太田裕哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
太田 裕哉
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県多賀城市
生年月日 (1988-08-16) 1988年8月16日(31歳)
身長
体重
175 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2011年 ドラフト4位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

太田 裕哉(おおた ゆうや、1988年8月16日 - )は、宮城県多賀城市出身の元プロ野球選手投手)。現在は、東京ヤクルトスワローズ打撃投手

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

多賀城市立第二中学校から一関学院高等学校に進学[1]。1年時から公式戦に登板。2年時の夏からエースとなり、秋の東北大会でベスト4に進出し[1]、翌年の第78回選抜高等学校野球大会の出場校に希望枠で選出された[1]。大会は1回戦の岐阜城北高戦で、尾藤竜一との投げ合いの末1-2でサヨナラ負け。夏は、岩手県予選準決勝で敗退。

高校卒業後は日産自動車に入社。同社野球部在籍2年目の2008年第79回都市対抗野球大会で初登板、3年目の2009年に野球部の活動休止が決まり、翌2010年から同僚の久古健太郎と共に日本製紙石巻に移籍。日本製紙石巻では主に中継ぎとしてチームを支えてきたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で石巻工場が被災。野球部も活動を休止し、工場の泥のかき出し作業などに追われ、また自身も親族を失った中で、ランニングや筋肉トレーニングを続けていた[2]

2011年10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議で、日本製紙石巻の同僚・比屋根渉と共に、東京ヤクルトスワローズからの指名を受けて入団(比屋根は3巡目・太田は4巡目で指名)。前年に入団していた久古とは、日産自動車・日本製紙石巻時代に続いてチームメイトになった。東京ヤクルトからの指名挨拶を受けた際、挨拶に赴いた八重樫幸雄スカウト(宮城県出身の元捕手)から小学校6年生の時に野球教室で指導を受けていたことを明かす[3]

プロ入り後[編集]

即戦力の左腕投手として期待されたが、入団後の実戦登板で制球難を露呈したことなどから、1年目の一軍登板機会なし。入団2年目の2013年には、スリークォーターからサイドスローへの転向[4]で制球力の向上を図ったものの、イースタン・リーグ公式戦30試合の登板で防御率5.81、与四球率10.59。入団以来一軍公式戦での登板機会がないまま、 10月1日に球団から戦力外を通告された[5]。なお、2014年からは打撃投手として球団に残る[6]

選手としての特徴・人物[編集]

左のスリークォーターから最速144km/hのストレートに、2種類のスライダーカーブスクリューなどキレの良い変化球を駆使する[7]。しかし、制球が安定しなかったことから、2013年には投球フォームをサイドスローに改めていた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 13 (2012年 - 2013年)
  • 115 (2014年 - )

脚注[編集]

  1. ^ a b c 「週刊ベースボール別冊春季号 第78回選抜高校野球大会完全ガイド」ベースボール・マガジン社、2006年、158 - 161頁。
  2. ^ プロ野球ドラフト、県内から4選手指名”. YOMIURI ONLINE (2011年10月28日). 2011年11月4日閲覧。
  3. ^ ヤクルト4位太田「東北魂見せる」”. 日刊スポーツ (2011年11月5日). 2013年12月25日閲覧。
  4. ^ サイドスローに挑戦”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2013年4月9日). 2013年12月25日閲覧。
  5. ^ 来季の契約について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2013年10月1日). 2013年10月3日閲覧。
  6. ^ スタッフ契約について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2013年12月25日). 2013年12月25日閲覧。
  7. ^ 久古に続くぞ!日本製紙石巻・太田復活へ”. サンスポ SANSPO.COM (2011年1月27日). 2011年11月4日閲覧。

関連項目[編集]