕤娘姉妹とは従姉妹にあたる。

姉の死後は、自身の2人の娘とともに、姉の遺した2人の皇女も一緒に育てたといわれる。そのため、姉の子である鸕野讚良皇女(持統天皇)は、のちに、我が子草壁の妃に姪娘の娘の阿閇皇女(元明天皇)を、草壁の死後、片腕となった高市皇子の妃に御名部皇女を迎えた。

水谷千秋は、姪娘について、死去や墓に関する記録がないことに注目し、その理由を、壬申の乱において近江朝廷方として最後まで抵抗し、非業の死をとげたためではないかと推測している(水谷千秋『女たちの壬申の乱』、文春新書、2021)。

系譜[編集]