大魔神

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大魔神(全身)

大魔神』(だいまじん)は、1966年(昭和41年)に大映が製作・公開した日本映画特撮時代劇シリーズ三部作、またはその劇中に登場する守護神の名称。

概要[編集]

大魔神』『大魔神怒る』『大魔神逆襲』の3作からなるシリーズであり、3作とも1966年に大映京都撮影所で製作され、時代劇特撮が巧みに融合された作品である。時代劇の本場であった大映京都撮影所で『座頭市シリーズ』や『眠狂四郎シリーズ』などに腕を振るった安田公義をはじめとする時代劇専門のベテラン監督の起用によって、時代劇としても重厚なリアリティを持たせている。

シリーズの各作品は独立したエピソードをもつが、舞台設定を日本の戦国時代におき、悪人が陰謀をたくらみ、民衆が虐げられると、穏やかな表情の石像だった大魔神が劇中で復活・巨大化して動き出し、クライマックスで破壊的な力を発揮して悪人を倒すという劇構造を同じくする。

娯楽性を追求し、それを見事に結集させた作風と大魔神のユニークなキャラクターで、漫画やアニメではしばしばパロディの対象になり、後にテレビCMに採用されることもあった。製作が終了して20年以上後になっても、1990年プロ野球入りした投手佐々木主浩のニックネームに大魔神が使われるなど、『ガメラ』シリーズと並んで大映の特撮映画を代表する看板作品となっている。海外では“MAJIN”というネーミングで知られている。

大魔神[編集]

大魔神
Daimajin
監督 安田公義
脚本 吉田哲郎
製作総指揮 永田雅一
出演者 高田美和
青山良彦
音楽 伊福部昭
撮影 森田富士郎
編集 山田弘
製作会社 大映
配給 大映
公開 日本の旗 1966年4月17日
上映時間 84分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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1966年(昭和41年)4月17日公開。併映作は『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』。大映京都撮影所作品。京都と東京の撮影所を使い分けての、『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』との自社製作による特撮2本立てという興行スタイルは、円谷英二を擁した東宝すら実現できなかった、本邦初のものであった。製作予算は企画副部長だった奥田久司によると1億円で、配収も1億円と大ヒットはしたものの、「結局トントンで、あれだけ苦労して利益なし」だったそうである。

本作の企画書が大映本社に提出されたのは、1965年(昭和40年)の11月1週目の第124回企画会議でのことで、大映京都撮影所所長だった鈴木炤成、企画副部長だった奥田久司により、チェコスロバキア映画の『巨人ゴーレム』(1936年ジュリアン・デュヴィヴィエ監督[1])で描かれたゴーレム伝説に材を採り[2]、大映京都撮影所の特撮技術を活用する旨となっている。作中の小源太や左馬之助などの人名も、奥田によるものである。

大魔神の身長は、画面でのリアリズムを考え、黒田義之特撮監督らによって15尺(4.5m)に決められた。黒田監督はのちに円谷プロダクションのテレビ作品に参加するが、黒田監督によると、これは『大魔神』を観た円谷一社長から声を掛けられてのことだという。

永田雅一大映社長はこの興行を前に、「日本映画界は必ず復興する」との一文を新聞紙上に寄せ、並々ならぬ意気込みを見せている。大魔神シリーズはブルーバック合成が非常に効果を上げているが、この1作目の製作に当たって永田は京都撮影所に、ヨウ素電球190個を菱形に並べた11m×4.6mの大規模なブルーバック用のライトスクリーンを購入している。交流電気ではライトに光ムラが出るため、このライトスクリーンの電源には撮影所で直流に変換した電流が使用され、万全の態勢で撮影が行われた。巨費[3]を投じて輸入したこの機材は、大魔神シリーズ以外には同じ京都撮影所の『妖怪百物語』(1968年)など、「妖怪シリーズ」を除けばほとんど出番がなかったという。

大映京都のベテラン撮影技師の森田富士郎は、1作目・2作目ともに、本編と特撮両者にまたがってカメラを回した。森田は「本編と特撮両方を一人で撮らなければ空気層にリアリティが出ない」として、「一人で撮る」ことを条件に『大魔神』を引き受けた。森田はこの作品で「撮影監督」のポジションの重要性を訴え、これを務めている。『大魔神シリーズ』は、大規模なブルーバック合成が絶大な効果を上げているが、合成画面の現像は合成素材のフィルム同士の調子を合わせるために2日寝かせて行わなくてはならず、現像所で合成画面が完成するまで20日かかるものだった。『大魔神』全3作に『酔いどれ博士』(三隅研次監督、勝新太郎主演)を挟んでの撮影を進める中、合成画面1カットの費用が当時の価格で30万円かかるため、その成果に対する心労や撮影スケジュール進行のストレスに、森田は「心臓がおかしくなった」と語っている。このため、『大魔神逆襲』では今井ひろしと連名で撮影を行っている。

