天寧駅

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天寧駅
てんねい
Tennei
東釧路 (1.5km)
所在地 北海道釧路市貝塚町[1]
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 根室本線貨物支線
キロ程 1.5km(東釧路起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1923年(大正12年)9月25日
廃止年月日 1984年(昭和59年)2月1日
備考 東釧路 - 天寧間の廃止に伴う廃駅
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天寧駅(てんねいえき)は、かつて北海道釧路市貝塚町[1]にあった日本国有鉄道(国鉄)根室本線(貨物支線)の貨物駅である。国鉄の鉄道貨物輸送縮小計画によって1984年(昭和59年)に廃止された。

1977年の根室本線 天寧駅 周囲1.2km範囲。左下の釧路川橋梁から右中央の東釧路駅構内へ根室本線。写真右上方から左下方へ本線に対して接線状に敷かれているのが天寧の貨物線。写真中央の接点の川側に赤い屋根の小さな家屋が天寧駅駅舎、北側の蒲鉾屋根の農協倉庫が取り巻いて建てられている所が駅構内で、その北の緑の大きな屋根を持つ北海製罐釧路工場辺りまでが当貨物線。そこから道路を横切って太平洋炭礦関連工場の専用線が伸びていたが撤去されている。貨物線は南は日東化学工業の工場と釧路木材倉庫の倉庫群を過ぎて根室本線釧路川橋梁手前の艀を製造していた天寧造船所近くまで敷かれていたが、既に末端は撤去されて草生している。出典:国土交通省国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス CHO7746-C16-10を元に作成。

概要[編集]

当駅の設置については不明な点が多いため関連があると思われる事象について述べる。

当駅周辺は古くから釧路港へ停泊した船へ艀積みするため、釧路川上流から流送してきた木材を一旦貯留する貯木場として利用されてきた。 この貯木場は民間の釧路木材倉庫により所有運営されていて、1921年(大正10年)頃には当会社用の専用線が計画された。また同時にこの分岐点である後の別保信号場(現・東釧路駅)に当たる位置に、当時の地図によれば既に駅も計画されて「天寧貨物停車場予定地」となっていた[2]。1922年(大正11年)に上記専用線(もしくは根室本線の貨物支線)が敷設[3]。 1923年(大正12年)9月1日関東大震災発生。同22日に復興資源に対する臨時物資供給令が公布[4]。同25日天寧駅を開設。遅れること1年半後の1925年(大正14年)に太平洋炭鉱釧路臨海鉄道の接続に伴い、別保信号場が設置され、1928年(昭和3年)に東釧路駅になったが、1940年(昭和15年)まで当駅との貨物車両の遣り取り(貨物営業)は釧路駅との間で行われており、それまでは直接の関係はなかった。昭和初期になると南の材木町へ貯木場が広がるとともに延伸。1940年(昭和15年)に当駅との貨物営業が釧路駅から東釧路駅に切り替わった。

歴史[編集]

  • 1922年大正11年)頃:釧路-上別保間から株式会社釧路木材倉庫の専用線?を敷設?[5]
  • 1923年(大正12年)9月25日 : 専用線を根室本線の貨物支線に変更?、同支線中央の東側(内陸側)に天寧駅を設置[6][7][8]。支線の起点は釧路駅。距離は2.0M≒3.2km[9]
  • 1925年(大正14年)3月16日 : 釧路 - 上別保駅間に別保信号場設置。当駅-別保 (1.0M≒1.6km) [10]
  • 時期不詳(大正15年頃) : 支線南側に大日本人造肥料が釧路工場(後に日東化学工業(現・三菱レイヨン)が工場買収)を設置。専用線敷設[11]
  • 1928年昭和3年)11月11日 : 別保信号場が駅となり、東釧路駅に改称。
  • 時期不詳(昭和5年前後) : 支線を釧路川河畔の木材土場に沿って南へ延伸[7]
  • 1940年(昭和15年)1月15日 : 釧路-天寧間の貨物営業を廃止し東釧路-天寧間の貨物営業を開始するとともに起点を釧路駅から東釧路駅に変更[12]。キロ数1.5km[12][1]。分岐方向を変更?
  • 時期不詳(昭和20年台中頃) : 支線北側から内陸側へ太平洋炭礦の付帯工場(火力発電所、練炭工場等)専用線が延伸[13]
  • 1960年(昭和35年)11月 : 北海製罐が釧路工場を支線北側に設置[14]
  • 1984年(昭和59年)2月1日 : 支線廃止により、廃駅。

駅構造[編集]

