姉妹社
姉妹社 | |
---|---|
正式名称 | 株式会社 姉妹社 |
現況 | 事業停止 |
種類 | 株式会社 |
出版者記号 | 7844 |
設立日 | 1947年 |
代表者 | 長谷川町子 |
本社所在地 | 東京都世田谷区桜新町 |
主要出版物 | 長谷川町子の漫画著書の出版 |
出版以外の事業 | 長谷川町子作品の著作権管理 |
関係する人物 |
長谷川毬子 長谷川洋子 |
特記事項 | 1993年5月27日に廃業、著作権管理は長谷川町子美術館へ移管。 |
姉妹社(しまいしゃ)は、かつて日本に存在した出版社。『サザエさん』など漫画家・長谷川町子の漫画著書を専門に取り扱っていた他、長谷川作品の著作権管理も行っていた。本社は、東京都世田谷区桜新町に所在した。
歴史[編集]
代表者は、長谷川町子本人が務め、営業担当は町子の姉の長谷川毬子と町子の妹の長谷川洋子が務めた。父の死で一家で上京し、田河水泡に師事して漫画家デビューした町子は、1946年、疎開先の福岡市で「サザエさん」の連載を福岡の地方紙『夕刊フクニチ』で開始した。翌年の1947年、福岡から東京に戻ったばかりの町子の作品を大手出版社に頼らず、自費出版としての形で毬子らと共に『姉妹出版』として設立した。自費出版の資金は、父が建てた福岡の自宅の土地・建物を担保として捻出した。同年、『サザエさん』の単行本第1巻を出版した。当初のサイズはB5判の横綴じという形だったが、書店の店頭に並べにくいとの理由から返品され、姉妹出版は当時の日本出版配給から出入り禁止の処分を受けた。その後、長谷川の自宅は返品された第1巻に占拠される事態となった。長谷川姉妹の実母の薦めで第2巻からB6判にサイズを変更した際、読者に好評だったこともあり、B5判の第1巻は店頭に置かれることが許された。以降、「サザエさん」の第1巻はB6判に改訂されて再出版され、全68巻出版された。また、『いじわるばあさん』(全6巻)他の長谷川町子作品もB6判で出版された。但し、『よりぬきサザエさん』や『サザエさんうちあけ話』、『サザエさん旅あるき』はA5判サイズで出版された。
『サザエさんうちあけ話』によれば、『サザエさん』の出版が軌道に乗ると、大手出版社から、宣伝や装丁などのノウハウのある自社に任せてもらえれば更に売り上げを伸ばせるという打診を受け、毬子は一時検討するが、どうしても出したいが他で扱ってくれない作品が将来できた時のために姉妹社での『サザエさん』の出版を続けたほうが良いのではとの考えに至った。一方、「将来どうしても出したい作品ができるかもしれない」当人の町子自身はそのあたり無頓着であり、姉の考えに任せていた。
1992年5月27日に長谷川町子が逝去。翌年の1993年4月、町子の死と毬子の高齢などの理由により「姉妹社」は日本出版販売に廃業届を出して解散となり、著書は全て絶版となった。町子が残した作品の著作権管理は、長谷川町子美術館に移管された。これにより、1969年から現在まで続いているアニメ版『サザエさん』のコピーライトのクレジット表記も「©姉妹社」から「©(財)長谷川町子美術館」(現在は「(財)」の部分を割愛)に変更された。また、1994年から、「サザエさん」など姉妹社が取り扱った町子の作品が朝日新聞社[1]から文庫本として再版されている。
単行本の裏表紙に表示された姉妹社のシンボルマークは、道路標識をモチーフにした木板に「SSS」と記された「スリーエスマーク」であった。これは、毬子・町子・洋子の長谷川三姉妹を表すものであった。姉妹社の「社」の字も単行本の裏表紙では部首が「示」になっている。
出版された作品[編集]
全て長谷川町子の著作。大半の作品は廃業後に朝日新聞社(2008年に出版部門を朝日新聞出版へ分社)から発売された長谷川町子全集(全33巻+別巻1)へ収録された。
- サザエさん[2]
- いじわるばあさん[5]
- いじわるばあさんかるた
- エプロンおばさん
- 新やじきた道中記
- 似たもの一家
- 仲よし手帖
- サザエさんうちあけ話
- サザエさん旅あるき
- 町子かぶき迷作集
- 町子たんぺん傑作集
脚注[編集]
関連項目[編集]
- 長谷川町子美術館 - 姉妹社の倉庫跡地に建設された。
- マー姉ちゃん - 1979年4月 - 9月期に放送されたNHK連続テレビ小説。「サザエさんうちあけ話」を原作にしており、劇中、「サザエさん」第1巻出版のエピソードが描かれた。
- 朝日新聞出版 - 長谷川町子作品の著書の出版を継承。
|