夫婦同姓
夫婦同姓(ふうふどうせい)、または夫婦同氏(ふうふどうし/ふうふどううじ)は、夫婦が結婚の合意により共に夫または妻の氏を称する制度。日本においては民法第750条に規定される。
解説
[編集]日本では法律上結婚した夫婦は同じ氏を名乗ることとされており[1]、夫または妻のいずれかが結婚相手である配偶者の姓に改姓しなければならない。現状として2023年(令和5年)に婚姻届を提出した474,741組の夫婦の内、妻が夫の姓に改姓した夫婦が448,397組で全体の94.5%を占め、夫が妻の姓に改姓した夫婦が26,344組で全体の5.5%を占めた[2]。
選択的夫婦別姓に反対している八木秀次(日本教育再生機構理事長・新しい歴史教科書をつくる会元会長)らは、夫婦同姓には近親相姦を防止し、神に宣誓して結婚した二人の間に誕生した嫡出子の権利を保護し、父親に認知されていない非嫡出子と区別するという目的をもってキリスト教文化圏の女性が結婚するとファミリーネームの中に入って夫婦同姓としたという文化的背景がある、などと主張している[3]。 さらに八木らは、明治政府は当初、伝統的儒教規範に準拠して封建制度を墨守するために当初はあくまで「夫婦別姓」を指向していた、と主張し[4]、民間からの要請[5]と、家制度の強化により近代化の足掛かりを得ようとするモダニズムの流れと欧米の姓氏制度(ファミリーネーム)を見習うという欧化主義の流れが合流して夫婦同姓は明治民法典に組み込まれ日本社会に定着していった、と主張している[4]。
夫婦同姓は明治31年(1898)の旧民法において「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」と同じ家の者は同じ氏を称することが定められ、のちに日本国憲法の成立を受けた昭和22年(1947)の民法改正により「夫又は妻の氏を称する」と民法第750条に新たに規定された[1]。
八木らは民法第750条は戦後の連合国軍占領下での日本国憲法制定とそれに伴う昭和22年の民法改正で世界で最も民主的な婚姻制度と規定され、夫婦の氏も世界で初めて完全な平等性を実現したものであった、などと主張している[6]。
経緯
[編集]浅古弘らによれば、日本の近世の親族法においては武家法と庶民法の分離が見られ、武士は超世代的な連続性をもった同姓の同族・同名・一門・一族・一家・一類と称する父系血族集団の中で本家、末家(分家)を構成しており、家の代表者である当主が広範囲に及ぶ家内統制の権限と責任を有していた[7]。
浅古弘らによれば、明治時代になると、江戸時代の身分制から地域別編成を原理とする戸籍法が整備されるようになり、これに関連して苗字・氏の制度と一夫一婦制度が近代法の制度として確立された[8]。
明治3年(1870)9月19日、太政官第608号布告により平民に氏が許可された[8]。
明治5年(1872)8月25日、太政官第235号布告においては氏の原則改称ができないことが定められ、明治8年(1875)2月13日太政官第22号布告では「苗字」の使用が義務とされ、不明な場合には新たに設けることを規定した[8]。
明治8年(1875)12月9日、太政官第209号達では婚姻や養子縁組、離婚、離縁は「戸籍ニ登記セサル内ハ其効ナキ者ト看做ス」という法律婚主義が採用された[9]。浅古弘らによれば、実際には戦前から戦後にかけて内縁、事実婚関係が多く見られ、これに法的保護を与えるか否かの議論も行われていた[10]。
このような戸籍制度の整備の中で内務省は婦女の結婚を婿養子と同じとみなし夫家の苗字を称すべきとの照会を太政官に出したが、これに対して、 明治9年(1876)3月17日太政官第15指令では「婦女人ニ嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事」という夫婦別姓が一旦定められた[8]。これは江戸時代以前の武士や豪農などで行われていた妻はその家の氏(姓)を名乗れないという慣習が背景にあったと言われている[11]。
選択的夫婦別姓に反対する椎谷哲夫は、武士法に依拠する制度に対して庶民の夫婦は居住している地名などを事実上の「氏」として自然な形で同氏(同姓)を名乗っていたので、武士法を基準にした夫婦別姓という発想自体が庶民にはなくまったくなじめなかったと主張している[12]。このような庶民の生活実態とのズレにより地方から政府への制度への違和感の訴えが起こされ、東京府でも明治22年(1889)に「凡ソ民間普通ノ慣例ニ依レバ婦ハ夫ノ氏ヲ称シ、其生家ノ氏ヲ称スル者ハ、極メテ僅々」との報告が記されている椎谷は主張している[12]。
明治31年(1898)の民法成立時には夫婦は家を同じくすることにより同じ氏を称することができるとされる夫婦同氏制が成立した[13]。民法第725条において親族に三親等内の姻族が含まれ、血縁関係のない者が婚姻による同姓を名乗ることの論理的根拠が規定された(夫婦同姓)[14]。
