妙行寺 (名古屋市中村区中村町)
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(妙行寺 (名古屋市)から転送)
妙行寺 | |
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所在地 | 愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷22 |
位置 | 北緯35度10分25.15秒 東経136度51分21.56秒 / 北緯35.1736528度 東経136.8559889度座標: 北緯35度10分25.15秒 東経136度51分21.56秒 / 北緯35.1736528度 東経136.8559889度 |
山号 | 正悦山 |
宗旨 | 日蓮宗 |
本尊 | 法華三法 |
文化財 | 絹本著色加藤清正画像、紙本著色一尊四菩薩画像(県指定有形文化財) |
公式サイト | 加藤清正公誕生地 日蓮宗 正悦山 妙行寺:愛知県名古屋市中村区 |
法人番号 | 2180005000166 |
妙行寺(みょうぎょうじ)は、愛知県名古屋市中村区中村町にある日蓮宗の寺院。山号は正悦山。本尊は法華三法。日蓮宗の信者で武将の加藤清正の出生地と伝えられている。旧本山は大本山本圀寺(六条門流)。達師法縁。
歴史
[編集]この寺の創建時期については不詳であるが、もとは「本行寺」と号する真言宗寺院で現在地から約220mほど東にあったが、永仁2年(1294年)に日像によって日蓮宗に改宗されたという。その後、火災により焼失したが、天文4年(1535年)に中興・日勢上人により「妙行寺」として再建される。
加藤清正は元々妙行寺の近くで生まれ育ったとされ、慶長15年(1610年)に名古屋城築城の際、その余材を使って妙行寺を自分の生誕地に移築・再建した。そのため、清正の菩提寺である熊本の本妙寺とは深い関わりがあり、江戸時代後期には尾張国の清正公信仰の中心となっていた[1]。
境内
[編集]文化財
[編集]愛知県指定有形文化財
[編集]- 絹本著色加藤清正画像(慶長十六年日遙賛) 1幅 附:日遙筆大曼陀羅 1幅
- 紙本著色一尊四菩薩画像
旧末寺
[編集]日蓮宗は1941年(昭和16年)に本末を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
- 白毫山光耀寺(愛知県名古屋市熱田区千年)
所在地
[編集]- 愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷22
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 田中青樹「民衆の信仰としての清正公信仰」(初出:『名古屋市博物館研究紀要』23巻(2000年)/所収:山田貴司 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第二巻 加藤清正』(戎光祥出版、2014年)ISBN 978-4-86403-139-4)