奥村武博

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奥村 武博
基本情報
出身地 日本の旗 日本 岐阜県多治見市
生年月日 (1979-07-17) 1979年7月17日(39歳)
身長
体重
188 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 ドラフト6位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

奥村 武博(おくむら たけひろ、1979年7月17日 - )は、岐阜県多治見市[1]出身の元プロ野球選手投手)。現役引退後は、公認会計士[2]一般社団法人 アスリートデュアルキャリア推進機構の代表理事として活動している。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

少年野球のレベルが高い多治見市で出生。実父がコーチを務めていた少年野球チームで野球を始めると、内野の全ポジションとバッテリーを経験。中学卒業後は、実兄と実姉が通った地元の公立高校へ進む予定だった。しかし、中学校時代の野球部のチームメイトからの誘いで、他校を含めた十数名の選手とともに岐阜県立土岐商業高校の経理科へ進学した[1]

進路を土岐商に変えた理由は、阪神甲子園球場での全国大会へ出場した経験を持つ監督が、当時野球部を率いていたことによる。入学後は投手としてエースを務めたが、春夏とも全国大会への出場はならなかった。3年夏の大会では、岐阜県大会の決勝戦で県岐阜商に敗れている[1]

ちなみに、土岐商の野球部では、日商簿記検定2級に合格することが公式戦出場の条件になっていた。このため奥村は、「試合に出たい」という一心で、1年生の時に3級、2年生の6月に2級合格を果たした。奥村が公認会計士として語ったところによれば、当時の経験が、現役引退後の公認会計士試験への挑戦につながったという[1]

1997年のドラフト会議で、阪神タイガースから6位指名を受けた。指名の時点でJR東海への入社が内定していたが、幼稚園の頃からプロ野球選手を志していたため、同社へ入ることを望んでいた両親を説得したうえで入団に至った[1]

阪神時代[編集]

1998年には、ウエスタン・リーグ公式戦5試合に登板。0勝2敗、防御率7.59という成績を残した。しかし、右肘痛を発症したため、シーズン終了後に手術を受けた[1]

1999年には、手術した右肘のリハビリを優先したため、ウエスタン・リーグ公式戦への登板は1試合(1イニング)にとどまった。しかし、本格的に実戦へ復帰した秋季キャンプでは、一軍監督に就任したばかりの野村克也から強化選手に指定された[1]

2000年には、春季キャンプから一軍に帯同。オープン戦にも2試合に登板したが、公式戦の開幕を二軍で迎えた。さらに、先発陣の一角としてウエスタン・リーグ公式戦に登板した矢先に、脇腹の肋骨を疲労骨折。手術を経て、再びリハビリに専念した。結局、同リーグの公式戦全体では、14試合の登板で1勝2敗、防御率6.25という成績を残した。

2001年には、ウエスタン・リーグ公式戦6試合に登板。いずれの試合でも無失点に抑えたが、右肩を痛めた影響で、通算の投球回数は5イニングにとどまった。入団以来一軍公式戦への登板機会がないまま、シーズン終了後に球団から戦力外通告を受けたことを機に現役を引退。ただし、2002年のみ、打撃投手として引き続き在籍した[1]

公認会計士への転身[編集]

阪神の打撃投手へ転身後もNPB他球団での現役復帰を模索していたため、2002年11月26日には、12球団合同トライアウトに参加。しかし、他球団からのオファーを受けるまでに至らなかったため、プロ野球界から離れた。

プロ野球界から離れた当初は、友人と共にバーを経営したが、2年後に経営から撤退。その後は、単独で飲食店を経営することを目標に、アルバイトとしてホテルの調理場に勤務した。「元プロ野球選手」という経歴を伏せながらの勤務だったが、世間を知らない身であることを痛感したことから、他の業界への転職を模索。やがて、「高校時代に身に付けた簿記の資格や知識を生かせる」という理由で、当時受験資格を特に設けていなかった公認会計士試験への挑戦を決意した。ただし、実務経験を積める会計事務所に採用されなかったため、時給の高い他業種の仕事を転々としながら試験勉強を続けた[1]

2007年からは、試験勉強のかたわら、公認会計士の予備校であるTACに入社。公認会計士講座の広報活動や、日吉校(横浜市港北区)の受付業務に携わった。その一方で、2009年に短答式の試験へ初めて合格したことを皮切りに、2013年に短答式・論文式とも試験に合格した[1][3]。奥村によれば、プロ野球選手出身の公認会計士は、日本で初めてとされる[2]

公認会計士の登録に実務要件が設けられていることから、2014年からは東京都優成監査法人に勤務。実務要件を満たした2017年夏の登録[4]を機に、株式会社・税理士法人オフィス921のスーパーバイザーを務めている。同年7月13日に自身初の著書『高卒元プロ野球選手が公認会計士になった!』を洋泉社から刊行したり、同年12月9日に阪神の地元民放局・MBSラジオで放送された『with Tigers MBSベースボールパーク』(2017年度ナイターオフ版)の特集「鮮やかな転身!アスリートのセカンドキャリアを考える」にゲストで出演したりするなど、登録後は「日本のプロ野球出身者で初めての公認会計士」として各種メディアへ相次いで登場。その一方で、日本公認会計士協会の準会員でもあるため、2015年からは同協会準会員会東京分会の幹事も務めている[1]

また、2015年6月に母校の土岐商で講演したことをきっかけに、大学・高校の野球選手の指導に必要な学生野球資格の回復を決意。同年12月には、「資格を回復するのための制度を身をもって知りたい」という理由で、資格回復研修会に参加した[2]。さらに、2017年の公認会計士登録を機に、一般社団法人アスリートデュアルキャリア推進機構の代表理事へ就任。同法人の活動を通じて、「デュアルキャリア」(「人としてのキャリア形成」と「アスリートとしてのキャリア形成」の両立に取り組むライフスタイル)の普及・啓発や、スポーツ関連のコンサルティングにも関わっている。

プレースタイル・人物[編集]

血液型はA型。阪神の現役選手時代には、188cmの長身から投げ下ろすボールと、正確な制球力を武器にしていた。一軍の春季キャンプに抜擢された2000年には、制球力の高さを武器に活躍した球団OBにちなんで、「小山2世」という期待を寄せられた[2]

公認会計士試験については、2009年に短答式試験へ合格したものの、論文式試験では毎年苦戦を続けた。そこで、現役投手時代に明確な意図(投球する局面のイメージ)を持ちながら投球練習に臨んだ経験を踏まえて、試験勉強のスタイルを試験時間から逆算しながら解答のスピードと正確さを意識する方向へ変更した。奥村が後に述懐したところによれば、2013年に短答式・論文式試験とも合格へ至ったのは、このような変更が功を奏したことが大きいとされる[5]

前述した勉強以外にも、礼儀、人間関係、厳しい練習を通じて結果を出すことなど、野球から学んだことは多いという。公認会計士として活動する現在は、日本会計士協会などの野球チームに選手として参加。阪神退団後の再就職で厳しい現実に直面した経験から、アスリートデュアルキャリア推進機構での活動などを通じて、財務の面からスポーツ選手のセカンドキャリアや独立リーグのサポートにも取り組む意向も示している[2]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 59 (1998年 - 2001年)
  • 109 (2002年)

著書 [編集]

  • 『高卒元プロ野球選手が公認会計士になった!』(洋泉社、2017年7月19日初版刊行、ISBN 4800311004

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]