大映は本作に先立って、日米合作の航空特撮映画『あしやからの飛行』(マイケル・アンダーソン監督、1964年)を制作しているが、この際には青く塗装したホリゾント壁を使ってブルーバック合成が行われた。しかし、この手法では色ムラが出てしまい、合成画面に苦心した。アメリカのスタッフは大映自前の東京現像所を信用せず、ブルーバック合成の現像はアメリカへフィルムを送って行うという状況だった。これを見た森田カメラマンが、翌年の1965年(昭和40年)に玩具の戦車が大映京都撮影所正面入り口から出て来るという、ブルーバックのテストフィルムを独自に撮影すると、出来栄えが良かったために所内で評判となり、『大魔神』の企画のもととなったという。

三部作すべてで大魔神役スーツアクターを務めたのは、プロ野球選手出身の橋本力。橋本を起用したのは黒田義之で、「主役はあんただから」と念を押したという。撮影は芋の粉やコルク屑、炭粉を使った粉塵が飛び交うものだったが、橋本はカメラが回っている間は、決して瞬きをしなかったという。そのために血走った眼が印象的な当たり役となって、『妖怪大戦争』でも吸血妖怪ダイモン役で血走った両眼を見せ、強い印象を残している[4]。荒れてしまった目は、茶でしかきれいにすることができなかったという[5]森田富士郎撮影監督も「あの人には頭が上がりません」と述べている。

作曲を担当した伊福部昭は、「魔神といっても神様ですから、神々しいイメージでいたところ、映像を見たら、青黒い顔に血走った目玉がギョロギョロ動いて睨みつけるというものだったので、さあこれはえらいことになったと、驚きながら作曲しました」と語っている。伊福部はこの魔神に三音階から成る非常に印象的なテーマ曲を与え、作品世界に重厚な奥行きを構築している。奥田久司によると、奥田をはじめ安田・三隅・森の3監督とも伊福部音楽の大ファンだという。

大映京都のスタッフは、長年築いた時代劇セットのノウハウをつぎ込み、見応えのある建物のミニチュアを制作した。これらは魔神の背丈に合わせ、フィルムの速度も2.5倍にされたうえ、瓦の各個の大きさまで1/2.5の縮尺で統一されているという徹底振りであった。崩れる城門は数十人で引っ張り、ブルドーザーも援用している。ラストシーンで崩壊する魔神のミニチュアは高山良策の手によるものであるが、うまく崩れてくれなかったため、高山はかなりの試行錯誤を繰り返している。劇中最後の魔神のミニチュアの崩壊は、上方から圧縮空気を当ててこれを行った。

砦のオープン・セットは、京都の沓掛にあった採石場に組まれた。2作目、3作目のオープンセットもこの沓掛の採石場が使われた。クランク・インは2月3日、クランク・アップは4月10日、テスト期間を入れれば3か月かけて撮影が行われた。

あらすじ[編集]

戦国時代、丹波の国の領主花房家は、家老の大館左馬之助一派の下剋上によって幼い忠文・小笹兄妹の2人を残して滅ぼされ、領民たちは砦の建設のために苦役を強いられることになってしまった。花房の兄妹は忠臣・小源太の叔母で魔神の山の魔神阿羅羯磨(あらかつま)を鎮める巫女の信夫の下に身を寄せ、お家再興の機をうかがう。月日は流れ、忠文と小笹はそれぞれたくましい若者と美しい娘に成長していた。一方、彼らの潜むこの魔神の山には巨大な武神像があり、これは領民たちの厚い信仰の的であった。これを快しとしない左馬之助は、忠告に上がった信夫の「このまま領民たちを苦しめ続けたら魔神による神罰がある」という言葉を嘲笑い、「神罰があるなら見せてみよ」と信夫を斬り殺し、こともあろうに山中にある武神像の破壊を配下に命じた。小笹が捕まり、その眼前で武神像の額に深々と鏨(たがね)が打ち込まれた時、あり得ないことが起こる。鏨の下から、赤々とした鮮血が滴り始めたのである。それと同時に起こった地震、地割れ(武神像の祟り)の中、左馬之助の手の者たちは次々に地割れに飲み込まれていく。

