太田景資
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太田 景資(おおた かげすけ、? - 永禄6年(1563年)2月頃)は、戦国時代の武将。通称は源七郎、官職は左衛門尉。摂津源氏流太田氏(江戸太田氏)の当主の太田資高の庶長子で、康資、輝資の異母兄、資元の父、資徳の祖父とされる。
異母弟の康資が北条氏綱の外孫であったため、江戸太田氏の家督を継承し、景資がこれを補佐した。『小田原衆所領役帳』には武蔵国目黒本村などに36貫文余りが所領として挙げられ、これとは別に康資からその所領の一部39貫文余りが与えられている。
永禄年間、康資が里見氏に通じて離反の動きを見せたため、康資の外伯父にあたる北条氏の当主の北条氏康(氏綱の子)は代わりに景資を江戸太田氏の当主にしたとされる。だが、永禄6年(1563年)2月頃の武蔵松山城の戦いで、景資は戦死したと伝えられている。彼の子孫に関する有無は不詳(伝承の域を出ないが、仔細は太田鍋島氏を参照)。
参考文献
[編集]- 下山治久『後北条氏家臣団人名辞典』(東京堂出版、2006年) ISBN 978-4-490-10696-1
- 戦国人名辞典編集委員会 編『戦国人名辞典』(吉川弘文館、2006年) ISBN 978-4-642-01348-2(執筆:黒田基樹)