旧民法第746条には「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」と規定されていた。民法における氏は「家」の名であり、個人はすべて各自の家に帰属し、戸籍を介して行政的にも把握された[15]。 また「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」(第788条1項)、「入夫及ヒ婿養子ハ妻ノ家ニ入ル」(第788条2項)と規定し、妻は夫の氏を称すること、婿は妻の氏を称することが規定されていた[16]。
当時、法典調査会の委員であった法学者の奥田義人も日本には「人ノ妻トナリテ他家ニ入リタル後モ、尚、生家ノ氏ヲ称スル慣習アリ」と夫婦別姓の慣習が武士階級等にあったことを認めながらも時代の要請に応じて夫婦同姓原則が成立したことを述べている[17]。
第二次世界大戦敗戦後、日本国憲法が制定されると日本国憲法第24条の個人の尊厳と両性の本質的平等の方針に沿って昭和22年(1947)に民法の改正が行われ、戸主の制度は廃止され、戸主を中心とした家族制度(家父長制)はこの時に廃止された。家族は親族共同生活の現実に即して新たに規律され直されることとなった[18]。夫婦同氏制についても制度は維持しつつも、男女平等の理念に沿って、「夫婦の合意により夫または妻の氏を称することができる」とされ民法750条に規定されるところとなった[19]。 当初の政府案では「夫婦ハ共ニ夫ノ姓ヲ称ス」という案であったものをGHQ司令部からの示唆により「夫の氏ということが、両性の平等に反するじゃないかということで、結局『夫又は妻』になった」(我妻編 1956:131)という経緯により現在の民法750条が成立したという[20]。
一方、戦後においてもお互いの姓が異なる内縁、事実婚の夫婦は多くみられ、保守政党の自由党が事実婚主義による民法改正案を出したり、同じく自由党婦人部が「あるがままの男女平等」を求める事実婚主義を提唱していたが、1947年の民法改正による「家族の民主化」を進めるリベラル・革新勢力により夫婦・家族の事実婚主義は前近代的とされて排斥されていった[21]。
このように明治以前の氏姓についてはさまざまな議論があり、夫婦同姓が日本の伝統か伝統でないかという議論についても、夫婦別姓の推進者は「たかだか100年程度の歴史しかない」ということに対し、夫婦同氏(夫婦同姓)の維持の賛成者側からは「伝統としてすでに国民の間に定着している」という反論がなされている[22]。
選択的夫婦別姓導入の是非
[編集]1996(平成8)年に法務省の法制審議会は選択的夫婦別姓制度の導入をはじめとする民法親族相続の「改正案」を長尾立子法務大臣(第1次橋本内閣)に答申したが、国民から反対意見が起こり法案の国会上程さえかなわずに改正は見送られた[23]。当時、国会の法務委員会理事を十数年務めていた太田誠一は夫婦別姓について知らされたのは1995(平成7)年の暮れだったといい、法制審議会の中のみで審議され立法を実現しようとしていた経緯を官僚独裁であると批判し、議論は尽くされていないと証言している、八木らは主張している[24]。 当時、夫婦別姓の旗手であり、広告塔的役割を果たしていたのは福島瑞穂弁護士であり[25][26]、福島とともにNHK衛星テレビ討論会に出演した田嶋陽子は「夫婦別姓制度は結婚制度廃止の前段階だ」と発言した、と八木らは主張している[26]。
判例
[編集]最高裁判所は夫婦同氏(夫婦同姓)制度について平成27年(2015)12月と令和3年(2021)6月の二度にわたり、民法第750条に規定される本制度や戸籍法は日本国憲法に違反しないとの判決が下されている[27][28]。より具体的には夫婦同氏制(夫婦同姓)を定める民法第750条は憲法第13条には違反しないこと、民法第750条は憲法第14条一項には違反しないこと、民法第750条は憲法24条一項および二項に違反しないとの判決が出されている[29]。
平成27年(2015)12月最高裁大法廷においては夫婦同氏制について「明治31年に我が国の法制度として採用され、我が国の社会に定着してきたものである」とその伝統性を認めつつ、「氏は家族の呼称としての意義あるところ、現行の民法においても、家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ、その呼称を一つに定めることには合理性が認められる」との評価と「夫婦が同一の氏を称することは、上記家族という一つの集団を構成する一員であることを、対外的に公示し、識別する機能を有している。特に婚姻の重要な効果として夫婦の子が夫婦の共同親権に服する嫡出子となるということがあるところ、嫡出子であることを示すために子が両親双方と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義があると考えられる。」とその機能と意義が評価され、「家族を構成する個人が、同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できることである。」との意義も評価されている[27]。 しかし、本判決で最高裁は「この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならない」として判決が立法権を侵害することのないよう司法の原則も述べている[27][30]。