怒り鎮まらぬ武神は、忠文の命乞いに身を捧げようとした小笹の眼前で動き出し、その相貌を恐ろしい魔神に変え、光となって砦の建設現場へと向かう。折しも砦では、花房家最期の望みである忠文と小源太の磔処刑が執行されようとしていた。絶望しただ神に祈る領民たちと彼らに勝ち誇る左馬之助の前へ、妖しく曇った天空から一点の光が地上に落ち、突如それは巨大な魔神の姿となった。

魔神は砦を突き破り、城下へ侵入する。必死にこれを止めようとする城兵たちも次々に踏みつぶされ、破壊された建物の下に消えていく。花房家の残党により忠文と小源太は救出され、左馬之助も逃亡むなしく魔神に捕まった。魔神は額に打たれた鏨を引き抜くや、これを左馬之助の胸に深々と突き通す。しかし魔神の怒りはなおも鎮まらず、無辜(むこ)の領民までもが巻き添えに、魔神による破壊はついに城下全体に及ぶかに見えた。

そのとき、魔神の足元に小笹が駆け寄ってひざまずいた。小笹は自らの命と引き換えに、魔神に怒りを鎮めてくれるよう懇願し、涙を落とした。それを見た魔神は自らの顔を穏やかな武神に変え、やがて土塊(つちくれ)となって崩れ去り、風の中に消えていくのだった。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

受賞[編集]

大魔神怒る[編集]

1966年8月13日公開。1作目が大ヒットしたため、お盆興行作品として製作された。併映作は『座頭市海を渡る』。 監督は時代劇映画のベテラン三隅研次。撮入は5月で、3か月かけて撮影が行われている。製作費は1億円、興行収入もほぼ同額だった。

魔神は本作では水の魔神として描かれており、物語終盤で水の中から現れて神罰を下した後、水となって消えていく。魔神が湖面を割って出現するシーンの両側の滝の映像素材には鴨川の堤が使われ、出現のカットは窒素ガスの噴出で波立たせた。神の島のスタジオセットは縦22m×横40mという広大なもので、武神像の岩壁は鉄板2000枚、丸太500本、トラック10数台分の伊豆から運んだ火山岩を用いて作られた破格のものだった[7]。出現シーンは映画『十戒』(1958年)に[6]、ラストシーンで湖に沈んだ鐘が鳴る場面はゲアハルト・ハウプトマンの『沈鐘』に、それぞれ着想を得たものである。

突風で瓦が飛ぶシーンの撮影では、「軽い素材を」と「京都の八つ橋」からの連想で、煎餅の「八つ橋」を瓦の形に焼いたものが使われた[8]

あらすじ(怒る)[編集]

戦国時代。平和な八雲の国は、隣国から攻め込んだ武将御子柴弾正によって滅ぼされる。お家再興と平和を望む領民は弾正の手を逃れ、湖に浮かぶ神の島にある武神像へ向かう。しかし武神像の爆破を命じた弾正の爆薬によって、ついに武神像は粉々となった。領主の娘、早百合は絶望し、武神の無事をただ祈る。神を畏れぬ狼藉に、魔神は湖から怒りに燃えるその姿を現すと、砦を全滅させる。なおも船で逃げる弾正をついに追いつめた魔神は、容赦なく神罰を下すのだった。

スタッフ(怒る)[編集]

キャスト(怒る)[編集]

大魔神逆襲[編集]

1966年12月10日公開。シリーズ最終作は「女と男はつまらん、子供が好きやから子供でやらしてくれ」という森一生監督によって子供たちが主役に据えられ、少年の純真な信仰心が大魔神を動かす。

森監督は冬休み前での封切り公開について、冬休みが始まるころに上映をやめるという興行に納得できず、「なぜ子供に観せたらんのや」と本社に文句を入れたそうである。本作の製作費は1億円弱、興行では併映なしの2番館上映となり[9]、配収も赤字で、奥田久司によれば「4作目の企画もあったが、これで一気に意欲が衰えポシャっちゃいました」とのことである。

