奥平壱岐

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奥平 壱岐
時代 江戸時代後期(幕末) - 明治時代
生誕 文政7年(1824年)
死没 明治17年(1884年)5月9日
改名 中金正衡
別名 十学、神錫
官位 正七位
幕府 江戸幕府
主君 昌高昌服昌邁
豊前中津藩
氏族 奥平氏
父母 父:奥平正詔(与兵衛)、母:長崎光永寺十代住職の娘。
特記
事項
維新後に慶應義塾に学ぶ。

奥平 壱岐(おくだいら いき、文政7年(1824年) - 明治17年(1884年5月9日)は、豊前中津藩家老砲術家漢学者儒学者。本名は奥平 正衡(おくだいら まさひろ)。幕末維新後には中金 正衡(なかがね まさひろ)と改名。同藩下士の出身であった福澤諭吉に入門して、官吏啓蒙思想家となった。寄梅、名を十学神錫

経歴[編集]

藩政[編集]

豊前中津藩の奥平氏における家老衆「大身衆」(戦国期の七族五老から呼称変更)の一つである中金奥平家に生まれる。母は、長崎代官高木作右衛門の第五子。家老職に就くまでは十学と称す。

藩校・進脩館にて野本白厳の下で皇漢の学を修め、藩内で頭角をあらわすと文政12年(1829年)に家督を相続した。下級藩士の福澤諭吉は十歳年下である。

しかし天保における藩内の改革で、野本真城は白岩)の門下生である福澤諭吉ら下級藩士の改革が潰されると、師の野本はその貴任を負い宇佐郡白岩村に退去させられ、帆足万里の流れを受ける塾もそこに移った。福沢諭吉や奥平壱岐もそこに移らんと試みたが頓挫している[1]。安政2年(1855年)に奥平昌高が死去すると、藩内の実権を掌握。島津祐太郎らと共に漢学の素養を基準に藩の首脳部を揃えたため、一時は福沢とは不和になった。

のち長崎に出て、砲術家高島秋帆に入門。桶屋町光永寺に寄宿し、壱岐が砲術家・高島秋帆の門人である山本物次郎に福沢諭吉を紹介し、更に築城学の教科書(C.M.H.Pel,Handleiding tot de Kennis der Versterkingskunst,Hertogenbosch 1852年)を貸し出した。安政5年(1858年)、奥平昌服から江戸家老に召し出される。文久元年(1861年)と文久3年(1863年)の昌服上京にも従い、宇和島藩伊達宗城の子・昌邁を養子に迎えることを進言。佐久間象山を迎えて砲台建設にも関わるなど西洋軍事技術採用を推進。

江戸詰の老中となり見識も聡明であったが、福沢のオランダ語の上達を妬むなど嫉妬心が深く、強権的な政治手腕から「狡猾な人物」として藩内での人望に乏しかった。そこへ尊王攘夷派の圧力が加わると、洋学に明るい壱岐は罷免追放される。更に妻は切腹させられた。

なお家史「中津藩史」によると、倒幕の機運が高まる頃には、壱岐の見識を見込んだ薩摩藩から招かれる所を、慌てた藩庁によって復職させられたという。

維新後[編集]

慶応3年(1867年)に本姓を中金とし、中金正衡と名乗る。適塾から江戸に東上してきた福澤諭吉に入門し、築地鉄砲洲奥平家中屋敷内の慶應義塾にて学び、慶應義塾出版局に勤務。『評説魏武註孫子』を奥平神錫の名で慶応3年に出版した。死去まで慶應義塾の主軸として福澤諭吉や小幡篤次郎を支え、塾内で福澤と共に雨山達也(中津藩で大身衆と呼ばれる家老を共に務めた雨山奥平家の家柄で、奥平図書の養子。)や増田宋太郎の面倒も見た。他、藩校・進脩館の後身校である中津市学校の顧問としても役割を果たした。

明治4年(1871年)に維新政府に出仕して、左院五等議官に就任し、正七位に叙される。次いで文部省に入る。特に、中金正衡と改名してからの奥平の業績は凄まじく、明治初期の思想啓蒙を福澤諭吉と共にリード。塾員・飯田平作の尽力により、伝染病や衛生面を早い段階で論じた『傳染病豫防法心得書演解』や、他にも国学法律学仏教学の造詣深く、形容詞の名がはじめて見えるのは、明治4年(1871年)刊行の中金正衡の『大倭語学手引草』が最初である[2]。他にも『明律約解』などは、法制史上の啓蒙書としてよく知られている本である。また、オランダ文典に基いて九品詞を分け、その中に接統言を設けたのが今の接統詞に当る。

福翁自伝』で福澤が悪役的な扱いとして書いたため、両者は生涯不和であると思われがちであるが、これは大きな間違いである。むしろ幕末の難しい藩政を舵取りしてきたと評価もされている[3]

著書[編集]

  • 『評説魏武註孫子』
  • 『大倭語学手引草』
  • 『伝染病予防法心得書演解』
  • 『世界風俗往来』
  • 『世わたり物語』
  • 『通俗西洋政治談』
  • 『西洋法律初学』
  • 『内外法制沿革略』
  • 『政體心得草』
  • 『沸蘭西法律民法略解』
  • 『政学概論』
  • 『明律約解』
  • 『法律概論』
  • 『開俗夜話』
  • 『衛生手引草』

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『福澤手帳』 第104~119号 P,30
  2. ^ 時枝誠記, 国語学会 『国語学大辞典』 東京堂出版 1980年 P,1260
  3. ^ 『福翁自傳』の徹底解明の大事業

参考文献[編集]