世論
[編集]夫婦同氏制(夫婦同姓制)に対しては現行の制度を維持すべきという意見に対して、夫婦同一の姓にするか夫婦別々の姓にするかを選択できる選択的夫婦別姓制度を導入することへの意見がある。
令和3年(2021)に内閣府が行った世論調査の結果は、以下のようなものであった[31]。
- 「現在の制度である夫婦同姓制度を維持した方がよい」と回答した者の割合:27.0%
- 「現在の制度である夫婦同姓制度を維持した上で、旧姓の通称使用についての法制度を設けた方がよい」と回答した者の割合:42.2%
- 「選択的夫婦別姓制度を導入した方がよい」と回答した者の割合:28.9%
国際比較
[編集]選択的夫婦別姓の推進を主張する意見には「(強制的)夫婦同姓は世界でも日本だけ」という主張もあるが、実際には各国の制度は複雑で一様ではないと選択的夫婦別姓に反対している椎谷は主張している[32]。日本の選択的夫婦別姓案はスウェーデンをモデルとしていると言われているが、実際のスウェーデンは事実婚や同棲が多く、離婚率も5割を超えると言われており、同国が選択的夫婦別姓を導入したのは事実婚による別姓を追認したもの、と椎谷は主張している[32]。
妻氏婚
[編集]夫が妻の姓に改姓することを「
妻氏婚の著名人
[編集]- 中井治郎(社会学者)[42]
関連項目
[編集]脚注
[編集]- 1 2 滝沢聿代 2016, p. 3.
- 1 2 “夫婦の姓(名字・氏)に関するデータ”. 男女共同参画局. 内閣府男女共同参画局. 2025年4月7日閲覧。
- ↑ 八木秀次・宮崎哲弥 1996, p. 90-91.
- 1 2 八木秀次・宮崎哲弥 1996, p. 42.
- ↑ 八木秀次・宮崎哲弥 1996, p. 103.
- ↑ 八木秀次・宮崎哲弥 1996, p. 28.
- ↑ 浅古弘・伊藤孝夫・植田信廣・神保文夫 2010, p. 202-203.
- 1 2 3 4 浅古弘・伊藤孝夫・植田信廣・神保文夫 2010, p. 305.
- ↑ 浅古弘・伊藤孝夫・植田信廣・神保文夫 2010, p. 306-307.
- ↑ 阪井裕一郎 2021, p. 19-22.
- ↑ 椎谷哲夫 2021, p. 38.
- 1 2 椎谷哲夫 2021, p. 39.
- ↑ (法務省「我が国における氏の制度の変遷」https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html )
- ↑ 八木秀次・宮崎哲弥 1996, p. 114.
- ↑ 滝沢聿代 2016, p. 34.
- ↑ 八木秀次・宮崎哲弥 1996, p. 268.
- ↑ 阪井裕一郎 2021, p. 55-56.
- ↑ (国立国会図書館:再建日本の出発 https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/saiken/shousai/2_20_21_22.html?num=22 )
- ↑ (法務省:我が国の氏の制度の変遷 https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html )
- ↑ 阪井裕一郎 2021, p. 64.
- ↑ 阪井裕一郎 2021, p. 19-25.
- ↑ 阪井裕一郎 2021, p. 64-65.
- ↑ 八木秀次・宮崎哲弥 1996, p. 297.
- ↑ 八木秀次・宮崎哲弥 1996, p. 180.
- ↑ 八木秀次・宮崎哲弥 1996, p. 153.
- 1 2 八木秀次・宮崎哲弥 1996, p. 172.
- 1 2 3 “裁判例結果詳細:平成26年(オ)第1023号 損害賠償請求事件”. 裁判所 (2015年12月16日). 2025年9月14日閲覧。平成27年12月16日 大法廷判決。
- ↑ (最高裁判所判例集 事件番号 令和2(ク)102 https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-90412.pdf )
- ↑ 滝沢聿代 2016, p. 106-111.
- ↑ 椎谷哲夫 2021, p. 11.
