本行寺 (千葉市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
如意山本行寺から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動
本行寺
Hongyo-ji (Chiba).JPG
所在地 千葉県千葉市中央区浜野町1252
山号 如意山
宗派 顕本法華宗
寺格 妙満寺末中本寺
本尊 大曼荼羅
創建年 文明元年(1469年
開山 日泰
正式名 如意山 本行寺
法人番号 6040005000952 ウィキデータを編集
テンプレートを表示

本行寺(ほんぎょうじ)は、千葉市中央区浜野町にある顕本法華宗の寺院。山号は如意山。本尊は大曼荼羅。清師寮法縁。現住職は第42世朝倉俊泰。

歴史[編集]

文明元年(1469年)顕本法華宗の心了院日泰上人により創建。

上総国土気城酒井定隆が行ったとされる上総七里法華の根本道場。

天正18年頃?、豊臣秀吉の関東征伐に際し、豊臣方に与した、多賀内膳・大島小太郎らにより焼き討ちされ灰塵に帰す。

慶安元年(1648年)6月、客殿を造立。

その後、庫裡造立

万治二年(1659年)6月上旬、書院を造立。

その後、第13世の代に番神堂を造立。

第14世の代に泰師堂を造立。

第16世の代に土蔵を造立。

宝永3年8月16日、円常寺檀那共より半鐘1口寄進される。

宝永3年10月20日、冠木門造立ならびに表大門の萱ふきかえ、橋のかけなおし。

宝永4年3月23日、5間×9間の庫裡を新造。

宝永4年5月25日、3間半×7間半の書院ならびに2間×6間の廊下を新造。

正徳2年(1712年)11月10日、番神堂修復。

正徳2年11月7日、鐘楼堂修復。

正徳3年(1713年)5月4日、2間×3間の土蔵を修復。

正徳3年5月10日、本堂(表向拝・裏向拝)を新たに上棟造立。

正徳3年5月28日、四菩薩像4体が浅草円常寺檀那・信者衆より寄進される。

第19世の代に泰師堂造営。

享保20年(1735年)、本堂・庫裡の萱ふきかえ。

第23世の代に泰師堂の奥ノ院を新造。

第26世の代に日泰上人第300遠忌奉修。書院・祖師堂再建。

天保6年(1835年)1月、泰師堂拝殿屋根替え、拝殿彩色、額欄間手入れ。

第32世の代に、泰師堂の大修繕。

明治35年(1902年)、暴風雨にて表門倒壊。

明治39年(1906年)、松・杉を各千本植樹。庫裡・祖師堂等の改築修繕。

大正3年(1914年)、弁天堂改築。

大正6年(1917年)4月、石門造立。

大正6年9月30日、大暴風雨により、庫裡・書院・中門が倒壊。

大正6年、泰師堂改修を企図。

大正10年(1921年)5月、泰師堂営繕完了。

大正15年(1926年)12月2日、本堂営繕落成式。

昭和18年(1943年)1月、武器資材として梵鐘等を供出。

昭和20年5月4日、大東亜戦争の戦禍により、本堂・泰師堂・書院・庫裡の四棟124坪あまりが全焼。

昭和27年11月25日、仮本堂(旧泰師堂)再建落慶式。

昭和31年10月27日、日泰上人450遠忌大法要・本堂(旧泰師堂)増築落慶式。

昭和39年、庫裡を復興。

昭和56年11月15日、現本堂新築落慶式。

昭和63年、鐘楼堂復興

平成16年、塔頭長源院復興

平成28年、泰師堂(旧仮本堂)建て替え

なお、1509年永正6年)連歌師宗長がこの寺に宿泊している。

塔頭として長源院(明治期に顕性坊・智伝坊・大乗坊・尭円坊の4坊を合併して長源院と号す)がある。

文化財[編集]

  • 千葉市指定有形文化財
    • 不受不施派関係古文書

外部リンク[編集]