天別豊姫神社

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天別豊姫神社
天別豊姫神社 境内.JPG
境内
所在地 広島県福山市神辺町川北142-2
位置 北緯34度32分20.34秒
東経133度23分2.77秒
座標: 北緯34度32分20.34秒 東経133度23分2.77秒
主祭神 豊玉姫命
速進雄命
事代主神
社格 式内社(小)
県社
創建 不詳
本殿の様式 三間社切妻造
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鳥居

天別豊姫神社(あまわけとよひめじんじゃ)は、広島県福山市神辺町川北にある神社式内社で、旧社格県社

古くは「神辺大明神(かんなべだいみょうじん)」や「甘濃厳大明神(かんのびだいみょうじん)」とも称されていた。神辺の町並み南方の黄葉山中腹に鎮座し、「神辺」の地名は当社に由来するといわれる。

祭神[編集]

祭神は次の5柱。

主祭神
配神

配神の2神は、大正3年に川北村字掛の吉備津神社を合祀したことによる。

歴史[編集]

概史[編集]

古代、当社周辺は「穴海」と呼ばれる入海であったとされ、社伝では、網付谷にあった荒磯岩上に磯神社として鎮座し、のちにその奥の小中山に遷座したとされる[1]。同じ備後国内には、 豊玉姫命の父・豊玉彦命(大綿津見命)を祀る沼名前神社(福山市鞆町)や、夫・蘇羅比古(彦火火出見命)を祀る蘇羅比古神社(庄原市)があり、当社はその中間に位置する。

国史では、元慶2年(878年)に「天別豊姫神」の神階が従五位下から従五位上に昇叙された旨が記されている。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では備後国安那郡に「天別豊姫神社」と記載され、式内社に列している。

建武年間(1334年-1338年朝山景連が黄葉山に神辺城を築くにあたって当社を城の守護神とし、現在の黄葉山中腹に遷したとされる。

江戸時代には福山藩主の水野氏阿部氏からの崇敬を受けた。

明治元年(1868年)福山藩の調査で式内社とされ、同2年(1869年)公称を「天別豊姫神社」に定められた。明治6年(1873年)に近代社格制度において郷社に列し、昭和15年(1940年県社に昇格した。

神階[編集]

境内[編集]

本殿は明治11年(1878年)の造営。三間社切妻造

摂末社[編集]

  • 天王神社
  • 稲荷神社
  • 皇神社
  • 弁財天祠
  • 天神社

そのほか、多くの境内社が鎮座する。

現地情報[編集]

所在地

交通アクセス

周辺

脚注[編集]

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  1. ^ 『広島県の地名』天別豊姫神社項。

参考文献[編集]