魔神は本作では雪の魔神として雪の中から現れ、最後には粉雪となって消えていく。雪から現れるシーンは、13時間を費やして撮られた[10]。今回、初めて魔神の使いとして大鷹が登場する。この鷹は関西の鷹匠の橋本忠造の所有していた2羽を使い、1か月断食させて演技を着けやすくしてから撮影した。また、魔神が腰に帯びた宝剣を初めて抜いた作品でもある[10]。ラストで雪と化す魔神は、ソフトクリームの原料の粉を用いた[10]。大ベテラン渡辺善夫による作画合成では、画面を絵で実写を挟む3面合成という高度な技法が使われている。

雪山のロケは立山で行われたが、撮影済みのフィルムの2000フィートに現像時のミスで傷が付いてしまい、急遽再度のロケを行っている。枯れ木の並ぶ山中のロケは、大台ケ原で行われた。

本作は、社団法人・映画輸出振興協会による輸出映画産業振興金融措置の融資を受け、製作された映画でもある[11]

あらすじ(逆襲)[編集]

戦国時代、戦で近隣諸国制覇を目指していた瓜生の里の武将荒川飛騨守は、地獄谷の硫黄を採取して火薬を作る工場を作るため、木こりの村人たちを捕えて地獄谷へ連れて行き、むりやり工場を造らせた。その村人たちの中から単独で逃げ、瀕死の状態で村に帰ってきた三平は村人たちにそのことを話した。父兄が捕まったことを知った村の子供「大作」「金太」「鶴吉」と、鶴吉の弟の「杉松」の4人は、恐ろしい祟りをなすという魔神の山を越え、地獄谷へ向かう。

魔神の山へ入って少しすると、大きな鷹が鶴吉たちのことをつけ始めた。この大鷹は魔神の使いだとされ、魔神の山の頂上には「武神像」と呼ばれている巨大な像があった。武神像を越えて少し歩くと、鶴吉たちは逃げた三平を捕まえるための飛騨守の使いに村人たちを助けようとしていることがばれ、追われることになってしまう。使いは3人組で、火縄銃を持っていた。やっとの思いで魔神の山を視界に得た鶴吉たちのうち、金太は川で杉松を助けるべく川に流され、大作と杉松も雪山の吹雪で倒れてしまう。鶴吉は目を覚まさない大作と杉松を揺さぶるが、3人組の使いに見つかってしまう。

最期を覚悟する鶴吉を大鷹は助けて使いを倒すが、火縄銃で胸を撃たれて力尽きてしまった。その直後、武神像から血が流れ出す。鶴吉は、武神像に吹雪が止むことや大作と杉松が助かることを願い、その代償に自分の命を投げ出すことを誓って谷間へ身を投げた。すると、武神像は突然動き出し、大魔神へ変貌する。大魔神はその手で鶴吉を救い上げ、大作、杉松、大鷹の命を救うと、飛騨守へ向かう。魔神は抵抗する城兵をことごとく打ち倒して宝剣を抜き、飛騨守を捕えてその胸を貫く。すべてが終わった後、魔神は雪と化すのだった。

スタッフ(逆襲)[編集]

キャスト(逆襲)[編集]

守護神としての大魔神[編集]

神としての正式な名前は阿羅羯磨(あらかつま)と設定されている。普段は柔和な表情をしているが、ひとたび怒ると憤怒の表情に変わる。このとき腕で顔を拭うような仕草(左腕で顔を下から隠してそのまま腕を上へ動かす、あるいは両腕を顔の前で交差させてからバンザイのような位置に腕をもっていく)をするのが特徴である。

大魔神の造形は、『ウルトラQ』『ウルトラマン』の怪獣造形を担当した高山良策が手がけている。1作目で高山は京都に出張し、埴輪の武人像に着想を得て、15尺(4.5m)の実物大の魔神、人間を掴むシーンのための実物大の魔神の腕、実物大の脚、人間の入るぬいぐるみ、ラストシーンで崩壊する魔神のミニチュアを製作している。高山は併映の『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』でも、バルゴンのぬいぐるみとギニョールの造形を担当しているが、本作で京都出張して多忙だったため、そちらの仕上げはエキスプロダクションが行っている。2作目、3作目の大魔神は、高山の造形物を参考にした村瀬継蔵らエキスプロにより、より軽量なものが製作されている[12]

実物大の魔神は、製作費500万円(当時)と3か月の日数をかけて製作された。当初、大魔神の目は電球仕掛けで発注され、高山も作り物の目を仕込んだ頭を制作している。この頭は大き過ぎたのと、役者の目を活かそうとの黒田監督らの意見で没となり、より小さく役者の顔に合わせたものが作り直されている。