昭和3年版線路一覧略図からの抜粋。配線略図中の黒丸は駅舎位置を示す。別保信号場からではなく本線から直接分岐。図中「分岐点」313.09kmは別保信号場の構内中央から約700m、釧路駅構内中央から約2.2kmの地点で、後年のスイッチバック点に相当する[15]
  • 北側に伸びた支線の中間位置に、本線を挟んで2本の側線を有する構内を有した[16]
  • 駅舎は上記構内中央の内陸側に置かれていた[16]が、後年支線のスイッチバック点(南北に伸びた支線のほぼ中間点)の河川側へ移転し、構内と駅舎が全く離れた変わった構造となった。
  • 支線の分岐方向に関しては、初期の地図のほとんどが本線より直接北へ分岐する形になっており、また昭和3年版線路一覧略図では別保信号場からではなく本線途中から北側へ分岐するように描かれていて、それを裏付けている[17]。その後、東釧路駅構内から釧路駅側へ本線に沿った後に北側にある当駅方向へスイッチバックする形になったものと思われる。

駅跡[編集]

  • 貝塚町の駅構内を取り囲むように両側に隣接して昭和40年台に数棟のカマボコ型農協倉庫が建てられたが、現在もそのまま残されている。
  • 南側の材木町へ延伸していた貨物支線周辺は、廃線前の昭和50年台から既に木材需要が無くなったために荒れ地となって放置されていたが、民間業者によってソーラー発電所が計画され、設置工事が始められている。
  • 支線に沿って操業していた日東化学工業や北海製罐の工場は撤去されて跡形もない。
  • 軌道は殆ど撤去されたが、東釧路駅から橋南幹線道路の陸橋まで、根室本線脇に僅かに残されている。

路線データ[編集]

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
根室本線 貨物支線
東釧路駅 - 天寧駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c 昭和21年現在 鉄道停車場一覧 運輸省鉄道総局発行。
  2. ^ 「釧路区市街図:附・鳥取村之一部」 1921年(大正10年)発行 p4 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
  3. ^ 「最新釧路市全図」 大正11年発行 p5 国立国会図書館近代デジタルライブラリー。
  4. ^ 官報 1923年09月22日 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 北海道鉄道百年史等、天寧-上別保間(貨物支線)は大正12年9月25日開設となっている。
  6. ^ 官報 1923年09月25日 国立国会図書館デジタルコレクション。
  7. ^ a b 「釧路郷土史考」昭和11年発行 付図 国立国会図書館近代デジタルライブラリー。
  8. ^ 昭和12年度 東部北海道石炭事情 三菱鉱業株式会社釧路出張員編 13コマ目 同ライブラリー。
  9. ^ 昭和3年版線路一覧略図では釧路駅から分岐点まで2.15km。また大正14年度鉄道省鉄道統計資料の各駅運輸一覧表で天寧分岐点-天寧が0.6M≒1.0km。
  10. ^ 官報 1925年03月10日 国立国会図書館デジタルコレクション。
  11. ^ 全国専用線一覧 昭和5年版から昭和58年版まで掲載。作業距離0.7km。
  12. ^ a b 官報 1940年01月13日 鉄道省告示 第13号釧路天寧間の貨物営業廃止、第14号東釧路天寧間の貨物営業開始 国立国会図書館デジタルコレクション。
  13. ^ 昭和33年測量 国土地理院 2万5千分の一地形図。駅の位置は変わらず。全国専用線一覧 昭和26年版0.2km(火力発電所)→昭和32年版0.5km( + 釧路練炭)→昭和45年版0.5km(釧路練炭)。
  14. ^ 全国専用線一覧 昭和39年版から昭和58年版まで掲載。作業距離0.2km。
  15. ^ Google Map等の実測により確認。
  16. ^ a b 昭和3年版線路一覧略図 札幌鉄道局発行。
  17. ^ 大正11年の門目承昌編集出版「最新釧路市全図」の図は同じ編集出版者による大正10年の「釧路区市街図 : 附・鳥取村之一部」(いずれも前掲脚注参照)と全く同じであり、当時の経済状況(北海道山林史p719-720によれば、第一次世界大戦後の慢性的不況により大正12年の関東大震災復興需要期を除き、その後の昭和恐慌もあって昭和12年の日華事変による戦時需要期まで、木材需要が低迷していた。特に大正10年、11年度は樺太からの生産増加があったため道内での伐採を減らして調整していた。)も鑑みると一民間企業向けの専用線としては手厚すぎる配線であり、予定線をそのまま実線として書いたもので実態を示していなかったと判断。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

城山線は太平洋炭礦における天寧貨物線に相当し、坑木など炭鉱経営に必要な木材を釧路川河畔の木材土場から調達するために設けられた。同線が開設されたのは天寧貨物線が東釧路駅経由になる3年前の昭和12年、日華事変の軍需景気に対する石炭増産体制が取られた時期であった。