天問
『天問』(てんもん)は、楚辞の1篇で、神話や歴史に関する問いを羅列した長編の詩である。『山海経』と並んで古代の中国神話を伝える主要文献のひとつだが、難解な箇所が多い。
題名
[編集]王逸以来の伝統的な解釈では、『天問』は「天に問う」という意味であり、流浪の身にあった屈原が祠堂に描かれた壁画を見て、それに対する疑問をぶつけた作品とする[1]。しかし漢代には画像石があったが戦国時代の祠堂に絵が描かれていたことは知られていないため、小南一郎はこの説を疑わしいとする[1]。
吉冨透は逆に天帝が楚王および輔佐に問うた作品とする[2]:154。
内容
[編集]漢文 | 書き下し |
---|---|
曰 |
|
形式
[編集]『天問』の各句は基本的に4字を1句とするが、それ以外の長さの句が出てくることも多い。偶数句末で脚韻をふみ、4句ごとに韻が変わっていく。『離騒』や『九章』と異なり「兮」のような助字は使われない[2]:149-150。
構成
[編集]問いはまず天地開闢と天象のことから始まり、鯀と禹による治水と地理のことが続き、夏・殷・周の伝説や王の事績、さらに斉の桓公や呉の闔閭に及び、最後に楚の話で終わるが、話の順序が前後している箇所も多い。時代的にもっとも新しい事件は呉の闔閭と楚の昭王の争い(柏挙の戦いを参照)である[2]:149。
問いに対する答えはない。小南一郎によると、最初の部分は巫覡集団の中で師から弟子に知識が伝達される際の教理問答的な場を背景にして成立したものとするが[1]:180、途中からは天への懐疑が示されるようになり[1]:232、司馬遷『史記』伯夷列伝の「天道是か非か」という問いにもつながっているという[1]:175。司馬遷は『史記』の屈原賈生列伝で『天問』を読んだことを記している。
なお『天問』の扱っている神話・歴史の知識は中原のものと近く、出土資料から知られる楚地方特有の神話・祭祀とは必ずしも対応しない[1]:516-517。