現存する大魔神像[編集]

1966年当時の撮影に使用された高さ約4.5mの実物大魔神像は大映京都撮影所に保管され、ステージ入り口に立てて置かれていたが[13]1986年大阪府門真市にあるガレージキットフィギュアメーカーの海洋堂が100万円で引き取り、海洋堂本社正面玄関の上に保管された[14]。ベルトのバックルが欠落していたので、当時海洋堂の原型師であった原詠人によって新たに再現造型されたうえ、造形に使用したラテックスが硬化して剥がれ落ちる状態だったため、全身をシリコン樹脂でコーティングされた。

なお、この大魔神に関しては、1トン近い重量物にもかかわらず1986年に置いてあった場所からずれていた[15]、1991年ごろの深夜にホビー館内部を巨大なものが歩いているような足音がした[16]、といった不思議な話がある。

漫画化[編集]

『大魔神』
1967年(昭和42年)、映画公開から1年半後に漫画雑誌「少年現代」(現代芸術社)の8月創刊号に前篇50頁(扉絵はカラー)、9月第2号に後篇48頁が掲載された。漫画:岸本修、原作・吉田哲郎、映画本編に忠実な内容となっている。

リメイク企画[編集]

TBS橋本洋二プロデューサーの企画で、湯浅憲明監督、脚本家の佐々木守との三者でテレビシリーズ化が検討された。佐々木はかなり乗り気だったが、テレビの予算の問題に加えて『大魔神』はストーリーのパターンが限られており、毎回新味を見せるのは作劇的に無理との理由で流れている。企画の時期は湯浅監督によると、『おくさまは18歳』(1970年 - )の「だいぶ前」だという[17]

1990年代には、当時徳間書店傘下の大映映画株式会社で再映画化が企画されたこともあった。1991年後半の企画時には、ストーリーの一般公募も行われたが[18]、大魔神よりもガメラの人気が高いことが判明し、企画が平成ガメラシリーズにシフトした結果、企画はいったん頓挫した[19]。その後も大映では企画が持ち上がり、1998年頃にはハリウッド俳優のスティーブン・セガールを主演に迎え、東宝配給で公開する企画が存在したという[20]。後に筒井康隆が執筆したシナリオのみが2000年に『SF Japan』2000年秋季号に掲載されて公開、2001年に単行本として出版された。その他に大友克洋も脚本を執筆していた[21]

2000年代には大映の映画事業を継承した角川映画が改めて再映画化を企画し、2003年1月30日に『妖怪大戦争』とともに再映画化の準備中であることを発表[22]した。三池崇史を監督に迎え、2008年公開予定で現代を舞台としたアクション映画として準備を進めていたが[21][23]、再び企画がいったん凍結した後、2010年には角川映画を含む「大魔神カノン製作委員会」が、テレビシリーズ『大魔神カノン』を製作・放送している。

映像ソフト化[編集]

1981年頃、大映株式会社映像事業部から第1作『大魔神』のビデオが全長版が4万5000円で、60分に短縮されたものが3万5000円で、30分に短縮されたものが9300円で発売されていた[24]。1983年頃には3作のビデオが各巻2万8000円で発売された後、シネスコ版で再発売された。

1984年にはレーザーディスクで『大魔神』『大魔神怒る』が発売され、1990年にはレーザーディスクで三作セットのLD-BOXの大魔神全集がパイオニアLDCより発売された。

2001年12月5日、DVD-BOX『大魔神封印函 魔神降臨』が徳間ジャパンコミュニケーションより税別1万5000円で発売され、三作それぞれの単品DVDも同日に発売された[25]。その後、2007年10月、2010年7月にも単品で発売されている(2010年発売版は、下記のBDと同一のマスターを使用している)。

2009年6月発売の『大魔神ブルーレイBOX』に収録されており、単品版BDも三作それぞれ同時に発売された。

テレビCMへの出演[編集]

トヨタ『スターレット』
トヨタの乗用車「スターレットEP71」の映像に、大魔神の映像が挿入された。1988年頃?に放送。
サントリー『アイスジン』
1993年森高千里と共演した。CM内でウーロン茶ジンを混合したものを「大魔GIN」としていた。
エースコック『大盛りいか焼きそば』
1998年に放送。イカが入っていないと大魔神が怒る内容。大魔神ドリンクホルダーが3,000名に当たるプレゼントキャンペーンも同時に開催されていた。