- ↑ (内閣府世論調査『家族の法制に関する世論調査』、令和3年12月、https://survey.gov-online.go.jp/r03/r03-kazoku/ )
- 1 2 椎谷哲夫 2021, p. 22.
- ↑ “夫の改姓、周囲の理解得るのに約3年…「妻氏婚」の夫婦「別姓選べる社会に」”. 琉球新報. 2021年2月26日. 2025年8月30日閲覧.
妻の姓を名乗る「妻氏婚」を選択
- ↑ ハフポスト日本版編集部 (2021年3月23日). “だから僕たちは妻の姓を選んだ。「妻氏婚」した夫の座談会”. ハフポスト NEWS. BuzzFeed Japan株式会社. 2025年9月14日閲覧。 “妻側の姓を名乗る「妻氏婚(つまうじこん)」”
- ↑ “役員登記は妻の姓の「西端」、青野・サイボウズ社長 : 旧姓・新姓 規則改正で併記可能に”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社 (2015年3月7日). 2025年9月14日閲覧。 “戸籍上は妻の姓であるサイボウズの青野慶久社長に、”
- ↑ “伊集院光は現在通い婚 妻は実家和歌山に2カ月滞在、東京に約3週間のサイクル「今週来日する」”. 日刊スポーツ (2024年1月15日). 2025年9月14日閲覧。 “伊集院は28歳当時 [...](篠岡美佳さん)と12月24日のクリスマスイブに入籍。伊集院は篠岡姓を名乗っている。”
- ↑ こみねあつこ (2023年12月22日). “「雅弘が内田家に入ってよかった」と本木の母が… 内田也哉子と本木雅弘が初の夫婦対談で語った“婿の言い分・妻の言い分””. 文春オンライン. 文藝春秋. 2025年9月14日閲覧。 “私が婿養子になるということについては、〔内田〕裕也さん、樹木〔希林〕さん、私の両親の4人だけで [...] ちゃんと話をしたんですよ。”
- ↑ 田中眞紀子 (2017年7月4日). “父・田中角栄が娘に送った人生最高のスピーチ : 「父と私」(田中 眞紀子著)の一節より”. ニュースイッチ. 日刊工業新聞社. 2025年9月18日閲覧。
- ↑ 「週刊文春」編集部 (2022年4月27日). “高市早苗政調会長の再婚 夫の山本拓・前衆院議員が「高市姓」に”. 文春オンライン. 文藝春秋. 2022年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月18日閲覧。 “「(小誌記者に聞かれたので)父に今電話したところ、高市拓になったそうです」”
- ↑ “「主夫」出身、1年生議員が見た永田町 生き方も名字も、男女が自由に選べる社会を【政界Web】”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2021年4月23日). 2025年9月14日閲覧。 “実は高木氏、10年前に「片山」から姓を変えている。”
- ↑ 岡田知弘 (2024年2月12日). “シリーズ 語り継ぐ—戦争と戦後湯川秀樹と中谷宇吉郎 ~「文人科学者」たちの戦前・戦時・戦後~ vol.Ⅰ”. ねっとわーく Kyoto Online. 「ねっとわーく Kyoto Online」運営委員会. 2025年9月18日閲覧。 “1932年に [..] 湯川玄洋の娘であった澄子(スミ)と結婚し、苗字も小川姓から湯川姓に変えます。”
- ↑ 有馬知子 (2022年2月23日). “妻の姓を選んだら、女性の親族から「もったいない」と言われた 「夫婦別姓」が進まない理由”. 弁護士ドットコムニュース. 弁護士ドットコム. 2025年9月5日閲覧。 “しかし実際に妻の姓を名乗ると、仕事上の書名と納税手続きなどに使う戸籍名が違うことについて、問い合わせが相次ぐなど想像以上に大変でした。”
参考文献
[編集]- 滝沢聿代『選択的夫婦別氏制 : これまでとこれから』三省堂、2016年5月。ISBN 978-4-385-32078-6。
- 浅古弘・伊藤孝夫・植田信廣・神保文夫『日本法制史』青林書院、2010年9月。ISBN 978-4-417-01517-8。
- 阪井裕一郎『事実婚と夫婦別姓の社会学』白澤社、2021年5月。ISBN 978-4-7684-7986-5。 ※2022年改訂新版あり。
- 八木秀次・宮崎哲弥『夫婦別姓大論破!』洋泉社、1996年10月。ISBN 978-4-89691-234-0。
- 椎谷哲夫『夫婦別姓に隠された不都合な真実 : 「選択的」でも賛成できない15の理由』明成社、2021年9月。ISBN 978-4-905410-65-2。