その他の起用[編集]

2015年春に発生した寺社連続油被害事件の被害拡大を阻止するため、奈良県奈良県教育委員会奈良県警察が、地域での防犯を呼びかけるポスターに大魔神を採用した[26]

エピソード[編集]

大魔神の輪郭に似ているとされたTOTO C75系和風便器

かつてTOTOが1992年まで生産されていたC75系旧型和風便器(旧型和式便器)の金隠し部の形状が大魔神の頭部の輪郭に似ていると話題になったことがある。[要出典]

脚注[編集]

  1. ^ 1937年に日本公開され、戦後は大映系で再公開されている
  2. ^ 石井博士ほか 1997, pp. 170.
  3. ^ 森田富士郎によれば、当時の価格で約1千万円
  4. ^ 河崎実インタビュー・文「ブルース・リーに蹴られた男 橋本力」『映画秘宝Vol.3 ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進』洋泉社、2001年、pp.74-80。
  5. ^ DVD『大魔神』特典インタビューより
  6. ^ a b 石井博士ほか 1997, pp. 175.
  7. ^ 『日本特撮・幻想映画全集』(勁文社)では、縦22m×横30m、鉄板の数は2万枚と記述している[6]
  8. ^ 『蘇れ! 妖怪映画大集合!!』(竹書房)「八木功インタビュー」
  9. ^ 1966年 公開作品一覧(日本映画データベース)によれば、市川雷蔵主演の『新書・忍びの者』(大映京都作品)との同日公開となっている。なお、本作の公開終了後、本来は森監督が公開を希望していた冬休みにあたる時期(12月24日から)の大映系劇場では、勝新太郎主演の『酔いどれ波止場』と田宮二郎主演の『出獄の盃』の2本立てが公開された。
  10. ^ a b c 石井博士ほか 1997, pp. 176.
  11. ^ 参議院会議録情報 第063回国会 文教委員会 第4号
  12. ^ 『怪獣とヒーローを創った男たち』(辰巳出版)[要ページ番号]
  13. ^ 井筒和幸『ガキ以上、愚連隊未満。』ダイヤモンド社、2010年、p.144
  14. ^ 宮脇修『創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある 海洋堂物語』講談社、2003年、p.258。
  15. ^ 週刊文春』1987年10月1日号
  16. ^ 海洋堂の小冊子『目に言う』No.3(2001年4月号)
  17. ^ 唐沢俊一編著『ガメラ創世記 映画監督・湯浅憲明』エンターブレイン、2006年、pp.216-217。『ガメラを創った男 評伝 映画監督・湯浅憲明』(アスペクト、1995年)の改訂版。
  18. ^ アニメディア』1992年2月号、p.81
  19. ^ 切通理作『特撮黙示録 1995-2001』太田出版、2002年、p.69。
  20. ^ 中村健吾『もののけ姫から山田くんへ』徳間書店、1999年、pp.38,41。
  21. ^ a b 井上伸一郎「大魔神怒る」『大映特撮映画大全 大怪獣空想決戦ガメラ対大魔神』特撮ニュータイプ編、角川書店、2010年、p.8
  22. ^ 日本オタク大賞実行委員会編『日本オタク大賞2004』扶桑社、2004年、p.35。
  23. ^ 映画秘宝』2007年4月号、洋泉社
  24. ^ 「ビデオコレクション1982」1981年、東京ニュース通信社、「週刊TVガイド」臨時増刊12月2日号
  25. ^ 「綴込特別付録 宇宙船 YEAR BOOK 2002」、『宇宙船』Vol.100(2002年5月号)、朝日ソノラマ2002年5月1日、 170頁、 雑誌コード:01843-05。
  26. ^ 被害防止に「大魔神」が激怒 奈良県が文化財防犯ポスター作る 産経新聞2015年5月20日(2015年6月3日閲覧)

参考文献[編集]

  • 『ファンタスティックコレクション 大魔神』(朝日ソノラマ)
  • 『大映特撮コレクション 大魔神』(徳間書店)
  • 『宇宙船』「伊福部昭インタビュー」(朝日ソノラマ、VOL23 - VOL26)
  • 『大魔神』3シリーズDVD 各巻の関係者コメンタリー
  • 『ガメラから大魔神まで 大映特撮映画のすべて』(近代映画社)
  • 石井博士ほか 『日本特撮・幻想映画全集』 勁文社、1997年ISBN 4766927060

関連項目[編集]

外部リンク[編集]